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<鉢形城>の”城門”を巡る-豊臣勢に攻められた”北条氏邦”が守備したお城に四脚門が再現
只今、城郭建造物の一つであります「城門」(『全国「城門」を巡る』シリーズ)をお届け中です。「城門」については、『全国「城門」を巡る”はじめに”』において、簡単…
歴史人「戦国最強合戦ランキング」!関ヶ原も本能寺も、家康も秀吉も、見慣れない戦も⁉
こんにちは。夢中図書館へようこそ!館長のふゆきです。 今日の夢中は、歴史人「戦国最強合戦ランキング」!関ヶ原も本能寺も、家康も秀吉も、見慣れない戦も⁉です。「夢中図書館 読書館」は、小説
たま〜に観たくなる。戦国アニメ BRAVE10(ブレイブ10)について
戦国アニメ BRAVE10(ブレイブ10)がちょっと好きな私です。 そんな私が思っている、このアニメの魅力的なことをお話しします。 戦国アニメ BRAVE10(ブレイブ10)について BRAVE10 第1巻/アニメーション【返品種別A】po
京都府山城郷土資料館で開催されていた特別展「南山城の戦国時代」に足を運びました。一見すると立派な建物ですが、展示内容は地域に密着したものが中心で、特別展も常設展も非常にコンパクト。それでも、この地域の歴史や文化を大切に思う地元民に愛され、後世にその価値を伝えるための拠点として機能しているように感じました。この看板に描かれた肖像画は、山城国一揆を組織した国人衆の一人である狛山城守秀の子孫、狛左馬秀綱...
たとえば、病死・自然死・事故死・戦死・その他諸々あるが、その死因が何であったにせよ、主君が亡くなった場合に家臣・従者や近親者などがその死を悼んで「追い腹を切る」、いわゆる「殉死」なんてことは「戦国時代」にはなかったようだ。この時代に戦さ以外の理由で死んで
戦国時代におけるキリシタン信仰普及の真相を探る ~乱世におけるメシア思想の視点から
1.キリスト教伝来と禁教化 2.キリスト教の急拡大には弥勒菩薩への信仰がかかわっていた? 3.日本のマリア信仰の背後には如意輪観音信仰あり? 4.豊臣秀吉による「弥勒の世の到来」、そして禁教へ 5.京都市内のキリシタン関連史跡から推測する女人救済との関係 1.キリスト教伝来と禁教化 ↑の画像は京都府京都市下京区にある「フランシスカン・チャペル」です。ここは豊臣秀吉によるキリシタン弾圧の象徴として知られる1597年に起こった「日本二十六聖人」発祥の地とされています。↓が説明板。 彼らは長崎に連行されて処刑されるのですが、説明板にあるように後にローマ教皇ピウス9世によって1862年に列聖されていま…
戦国武将が大好きな某小説家さんとお話しする機会があったのですが、もう瞳をキラッキラに輝かせて「戦国武将、誰が好きですか!?」と直球の質問が飛んできました。いやぁ、戦国好きの人と話すと、自然とそういう展開になるんですよね。笑ただ、私は答えに詰まってしまいまして・・・。「誰好きって言われてもなぁ・・・」と少々困惑。だってさ、戦国武将って現代にいたらバリバリの凶悪犯、いや、もしかしたら終身刑コースの人た...
地図(小口城の戦い) 合戦概要 小口城の戦い開戦時期1562年7月(永禄5年6月下旬)発端領地問題で織田信長と織田信清の関係が悪化。信清が美濃斎藤氏と通じ、離反する決着信清方の小口城内まで信長の小姓衆らが攻め込むも、落とせずに撤退交戦勢力&
地図(桶狭間の戦い) 合戦概要 桶狭間の戦い開戦時期1560年6月12日(永禄3年5月19日)発端今川義元が鳴海・大高城を占領し、尾張に侵攻。松平元康を先陣に攻め寄せた。決着多大な犠牲を払いつつも、戦況を制した織田信長の勝利交戦勢力&nbs
現在では、工場作業や現場作業はたまたバイクに乗るときなどは、多くの場合、頭を守るヘルメットの着用が義務付けられている。「頭部」は人体で最も大切で、しかも脆弱な部分でもあるからだ。しかし、丈夫さを優先させるあまりそれがデカすぎたり重すぎたりしたのでは動作な
室町末期〜安土桃山時代のおよそ40年間を年表で追って、織田信長と豊臣秀吉の有名な戦いや政策をまとめて復習。2人の戦いや政策を比較して見ていくとより覚えやすい!
男性、女性関係なくできるのが断捨離!ごきげんな自分を見つける旅をご一緒に! 訪問してくださいましてありがとうございます 沖縄県在住のやましたひでこ公認断捨離…
地図(村木砦の戦い) 合戦概要 村木砦の戦い開戦時期1554年2月25日(天文23年1月24日)発端水野氏攻略を目論んだ駿河勢が鴫原城を攻め落とし、村木に砦を築いた決着今川軍が降伏。多大な犠牲を出しつつも、織田軍の勝利となる交戦勢力 織田軍
室町時代の初期と後半にあたる南北朝時代・戦国時代について、『期間』『関わった人物』『起こった理由』などのポイントを年表を見ながら押さえていきます。視覚からも情報をインプットすると、時代の流れをしっかりつかめて覚えやすい!
SHOGUN(将軍) 2023年公開(アメリカ合衆国) 原作 ジェームズ・クラヴェル 出演 真田広之 コスモ・ジャーヴィス アンナ・サワイ (画像はイメージ用) 完全に大人向けのドラマ。エログロ有りなので…! カテゴリーはドラマですが、内容は大作映画そのもの。 日本の1600年...
地図(浮野の戦い) 合戦概要 浮野の戦い開戦時期1558年8月25日(永禄元年7月12日)または1557年8月6日(弘治3年7月12日)発端岩倉城主の織田信賢が、織田信行(信勝)と共謀し、信長の直轄地を横領しようと企て、反信長の姿勢を明らか
【レビュー】『織田信奈の野望』の丹羽長秀は100点です【アニメ版】
『織田信奈の野望』のアニメを拝見しました。だいぶ今更感はありますが、ヒロインの織田信奈をはじめ、とっても可愛くなっちゃった戦国武将をご紹介します! 登場する武将 織田信奈尾張を支配する織田家当主の姫大名。誰もが認める美少女だが、振舞いからう
地図(稲生の戦い) 合戦概要 稲生の戦い開戦時期1556年9月27日(弘治2年8月24日)発端柴田勝家・林兄弟らが信行を盛り立て、信長直轄地の篠木三郷を強奪決着信行方の柴田勝家敗走、林通具をはじめ多数討死によって信長方の勝利交戦勢力 織田信
【レビュー】谷津矢車『信長様はもういない』に気づかされる【歴史小説】
谷津矢車先生の『信長様はもういない』を拝読しましたので、感想をばしたためさせていただきます。 こんな人にオススメです 読みやすい文体の時代小説を探している 山崎の戦い~小牧長久手の戦いあたりのお話が読みたい 池田恒興が好き 自分の考え方を見
地図(萱津の戦い) 合戦概要 萱津の戦い開戦時期1552年9月4日(天文21年8月16日)発端坂井大膳ら織田大和守家の重臣が松葉城・深田城を襲撃。両城主を人質とした決着織田大和守家側が降伏 松葉城・深田城ともに明け渡される交戦勢力 
愛智拾阿弥という戦国時代の人をご存じでしょうか。織田信長に同朋衆として仕えた人です。 同朋衆とは、主人の側に仕えて芸能や雑務をこなす職。小姓と同じ近習で、しばしば混同されますが、厳密には役割が違うともいわれています。 真面目な記事であれば、
【レビュー】きっと丹羽家が好きになる!蓑輪諒『うつろ屋軍師』【時代小説】
このたび蓑輪諒先生著の時代小説『うつろ屋軍師』を拝読したので、ご紹介します。 こんな人にオススメです 読みやすい文体の時代小説を探している 北陸方面の関ケ原の戦い(前哨戦)が読みたい! 丹羽家や丹羽家家臣を題材にした小説を探している 丹羽家
地図(安食の戦い) 合戦概要 安食の戦い開戦時期1554年8月16日発端織田大和守家が尾張の守護・斯波義統を殺害。義統の子・義銀が信長を頼って那古野城へ決着織田大和守家の重臣たちが討死。柴田勝家側の勝利となる交戦勢力 柴田勝家軍&
#東奥見聞録 【ゆっくり解説】シリーズ・武将(男)の名は九戸政実 第二回『奥州擾乱、独眼竜の火遊び』
・ 【ゆっくり解説】シリーズ・武将(男)の名は九戸政実 第二回『奥州擾乱、独眼竜の火遊び』 東奥人と申します。…
~宇宙の中心である中国王朝の文化・思想のみが最高のものであり、 それを持たない周辺(辺境)の異民族は単なる野蛮人に過ぎない~こうした受け止め方を「中華思想」と呼ぶ。そして、この「中華思想」がハンパな物でないことは、その東西南北四周の異民族に対する呼び方に
主人の希望で行ってきました。 去年の大河「どうする家康」の特番か何かのNHKの番組で記念館を知って、戦国時代が好きなので行きたかったみたい。 私は、戦国時代は詳しくないけど、戦国無双にははまって、昔は主人と二人で徹夜で寝落ちしたのは良い思い
聖武天皇の時代は、飢饉や反乱、疫病が次々と襲いかかり、まるで「次はどんな厄災が来るんだ?」と神様に試されているような日々でした。そんな中、聖武天皇は「こんな世の中、仏にすがるしかない!」と決意し、仏の力で国を守るための「鎮護国家」を祈念することにしました。741年、天皇は全国に向けて国分寺建立の詔を発令。「いいか、お前たち、七重塔を持つ立派な僧寺と尼寺を作れ。そしてその塔の中には、金光明最勝王経と妙...
これまでまったく無頓着だったのですが、ひょんなことから「戦国時代の三大梟雄」 なんて見方があることを知りました。 でもなんですか? その聞き慣れない「梟雄」(きょうゆう)って? 文字通りに「梟」(ふくろう)の「雄」(オス)のことかと思いきや、実はこんな 説明になっていました...
一般的に関ヶ原の戦いにおいての西軍の敗因は、小早川秀秋の裏切りによるところが大きいと考えられています。確かに決定打となったのは秀秋の裏切りといえるかもしれませんが、他にも多くの敗因が存在しますので、ここにまとめてみました。
関ヶ原の戦いにおいて、小早川秀秋、吉川広家の裏切りは勝敗に大きな影響を与えましたが、その他にも西軍総崩れの引き金となった裏切りがありました。脇坂安治、朽木元綱、小川祐忠、赤座直保らの裏切りです。
『摩阿と豪』の作者と同じ『ちよぼ』読み終えました。なんというかヒロインちよぼに感情移入出来ずにそそくさと読み終えました。理由はちよぼの正妻まつへの言動に違...
田辺城の戦い~教養は大軍より強し!?わずか500の兵で15000の大軍を釘付け!?~
「田辺城の戦い」は畿内(当時、日本の中心地であった山城、大和、河内、和泉、摂津、5ヵ国の呼称)近国の制圧を目指す西軍、小野木重次、前田茂勝、織田信包ら豊後の諸大名を中心とした1万5000の軍勢と細川家との間で行われた籠城戦です。
五大老の一人で、関ヶ原では副大将として17,000人という西軍最大の軍勢を率いて主力として戦った宇喜多秀家でしたが、実はその多くが浪人(牢人)達で編成された寄せ集めの軍勢でした。
小早川隆景は兄の吉川元春と並び「毛利両川」と謳われ毛利家の発展に大きく貢献し、また秀吉からも高く評価され、豊臣政権の最高役職である五大老に任じられました。知略に優れ、天才軍師の黒田官兵衛をして賢人と言わしめた人物です。
【真田昌幸】天文16年(1547年)~慶長16年(1611年)享年64歳武田勢において屈指の知将であった真田幸隆(幸綱)の三男として生まれた昌幸(幼名、源五郎)は、幼少の頃よりその才能を見出され奥近習衆(信玄の側近中の側近)に抜擢され英才教
大谷吉継は越前敦賀を治めた大名で、豊臣秀吉の家臣で石田三成の盟友でもありました。名将として知られ、戦場でも内政でも類稀な才能を発揮して秀吉の懐刀として重宝されました。また戦国を代表する義将としても有名です。
若い頃沢山読んだ歴史小説。読書の習慣がなくなってから長い年月がたちました。以前活字を読んで理解、喋り言葉でお客様に伝える仕事をしてました。今思えば精神的に...
一般的に石田三成といえば戦下手で三成の軍勢は弱いといったイメージがありますが、一概にそうとはいえない部分があり、事実、その配下には勇猛で名を馳せた武将が数多く存在します。
関ヶ原の戦いは、関ヶ原での本戦をはじめとして日本各地で合戦が繰り広げられました。その為、もう一つの関ヶ原と呼ばれる戦いが多数存在しますが、その中でも特に興味深いのが天才軍師と呼ばれた黒田官兵衛(孝高・如水)の九州においての戦いです。
関ヶ原の戦いの勝敗を決定づけたといっても過言でない小早川秀秋と吉川広家の裏切り。この二つの大きな裏切りには共通した陰の仕掛け人がいました。関ヶ原の戦いでの西軍にとって最大の裏切り者、そして東軍にとっての最大の功労者とは!?
関ヶ原の戦いで裏切り者と言えば真っ先に小早川秀秋の名が挙がると思います。確かに勝敗を決定的にしたのは秀秋ですが、関ヶ原の戦いでは他にも多くの裏切りがあり、中でも秀秋に匹敵する程、戦いの勝敗に大きな影響を及ぼした、もう一つの裏切りがあります。