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にほんブログ村 神話は、特に非論理的であったり超自然的要素があったりすると、ほとんどの人に「おとぎ話」として無視されますが、私は、神話は、時を経て文脈が失われ…
夢のエベレスト街道トレッキング~ エピローグ(ティハール、光の祭典)
空港からはタクシーでホテルに向かうことになり、無秩序になんとなく客待ちをしているタクシーの群れの中にいたミニバンの一人とRajさんが交渉し、すぐに皆でそのタクシーに乗り込んだ。丁度ヒンドゥーの大きなお祭りの最中で、多くの人々は田舎に帰っていると説明を受けたように、通りにはシャ...
夢のエベレスト街道トレッキング~ Day 9 ルクラ(カトマンズへ)
ルクラ入りした時には、ラメチャップから飛行機に乗っており、そのラメチャップにはカトマンズから車で半日かけて行った。帰りも、あのアップダウンの激しい山道を車で行くのかと思うと気が重かったが、なんとカトマンズまでの便が手配されていた。 体調の思わしくないAmmaのことを思えば、ひ...
夢のエベレスト街道トレッキング~ Day 8 ルクラ(慰労会)
Ammaにも相棒にも、予め慰労会のことを告げていたし、二人ともそれが重要な儀式であることを十分に理解してくれていた。微熱が続くAmmaは怠そうではあったが、そこは肝が据わっているし、出番となるとどんな状態であっても周囲の期待を裏切らずに、求められる役割を立派に果たすことに掛け...
夢のエベレスト街道トレッキング~ Day 8 ルクラ(達磨ストーブ)
ルクラのロッジで、未だ微熱があって寝ている相棒ではあったが、どうしても連絡をしなければならない方たちにメッセージを書いていた。部屋ではwifiが怪しげだったので、食堂に行って確実に送信して欲しいとお願いをされた。 お湯を貰いに行ったり、wifiコードを確認に行ったり、メッセー...
夢のエベレスト街道トレッキング~ Day 8 ルクラ(相棒)
ルクラのロッジは、初めてルクラ入りした時に寄った場所だった。食堂には午後の便を待つトレッカー達で賑わっていて、のんびりとした空気が漂っていた。空港の目と鼻の先なので、飛行機の発着による騒音に悩まされるかと思ったが、二度ほど賑やかになっただけで、その後はひっそり閑としてしまった...
夢のエベレスト街道トレッキング~ Day 8 ルクラへ(神隠し)
Ammaは時々鼻をかむために、立ち止まらねばならなかった。咳込むこともあった。それでも、弱音の一つ吐くでもなく、黙々と歩き続けた。歩くペースは、普段以上に遅くなったと思う。そうしながらも、Ammaは自分の足で歩くことを続けた。 私はと言えば、Ammaの後ろをのんびりと、これが...
夢のエベレスト街道トレッキング~ Day 8 ルクラへ(ダルバート)
Ammaの体調も振るわなかったが、相棒の体調も怪しげだった。二人には、私の病をバトンタッチしてしまったような思いがあったし、一方の私はすこぶる元気になっていた。ルクラまで、無事に歩いて行くためにも、出来る限りのサポートをしたかった。 そこで、荷物を一切背負わないように、私が二...
夢のエベレスト街道トレッキング~ Day 8 ルクラへ(Ammaの矜持)
人にはそれぞれ矜持がある。母は45歳にして大学生3人を抱えた未亡人になるなんて、思いもよらなかっただろうし、しかも、亡くなった旦那の家業を継ぐことになろうとは、考えてもいなかったであろう。 3年間は父の話題を母にすることはご法度だった。母から話題にする分には問題がないが、子供...
夢のエベレスト街道トレッキング~ Day 7 パクディン(祈りと願い)
パクディンのロッジでは、遅い昼食をAmmaと私のみでとったように記憶している。相棒の調子は、ここでも今一つで、確か早々に寝入ってしまったように思う。ダールバートに舌鼓を打つ私の傍で、Ammaは所謂チャーハンに、溶き卵をさくっと焼いただけのシンプルな卵焼きが定番となっているオム...
夢のエベレスト街道トレッキング~ Day 7 パクディン(ドゥードコシ川の瀬音)
部屋に落ち着くと、ごんごんとしたドゥードコシ川の瀬音が耳に入ってきて、ああパクディンに戻って来たのだとの感慨が強くなった。寒空が広がる部屋の外では、もうすぐ日も暮れるであろうのに、男性が洗濯物をしていた。これから干しても乾くのだろうか。 夕暮れ時の凍てつく中、ナムチェのロッジ...
夢のエベレスト街道トレッキング~ Day 7 パクディンへ(ビスターレ、ビスターレ)
相棒は高熱は下がったものの、本調子ではなかった。まるで私の体調の悪さをバトンタッチして、引き受けてもらったようなものであった。実際のところ、本当にそうなのかもしれない。私がフランスから風邪のウィルスを持ち込んでしまったに違いなかった。 加えて気になったのが、喉がおかしいと言っ...
夢のエベレスト街道トレッキング~ Day 6 ジョルサレのロッジにて(考察)
最初の計画ではタンボチェに行き一泊、その後キャンジュマまで下山し一泊、そしてモンジョに戻り一泊、としていた。それがタンボチェには行かずにナムチェに戻ってきたことから、予定していたロッジの手配を再度しなければなかった。 もちろん全てRajさんが手配してくれるので、我々は状況を教...
夢のエベレスト街道トレッキング~ Day 6 ジョルサレ(祈り)
ナムチェを早朝の出発の時点では、37度に熱が下がっていた相棒であったが、次の宿泊場所のジョルサレで、夜になると39度5分という信じがたい数字が出てしまっていた。 シャンボチェの丘 で、私に抱きついて、感極まって泣いた時のことが急激に思い出され、どきりとした。まさか。 ひょっと...
夢のエベレスト街道トレッキング~ Day 5 再びナムチェ(相棒)
冠雪のコンデ山群が見え始めて暫くすると、眼下にナムチェの家並みが見え、ほんの二日前にことなのに、ひどく懐かしく思われた。その日の朝から頭痛はすっかりとなくなっていて、足取りも軽やかに、それこそ飛び跳ねるようにしてカメラのシャッターを切っていた。 行き交うトレッカー達との挨拶も...
夢のエベレスト街道トレッキング~ Day 5 再びナムチェに(シバ神と天照大御神)
シャンボチェの丘を降りてナムチェに戻るのだが、若干距離的には長くなるが、直滑降になってしまう来た時の道を避け、比較的緩やかな道を下って行くとのことだった。実のところ、来た道を戻るのも悪くないとは思っていた。 人というものは、一般に進行方向にある景色を見て歩く。その意味では、通...
夢のエベレスト街道トレッキング~ Day 5 シャンボチェの丘(復活の朝)
一日中寝ていたからだろうか。朝はかっきりと目覚めることができ、Ammaと相棒と一緒に、ご来光とまではいかないが、夜明けの気配が広がりつつある外の世界の扉を開けた。相棒は大切なブルーのクリスタルボールを抱えていて、いかにも彼女が放つ音の粒で朝をもたらすかのように意気込んでいる様...
夢のエベレスト街道トレッキング~ Day 4 シャンボチェの丘(標高3800メートルのお粥)
Ammaと相棒がいつ部屋を出て行って、そして再び戻って来たのか、記憶にない。それでも、「お粥を作ってもらったわよ。」とのAmmaの言葉に驚いたことを覚えている。 Ammaは私が前夜頻繁に下痢でトイレに駆け込んでいたことを知っていた。何か食べないとエネルギーが湧いてこないし、こ...
夢のエベレスト街道トレッキング~ Day 4 シャンボチェの丘(エベレスト御開帳)
Ammaと相棒が朝食に部屋を出て行ってから、何となく気配を感じてスリーピングバッグから這い出すと、ダウンを着てカメラを取ってトレッキングシューズを履いた。相棒が私の名前を呼びながら、窓の外を走っている姿が確認できた。 ビスターレ、ビスターレ。ふらつきそうな身体に活を入れ、それ...
夢のエベレスト街道トレッキング~ Day 3 シャンボチェの丘(明けない夜はない)
リゾートの準備してくれた、自慢のセットメニューとやらをご馳走になろうかと皆で食堂に繰り出していった。Rajさん情報では、ミソスープやら白米が出てくるらしい。そんなの無理にいらないのに、と思うものの、それこそRajさん曰く、「リゾートなので、融通が利きません」とのことだった。 ...
夢のエベレスト街道トレッキング~ Day 3 シャンボチェの丘(今後の相談)
これまで、どこのロッジでも夕食の前にRajさんは何を食べるか聞いてくれて、時間も予め設定していた。従い、時間通りに食堂に行けば、すぐに熱々の食事が出てくるようになっていた。朝食も然り。飲み物も含め前日に予め注文を取り、席につけば、すぐに熱々の飲み物を持ってきてくれていた。 こ...
夢のエベレスト街道トレッキング~ Day 3 シャンボチェの丘(夜の帳)
気を取り直し、そろそろ夕日が沈む頃だろうからと、相棒と二人で外に出てみた。どうやら高台があるようで、そこまで歩いて行ってみた。雲が山並みを隠しながらも、時々、峻険な雪肌がちらりと見えるものだから、そのあまりの壮大さに声が出なかった。 我々二人だけだと思っていたが、誰かが高台に...
夢のエベレスト街道トレッキング~ Day 3 シャンボチェの丘(標高3 800m)
丘の中腹で地元のおばちゃんからアクセサリーを買ってからのシェルパリゾートへの道は、思った以上に時間がかかった。途中で「標高3 775m地点」と明記された水色の看板があった。そこで記念写真をとでも言うのだろうか。 エベレストシェルパリゾートは目の前まで迫って来ているのに、そこに...
夢のエベレスト街道トレッキング~ Day 3 シャンボチェの丘(お数珠)
次に目指すは、二泊することになるシャンボチェの丘にあるシェルパリゾートだった。展望台にいた時にRajさんが、ほら、あそこがそうですよ、と教えてくれていた。目と鼻の先のようでいて、実のところ2時間はかかる道のりで、我々はそれ以上の時間を掛けてゆっくりと近づいた。 一度ナムチェの...
夢のエベレスト街道トレッキング~ Day 3 サガルマータ国立公園(空間の共有)
ほら、あそこの一番端に見えるのがエベレスト。そして、その隣に聳えるのがローツェ。 ぐんと手前の右端にアマダブラムが存在感を持って白く輝いていた。地球の背骨と言われる、世界最高峰となる8000メートル級の山頂には笠雲が芸術的にふんわりと覆っていた。 Rajさんは感動して泣きます...
夢のエベレスト街道トレッキング~ Day 3 サガルマータ国立公園(ゾッキョと相棒)
ナムチェの村の階段を上り、サガルマータ国立公園の入り口に向かって、ゆっくりと歩いて行った。薬局に寄り道をしたからだろうか。道には人影がまばらで、我々4人だけの世界が続いていた。 前夜ナムチェのロッジで旅装を解いたトレッカー達の多くは、高所順応のためにナムチェで一泊する。そして...
夢のエベレスト街道トレッキング~ Day 3 ナムチェの朝(子を抱く母、アマダブラム)
ナムチェを出発しシャンボチェの丘に行く前に、サガルマータ国立公園に寄って行くという。その前に、ナムチェの村の薬局で薬を買いたいと願い出た。カトマンズで買ったアスピリンは、もう二錠しか残っていなかった。 ポーターさんが道案内をしてくれるというので、相棒と二人で、未だ朝早いナムチ...
夢のエベレスト街道トレッキング~ Day 2 ナムチェの夜(まさかの高山病)
高山病に関して、多くの医療機関や厚生労働省が特徴についてとりまとめている。 高山病は標高2,000 m以上の高所で低酸素によって生じる身体症状の総称で、「山酔い」とも呼ばれ1~2日で軽快する軽症の病態から、「高地肺水腫・脳浮腫」や「急性低酸素症」のように早急に治療を必要とする...
夢のエベレスト街道トレッキング~ Day 2 ナムチェへ(冠雪のクスムカンガル峰)
標高2800メートルとなるジョルサレでランチ休憩となった。テラスに腰を下ろすと、太陽がぽかぽかと背中を温めてくれて気持ちが良かった。ビスターレ、ビスターレ、ゆっくり、焦らず、マイペースで、とRajさんが呪文のように唱えてくれるので、疲れを感じることもなく問題なくたどり着いたと...
夢のエベレスト街道トレッキング~ Day 2 ナムチェへ(ジャパン トキオ)
トレッカー達の朝は早い。山では午後から天候が崩れることも多く、また、出来るだけ早いうちに出発し、早めの時間帯に目的地に到着し、宿を確保しようとの思惑も背景にある。しかも、エベレスト街道は一つだけであり、主要な場所では皆が同じ道を通る。従い、出発時は賑やかな混雑状態になるのが常...
夢のエベレスト街道トレッキング~ Day 2 ナムチェへ(渓谷の朝)
今回のトレッキングルートの中で、最初の山が距離的に8キロ程度となるパクディンからナムチェへ到る道だった。出発地点のパクディンは標高が2 610 m程度だが、到着地点のナムチェは標高が3 440 mとなる。しかも、2本の吊り橋で有名な「ヒラリーブリッジ」を過ぎてからナムチェまで...
夢のエベレスト街道トレッキング~ Day 1 パクディン(林檎と蜜柑と柘榴)
パクディン自体が川に沿って出来た集落なのだろう。ロッジは村の奥の高台にあり、崖下にはヒマラヤの氷河を源流とした、鉱物を多く含み乳白色をしたドゥードコシ川が音を立てて流れていた。スイスのマッターホルンの麓に流れる川と同じ色をしていて、なんだか懐かしく思われた。 Rajさんがパク...
夢のエベレスト街道トレッキング~ Day 1 ルクラからパクディン(画像バージョン)
ルクラのロッジ。これからエベレスト街道にて、カラパタールやゴーキョピークなどそれぞれの目的地に向かってトレッキングを開始する前に立ち寄った人々でごった返していた。前回は悪天候で飛行機が飛ばず、このロッジに4泊したとはRajさんの言。 ロッジの多くは、大きな食堂の窓際に沿っ...
夢のエベレスト街道トレッキング~ Day 1 ルクラ(チベット仏教の世界に)
世界一危険な空港としてその名を馳せるルクラだが、確かに滑走路は驚く程短く、着陸時にはジェットコースターに乗っている様な気分で、気が付くと目の前に座っている相棒の座席にしがみついていた。 もともとジェットコースターの類は子供の頃から苦手だった。ところが、相棒ときたら遊園地が大好き、...
夢のエベレスト街道トレッキング~出発編 ラメチャップ(恋に落ちて)
ラメチャップの空港は、お宿から目と鼻の先だった。未だ暗い中、空港に近付くとトレッカー達が賑わっていて、ペルーのマチュピチュ行きの電車に乗る駅を思い起こさせた。と、中型車が柔らかなクラクションを鳴らし、すっと隣に寄って来た。Rajさんが何か話している。運転手がにこやかに手を振るもの...
夢のエベレスト街道トレッキング~出発編 ラメチャップへ(人生観)
カトマンズからラメチャップへの道は、前半は比較的平坦な道だったが、後半になるとアップダウンが激しく、時に山を駆け上がり、時に駆け降りる、スピンのきついカーブあり、と、ジェットコースター並みだった。これが夜中の運転だったら、どんなに恐ろしいことだろうと思い、日中に出掛けることに...
トランジットをしたデリーの空港で非常に乱暴で高圧的なセキュリティ検査を受けた後だったからだろうか、カトマンズ空港のセキュリティ検査は非常にのんびりとしていて、ビザの取得もスムーズで、拍子抜けしてしまった。心配していた荷物も、そんなに待たずにターンテーブルに載せられて出てきた。...
マチュピチュの時 もそうだった。母は「あなたが計画しないなら、ママ一人で行ってくるわ。」そう言い放つのだった。ちょっと待ってよ、私も行くわとばかりに慌てて企画し、バッタ達も引き連れて皆でインカ帝国の魅力の虜になったのが、早6年前。 母のバケットリストには「 アンコールワット ...
フォローしている登山YouTuber「かほの登山日記」。最近の挑戦が凄い事になっていると思っていたら。とうとうヒマラヤのマナスル登頂に向けて旅立って行った。正…
『黄金色に輝く山』『8年前2015年1月30日朝7時「真っ赤な日の出と黄金色の山」を観る』『ネパール・アンナプルナ山群の想い出』*「記事書き」はBanff,Canada
今日は2023年1月30日(月) *「記事書き」はBanff,Canada 天気;晴れ(バンフ) 今日のバンフ気温予報<最高−12℃ 最低−21℃> 「黄金色に輝く山」って「本当にあるのか?」と私は思っていた「8年前の2015年1月29日〜31日」ポカラから地元バスに乗り そこからの「ミニトレッキング」場所はKande村から登り始め「Australian Camp」で宿泊トレッキングをしている時には 誰もが「日の出を拝みたい」と思うこの1月30日も...
わたしは 行く あの上り坂を空気の薄さ その耐え難さを視界に入ってくる山々の稜線や谷川の水の流れに溶かしていくわたしの歩む道は 天にむかう道ではなく、どこまでも 透明な風がたどる跡を追い求めるようなもの谷川の白く泡吹く水のながれそのなかを 何億年と ころ
ヒマラヤの旅の思い出。ゆっくりなだらかな岩道を歩き、右に左に、沢や滝や川をながめながら、清冽な流れに心を奪われます。やがて段々と登りに入り、ふと気が付くと、一歩一歩がキツく、上を見れば途方もない断崖絶壁のような山々。あまりにも果てしなく、20メートル
イギリス領インド帝国時代に出てきた国境線マクマホン線やアクサイチン領土権問題と実効支配線とやチベットとカシミールの領土の解釈の違いや、年表で見る主なできごとを確認します。