謎の国々は実在したか?(9) ~ 古代中国人が描いた裸国・黒歯国
前回まで、古代人が南米エクアドルへ行っていた可能性、しかも太平洋を舟で渡った可能性について、お話してきました。
さて、ここで疑問が湧いてきませんでしょうか?。
「三国志魏志倭人伝では、半年で裸(ら)国・黒歯(こくし)ーエクアドルに行ったというが、どうして半年で行ったことがわかるのだろう。行ったきりなら、わかるはずはないではないか。」
と。
つまり、裏を返せば、
「裸国・黒歯国へ行った人の中に、日本に戻ってきた人がいて、彼らから聞いた話を伝えているはずだ。」
ということです。
はたして、日本から舟に乗って太平洋を渡り、エクアドルにたどり着くだけでもたいへんなのに、さらにまた、そこから日本に戻ってきた、などということが、ありうるでしょうか?。
しかし、そうでなければ、魏志倭人伝の話は成立しません。
ここで、古代中国史書「文選(もんせん)」を紹介します。
「文選」とは
”、中国南北朝時代、南朝梁の昭明太子によって編纂された詩文集。全30巻。春秋戦国時代から梁までの文学者131名による賦・詩・文章800余りの作品を、37のジャンルに分類して収録する。隋唐以前を代表する文学作品の多くを網羅しており、中国古典文学の研究者にとって必読書とされる。収録作品のみならず、昭明太子自身による序文も六朝時代の文学史論として高く評価される。”(Wikipediayより)
とあり、中国の昔の官僚試験「科挙」受験者に必須とされ、唐の詩人杜甫は『文選』を愛読したと伝えられます。
そのなかに「海賦(かいふ)」があります。作者は木華で、西晋の楊駿府の主簿をしていました。三国志魏志倭人伝の著者陳寿(ちんじゅ、233-297年)と同じ時代を生きた官吏で、陳寿より中央に近い位置にありました。
以下、その一部ですが、みていきます。
【読み下し文(抜粋)】
・・・(略)・・・
若し其れ、穢(わい)を負(お)うて深きに臨み、
誓いを虚(むな)しうして祈りを愆(あやま)てば、
・・・(略)・・・
帆を決(やぶ)り橦(ほばしら)を摧(くだ)き
・・・(略)・・・
是に於て、舟人、漁子、南に徂(ゆ)き、東に極(いた)る。
或いは、黿鼉(げんだ)の穴に、屑没(せつぼつ)し、
或いは、岑㟼(しんごう)の峯に挂罥(けいけん)す。
或いは、裸人の国に掣掣洩洩し、
或いは、黒歯の邦に汎汎悠悠す。
或いは、乃(すなわ)ち萍流(へいりゅう)して浮転し、
或いは、帰風に因りて自(おのずか)ら反る。
・・・(以下略)・・・
【意訳(古田氏説参考)】
・・・(略)・・・
タブーを破った場合は、直ちに海神の怒りにあって海難に遭う
・・・(略)・・・
ここから舟に乗れば、ある程度、南方に赴き、やがて東に方向を転じ、その彼方の極点の地にいたる
とかげの穴がある
小石の多い、きりたった山の断崖が海岸に突き出していて、舟の難破をさそう
海流に乗り、風の進行に導かれると、裸の国と黒歯の国に至る
場合によると、浮草のように流れて浮き転じ、潮流からそれて他の方向へまぎれこんでしまい、永遠に帰ることはできず、ある場合には、うまく帰りの風と潮流に乗ずることができれば、自然にもとのところヘ反(かえ)ってくることができる
冒頭の、”若し其れ、穢(わい)を負(お)うて深きに臨み、 誓いを虚(むな)しうして祈りを愆(あやま)てば”をみて、「どこかで見た文章だな」と思った方は、かなりの古代史通でしょう。そうです、あの、三国志魏志倭人伝のなかに出てくる「持衰(じさい)」の話です。
その話とは、
”かれらは、どこかへでかけたり、海を渡って中国へやってきたりするとき、ある一人だけを選んで、髪の手入れ、シラミをとること、衣服の洗濯、肉食、婦人に近づくことなどを禁じる。まるで、喪に服しているようである。この男を持衰(じさい)と呼んでいる。もし旅行がうまくいけば、人々は、この男に奴隷や財産を与える。しかし、病気になったり、なにかの損害を受けたりすれば、この男を殺そうとする。なにもかも、持衰の男が、身を慎まなかったせいだとするからである”
aomatsu123.blog.fc2.com/blog-entry-17.html参照
というものです。
そして、「舟で南に出て東に進むと、行き着く国がある」とあり、そこに至るまでの描写が続きます。
ここで、「黿鼉(げんだ)」という見慣れない言葉が出てきます。通常は、「ウミガメ」「ワニ」とされますが、「トカゲ」との説もあります。
考えてみると、南米には、「ウミガメ」「「トカゲ」が棲息していますし、ガラパゴス諸島には、有名な「ゾウガメ」や「イグアナ」がいるので、そのあたりを指しているのかもしれません。エクアドルには、「イグアナ公園」があり、多くのイグアナが飼育されてます。
<イグアナ公園のグリーンイグアナ>
(Wikipediaより)
「岑㟼(しんごう)の峯」とは、「小石の多い、きりたった山」ですから、アンデス山脈を指している可能性があります。舟で海上から見れば、確かに切り立って、立ちはだかっているようにみえるでしょう。
そして、裸の国、黒歯の国にたどり着く、と言ってます。そして、最後に注目すべきことを言ってます。
”うまく潮流に乗らないと、遭難してしまうが、うまく帰りの風と潮流に乗ずることができれば、自然にもとのところヘ反(かえ)ってくることができる”と。
つまり、裸国、黒歯国へ行くこともできるし、さらにそこから帰ってくることもできる、と言っているのです。
これは、実際の海流の流れをみれば、理解できます。つまり、日本から、黒潮に乗り、北米大陸沖まで行き、そこからカリフォルニア海流に乗り南下すれば、エクアドルまでたどり着きます。帰りは、北赤道海流に乗れば、フィリピン沖まで行き、そこから黒潮に乗れば、日本の南西部にたどりつきます。
<海流図>
これが、冒頭の疑問
「三国志魏志倭人伝では、半年で裸(ら)国・黒歯(こくし)ーエクアドルに行ったというが、どうして半年で行ったことがわかるのだろう。行ったきりなら、わかるはずはないではないか。」
に対する答えにもなります。
ところで、これで、一件落着といきたいところですが、そうは簡単には行きません。実は、この「海賦」は、一般的には、文学としてみられていて、現実世界のことを表現しているとは、みられていません。まして、「倭国」のことを書いていると見る人は、古田氏くらいです。ですから、この解釈についても、「また古田氏の古代ならぬ誇大妄想が始まった」と批判されるのが、せいぜいでしょう。
しかしながら、古田氏の説にも一理あるのです。「持衰」とみられる描写や裸国、黒歯国という具体的国名が、魏志倭人伝と一致していることは、上でお話しました。さらに、ここでは割愛してますが、邪馬台国の状況を描写していると思しき箇所もあります。
また、作者の木華は、陳寿と同時代の人です。当然、陳寿の書いた魏志倭人伝を意識していたことでしょう。あるいは、逆に、陳寿が木華を意識していた可能性もあります。いずれにしろ、同時代人が、同じような描写をしているのですから、両者が、同じ「倭国」「邪馬台国」をテーマとしたと考えて、差支えないでしょう。
となると、「海賦」において、”古代日本人が、南米エクアドルまで行ったのみならず、そこから日本に帰ってきたことを表現している”との仮説の信憑性が高まりますね。
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