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ニュースでは大雪と騒いでいるらしい。正直なところ、例年並みというのが実情である。雪の降り方は場所によって相当異なる。同じ市内でも多いところもあれば、少ないところもある。これを「東北地方」だとか「日本海側」という括りで評価することは不可能に近い。例年通りの振り方ではニュースバリューにならないので、できれば豪雪という報道をしたい。それが実情だと思う。全国ニュースでは「困ったら酸ヶ湯山系」となっている。「青森県の酸ヶ湯山系では、この時期として異例で積雪◯mを超え〜」とやっていたら、通常運転と考えて間違いない。山形県の肘折も同様だ。一般的な地域でトピックが少ないから安定した豪雪の両地域を強調するのである。はっきりいえば、酸ヶ湯は温泉とスキー場しかない場所であり、一般住民が暮らす場所ではない。あの八甲田山の近くであ...雪帽子のある光景
福島県の旧・東和町(現・二本松市)の写真である。福島遠征シリーズ最後の写真だ。東和町といってまず思い浮かぶのは、岩手県の旧・東和町(現・花巻市)だ。土沢という大好きな街があるところであり、もう頭の中で地図を再現することだって出来る。僕の中では至高の東和町である。また宮城県にも旧・東和町(現・登米市)があった。登米市は9つの町が合併して出来た市である。当然すべての町に行ったのだけれど、旧・東和町がどんなところだったのか正直覚えていない。そして今回は福島の旧・東和町。それなりに雰囲気のある町だったことは間違いない。でも一月もしたら他の町と区別が付かなくなっていると思う。これはもう仕方ない。町を軽視はしていない。僕の記憶容量が限られているのだ。全ての町を鮮明に記憶することは不可能である。だから僕は写真を撮る。写...ここに来れて良かった
前段が多くなったが、いよいよ郡山の夜。時間帯と場所にもよるだろうが、街は以前のような騒々しいイメージはなかった。僕が歩いた場所では呼び込みなどの姿も見かけなかった。チェーン店、地場店、様々な店もあった。ここが出張で泊まった場所であれば、特に不満はないだろう。でも今回は忖度なしの評価をする。これは街自体の評価ではなく、僕と街の相性に対する評価である。結論からいえゔぁ、今後の福島訪問で郡山を拠点にすることはないと思う。位置的にも交通的にも絶妙な場所であることは確かだ。過不足なく夜を楽しむこともできるだろう。でも過不足なく夜を楽しむために泊まるわけではないのである。今回は楽しかったにしろ次は無いと思う。拠点とするには、いささか賑やか過ぎた。もう少し落ち着いた街で、ボロ宿を探すことにしよう。その気持とシンクロした...シカゴ郡山(終)〜さようなら郡山
僕が持っていた郡山の騒々しいイメージ。駅前の繁華街には客引きが溢れ、平均すれば10メートル毎に一人が声を掛けてくる。もう四半世紀前の出張時のことである。確かに当時はそういう繁華街が多かった。それにしても郡山の客引きは見るからに胡散臭く、無下に断ると悪態をついてくる始末だった。それが鬱陶しく食事をする店選びも適当になり、美味しいものを食べた記憶もない。食事が終われば、下世話な風俗店の呼び込みがまた付いてくる。きっと今でもそうなんだろうと思っていた。まずは陽の高いうちに繁華街の町並みを撮ろう。西陽が差す町に繰り出した。うん、まあ昼間は普通の街だ。何となくだけど、素っ気ないビルが乱立した繁華街だとばかり思っていた。意外なことに古い昔ながらの飲食店(の建物)も残っていた。もっとも十年くらい前に営業を辞めたような店...シカゴ郡山②〜風情の残り香
福島県郡山市である。今後、福島コンプリートを進める上では、拠点となる地(宿泊地)が必要だ。岩手県では花巻の鉛温泉が、宮城県では鳴子温泉がその役を果たしてきた。広大な福島県を廻るには、郡山を中継地とすれば効率が良い。そう見当をつけている。郡山には前職の京都での会社員時代にも何度か出張で訪れている。正直、風情に欠けた騒々しい街というイメージだった(郡山市民の方、すいません)。東北のシカゴという異名を持ち(シカゴ市民の方もすいません)、治安もよろしくないと聞く。東北に移住してからも何度かは来ているが、正直敬遠していたのが実情だ。そんな郡山で宿を取り、写真を撮った。街の雰囲気は実際、どうだったのか。一切の忖度なしで書こうと思う。詳細は次回以降にて。ちなみにタイトルは「パリ、テキサス」をもじったもので、「シカゴ、コ...シカゴ郡山①〜イメージからの脱却
福島方面に一泊二日の遠征に行ってきた。それは旅行(物味遊山)ではない。便宜的に「旅」とも表現するが、少し違うような気もする。今後も増えるであろう福島方面への外出、つまりは東北コンプリートへの挑戦は、「遠征」という表現がしっくりくる。今回の道中では、5つの新たな町を巡った。①川俣町、②大玉村、③旧・白沢村(本宮市)、④旧・岩代町(二本松市)、⑤旧・東和町(二本松市)の5つである。全く全貌の掴めなかった福島コンプリートも道筋は見えてきた。それでも全92市町村に対し、現状では約35の市町村にしか行けていない。ほぼ日帰りは不可能なので、拠点となる宿(温泉付きのボロ宿が理想)も確保しないと達成は無理だろう。今回の遠征は大雪の最中であり、道路事情も心配された。でもそんなことを心配していては到底コンプリートなど達成でき...福島コンプリート経過報告〜川俣町の光景
道沿いの町並みを楽しみながら伊勢神宮内宮の入り口に向かって歩いていきます。 ↓(左)前回来たときは燕が多かったのですが、今回は鳩が何羽もいました。(写真中央に1羽) (右)近年可愛い系のお店が増えています。他にもスヌーピー専門店や、ミッフィー専門店など。 ↓お店の外に...
深い意味はない。2025年になってから撮影した町並みの写真であり、山形県鶴岡市に初詣に出かけたことを除けば、秋田市でしか町並みの写真を撮っていない。1月4日の街の光景を掲載した。まあその「街」は僕の好みの場所だけれど・・・。X-PRO3/VoigtlanderNOKTON23mmF1.2Aspherical2025年の秋田市①〜好みの場所の光景
HakoneYumoto,HakoneTown,KanagawaPref.さてさて、箱根の玄関口とも言うべき「箱根湯本」に立ち寄ったワタクシ達は、少しの時間ですが温泉街を散策することにしたのでした。箱根湯本駅の駅前には国道1号線が通っているのですが、ここを1月2日と3日に箱根駅伝のランナー達が走るんです。出場する大学の垂れ幕などがありまして、駅伝の盛り上がりがすでに始まっているようでした。箱根温泉郷にはいくつもの温泉があるのですが、箱根湯本が最も古い温泉地だそうです。歴史を感じさせる温泉宿が何軒もありました。この温泉街に宿泊して、箱根駅伝を見る人も多いのでしょうね。温泉街の奥まった場所に「早雲寺」というお寺がありました。早雲寺は臨済宗大徳寺派の古刹です。1521年に北条早雲の息子氏綱により創建されました。...温泉街を散策-神奈川県箱根町:箱根湯本
TakegawaraHotSpa,BeppuCity,OitaPref.さてさて、二日続けてgooブログがまともに見ることが出来ない状態でした。今日は昨日のブログをもう一日続けています。中にはこのブログを昨日見た人もいるかと思いますが、gooブログで大きなトラブルが起こっていたのでご了承くださいね。別府に来たのに温泉に行かずに帰るわけにはいきません。この日は竹瓦温泉という外湯に行こうと思い、そちらに向かっていきました。すると、竹瓦温泉の側に何ともレトロなアーケード街があったんですよ。ここは「竹瓦小路」といい、大正10年に完成した日本最古のアーケードなんです。旧別府港に着いた観光客が、雨に濡れずに竹瓦温泉に行けるようにすることが目的で作られたそうです。「別府温泉関連遺産」として平成21年に近代化産業遺産に認...入浴料は…無料-大分県別府市:竹瓦温泉
いい蕎麦屋にめぐり合いました-大分県別府市:「手打ちそば にはち」
“TeuchisobaNihachi”,BeppuCity,OitaPref.さてさて、ワタクシは昔ながらの雰囲気を残す、別府の歓楽街を歩いていました。昭和の温泉街ってこんな感じやったなぁ…そんなことを思いながら、ワタクシは歓楽街を歩いていました。昭和の時代って、温泉は「男性の遊興の場」という側面が強かったですね。ですので、温泉街には結構いかがわしいお店があったような気がします。ここにもこのような映画館がありました。しかし、今の時代にこのような映画をわざわざ見に行く人がいるんですかね。ネットで簡単にエロ動画を見ることが出来る世の中ですからねぇ。別府を散策しているうちに、気がつけばお昼の12時になっていました。ワタクシ、「どこか美味そうな店があったら昼飯にしよう」と思い、適当なお店があったら入ろうと思いなが...いい蕎麦屋にめぐり合いました-大分県別府市:「手打ちそばにはち」
BeppuCity,OitaPref.さてさて、今日は新たな一年の始まりですね。今年も拙いブログですが、どうかよろしくお願いします。それでは、昨日のブログの続きを始めさせていただきますね。ワタクシは朝から臼杵の町を散策したのですが、時間はまだ11時前でした。もう一ヶ所どこかに立ち寄ろうと思ったのですが、ちょうど日田市への帰路に別府市を通ります。別府に立ち寄って温泉に浸かって帰ろうと考えたんです。駅前の駐車場に車を停めて、駅の観光案内所に地図をもらいに行ったのですが、駅前に何ともユーモラスな銅像がありました。これは別府観光の生みの親と言われている「油屋熊八氏の像」で、満面の笑みで、高く両手を挙げたポーズは、別府駅に降り立つとまず目に入ります。油屋氏は別府を観光地にしようと、別府港に桟橋を作る運動をしたり、観...古き良き温泉街へ-大分県別府市
UsukiStation,UsukiCity,OitaPref.さてさて、今日はいよいよ大晦日ですね。今年もあっという間に一年が過ぎ去っていく気がします。今年もワタクシのブログを訪ねていただいた皆さんには感謝の気持ちでいっぱいです。臼杵市街地の中心部に、「八町大路」と名づけられたメインストリートがあります。長さは300数十メートルの商店街ですが、電線を地中に埋めたために空間がすっきりとした感じがします。ワタクシは商店街をウロウロと歩くのが好きで、ちょっと散策してみることにしました。八町大路に鑰屋(かぎや)という老舗の醤油屋さんがありました。創業は慶長5年ですから西暦1600年、関ヶ原の戦いの年ですね。九州に来て食事をして驚いたことの一つが、醤油がすごく甘いんですよ。その甘みがあるから、煮物などを作るのには...駅を訪ねて-大分県臼杵市:JR臼杵駅
Nioza,UsukiCity,OitaPref.さてさて、ワタクシは大分県臼杵市を訪れていましたが、臼杵の上町の南側に二王座(におざ)という一角があるんです。二王座を東西に通る石畳の小道は「二王座歴史の道」とよばれます。ワタクシはここを訪ねることにしました。阿蘇山の火山灰が固まってできた凝灰岩の丘があり、そこの岩を削り作った細道が「二王座歴史の道」です。このエリアは城下町らしい佇まいを残す地域だと聞きました。ではでは、二王座を散策するとしましょうか。二王座は武家屋敷が立ち並び、多くの寺が集まっている地域で、城下町の雰囲気を今もとどめています。石畳と石垣の調和のとれた建物が、日本の伝統的な町の美しさを醸し出しますね。そうそう、ここ二王座は短い期間ですが春日局が暮らしていたことでも知られています。言うまでも...歴史を感じる道-大分県臼杵市:二王座
UsukiCity,OitaPref.さてさて、初めて大分県臼杵市を訪ねたワタクシは、貿易と醸造で栄えた「町八町」と呼ばれる地域に向かいました。この界隈は昔ながらの区割りが残っており、狭い道幅の道が続きます。古い建物があちこちに残り、初めてこの町を歩く私には歩くたびに新しい発見があるのが楽しいのです。古い建物を改築したり、リノベーションしたりしているお店もありました。ただ、悲しいかな…ワタクシはいつも早い時間に行動するために、まだ多くの店舗の営業前の時間なんですよ。白壁、うだつ、なまこ壁…大好きな光景がこの町にありました。外国の町には外国の町の良さがあり、日本には日本の町の良さがあります。ワタクシにとって「古き良き日本」の風景を感じられる場所を訪ねることは、この上ない喜びなんです。町を歩く時、ワタクシの特...アズレージョと白壁-大分県臼杵市
UsukiCastleRuins,UsukiCity,OitaPref.さてさて、いよいよ年の瀬となりました。ワタクシ、年末年始には家人の実家である大分県日田市に行くことが多いのですが、今年は10月に義母と義姉が大阪に来てくれたので、今年は帰省をやめました。ワタクシ、ブログを中断していた2019年12月末にも帰省をしていたのですが、帰省した翌日の12月29日は、ワタクシは自由な時間があったので、この日は臼杵と別府を訪ねることにしました。朝の7時半に日田を出発し、9時ちょうどに臼杵に着きました。臼杵はキリシタン大名としても有名な大友宗麟が築城した臼杵城の城下町として栄えた町で、大友時代の南蛮文化、キリシタン文化の歴史を感じることができます。まずは「臼杵城址」を訪ねることにしました。キリシタン大名として有名な...豊後の城下町-大分県臼杵市:臼杵城址
それにしても酷いタイトルだ(笑)。今回、石鳥屋に来たのは久々の定点観測に加え、お酒を買うためである。石鳥谷は南部杜氏の里と呼ばれ、日本酒造りが盛んな町でもある。少し前にブロ友さんの記事を拝見し、七福神という酒を飲みたくなった。お正月用に購入した。こうなると「酒を買うことをダシに、街で写真を撮る」のか、「街で写真を撮ることをダシに、酒を買う」のか、自分でも分からなくなる。石鳥谷の町には清々しいほど誰も歩いていなかった。この町は亡き上原師匠推薦の町であり、ここに来るたびに僕は少し緊張する。もうフィルムカメラを使うことは滅多にないが、気持ちだけはネガフィルムに寄り添って撮影した。X-PRO3/XF23mmF2RWR石鳥谷で街撮りや
JinaimachiTown,TondabayashiCity,OsakaPref.さてさて、富田林市の「寺内町」の散策を、ワタクシは楽しんでおりました。ワタクシは歴史が好きなので、城下町、宿場町、門前町のような歴史を感じることが出来る町を歩くのが好きです。当然ながら寺内町もワタクシにとっては散策するのが楽しい町並みです。前にも書きましたが、浄土真宗などの寺院(御坊)を中心とする寺内町は、関西の周辺に多く造られました。その中で富田林の寺内町は、寺内町がそのまま地域の商業の中心地となって発展した例で、全国的にもまれと言っていいほどの極めて大規模な古い町並みが残っています。ここは女性専用のゲストハウスのようですね。あまりレンズを向けていると、不審者と思われかねませんな。古民家の前に可愛い猫のオブジェがありまし...熱いチャイをいただきました-大阪府富田林市:寺内町
24日の午後から、今朝まで風邪でダウンしていた。コロナとインフルエンザは陰性。喉が痛くて飲み物を飲むのも辛かった。全快ならずも、今朝は大分マシになった。普段は珈琲を飲みながらブログをアップするけど、ホットミルク片手に更新している。さて、花巻編の最終回(作成済なのにアップロードする気力がなかった)です。僕は花巻の中心部を大きく3つに分けている。①駅前周辺、②市役所周辺、③マルカンデパート周辺、の3エリアである。本当は更に細分化しているので、いささか乱暴な区分けにはなる。でも大まかには3つだ。3つ全てを歩けば、丸一日コースとなるので、大抵は一つか二つのエリアを歩く。悪いことに気になる物件は均等に分散しており、①のエリアを歩いているときに、突然③のエリアの物件の写真を撮りたくなったりする。写真撮りにとっては幸せ...花巻温故知新(終)~エトセトラ、エトセトラ
JinaimachiTown,TondabayashiCity,OsakaPref.さてさて、ワタクシは富田林市にある「寺内町」を興味深く歩いていました。ここ数年、寺内町に新しい変化が起こっています。古民家を若い人たちがリノベーションして飲食店や雑貨屋などが年々増えてるんです。この建物は地元の食材だけを使ったイタリア料理のお店です。一度行ってみたいなぁと思っているのですが、値段もそれなりにするのでまだ訪れたことが無いんですよ。こちらはアンティークショップです。ワタクシは骨董品に興味がないというか、骨董品の価値がわからないのでアンティークショップで商品を買った記憶がありません。いつも思うのですが、骨董品のお店ってさほどお客さんがいるわけでもないのに、どうして採算が取れるんですかね。寺内町にある一番大きな古民...「カムカムエブリバディ」のロケ地-大阪府富田林市:寺内町
ここも恋焦がれる花巻スポットである。街中のエアポケットのような立地にあり、いくらGoogleマップ(ストリートビュー)を眺めても決して検索することは不可能な場所だ。縁がなければ一生足を踏み入れることはないだろう。僕は何かの縁に導かれ、初めて花巻の街を歩いたその日、わずか十数分で此処に辿り着いた。それはちょっとした奇跡だと今でも思っている。小っ恥ずかしいけど、僕が花巻と恋に落ちた瞬間だった。初めて見た時点で、テル美容室は閉店してから長い時間が経っていることは明らかだった。それでも、その佇まいからすぐに分かった。少しだけ昔、お洒落な花巻娘(今では大々お姉様)は、この店に集っていた。新しい髪型、流行のセットをここで整えていたに違いない。花巻の流行はこの場所から発信されていたのだ。今では店は眠りにつくけど、往時の...花巻温故知新②~花巻モード
JinaimachiTown,TondabayashiCity,OsakaPref.さてさて、自宅から歩いて富田林市に向かったワタクシは、歴史を感じる「寺内町」を訪れました。この日は放射冷却で冷え込んだ朝となりました。でも、歩いている時には冷気が心地いいんですよ。昨日のブログにも書きましたが、寺内町とは多くは一向宗(浄土真宗)の寺を中心に寺と町が合体して作られた町です。広い寺の敷地の中に都市がある、というイメージがわかりやすいかと思います。ここ富田林の寺内町の中心となったお寺が見えてきました。堂々とした立派なお寺さんです。このお寺は「富田林興正寺別院」と言い、京都にある興正寺の別院です。地元の人からは「御坊さん」と呼ばれているそうです。記録によれば、戦国時代の末期に興正寺第16世証秀上人が、富田林周辺の四...富田林の「御坊さん」-大阪府富田林市:寺内町
みな食堂(昨日掲載)に限らず、花巻には以前から気になっていて今でも変わらず気になっているものが多い。その幾つかを紹介しようと思う。まずは旧マルカンデパート近くの三田商店。地元民以外、この店に用事がある人はまずいないと思う。それでも建物の壁面に描かれたロートレックを彷彿されるペイントは誰の眼も奪う。一体何故、これを描いたのか。店主が本当は画家になりたかったけど家業を継いだ。その交換条件が壁面にペイントを描かせて貰うことだった、とか。まあ勝手に妄想を働かせている。マルカンデパートは廃業し(別形態で復活した)、周囲の建物も変化した。それでも花巻のロートレックは変わらずここにある。X-PRO3/VoigtlanderNOKTON23mmF1.2Aspherical花巻温故知新①〜ベルエポック
茶色とマゼンタが入り混じった光景が、東北の町には溢れている。一口に茶色といっても、そのバリエーションは実に豊富である。一つの物の色だってグラデーションのように色の幅を持っている。「◯◯色」と単純に言い切ることは出来ないし、10色の基本カラーで表現することも難しい。そこで今回の3枚の写真。どの部分を取るかで判断は分かれるだろうけど、一応はどういう色なのかを調べた。上から順に、①栗皮色、②土器色、③駱駝色、が最も近いようだった。カメラの設定や画像処理エンジンによっても異なると思う。ご注意戴きたいことは、街の色が豊富であることの例えで使った色名である。一般論でいえば、奥方やパートナーに向って「その土器色のセーター良いね」等とは言わない方が良いだろう。・・・。誰もそんな風に言わないか。X-PRO3/XF23mmF...土器色の愛しい人
東北では、特に北東北では基本的に冬季は傘を差さない。僕は不安なので常に傘を持っていくが、殆どの人は傘すら持たない。一つには傘があまり役に立たないからである。どっちにしろ雪を防げないし、傘自体に雪が積もって重くなる。視界が悪くて足下が危険だし、積雪で狭くなった歩道などでは行き違いも困難である。またもう一つには、そもそも外を長距離歩かないからでもある。クルマで目的地まで行き、駐車場から建物までは早足で歩く。かつての商店街にはアーケードなど屋根付きのものが存在したが、老朽化と共に消えていった。人々は郊外のショッピングモールに集中し、本来は便利だったはずの中心地の商店街は廃れていった。・・・。その辺の話は長くなるので割愛する。では傘を差さずにどうするかといえば、フード付きのダウンジャケットなりで歩き、建物に入ると...モノクロの街に雪が降る
昨年は記録的な少雪だった。個人的にも色々あり、雪の街を歩いて写真を撮ることは殆どなかった。今年度の冬季シーズンの始まりにあたり、手順確認を兼ねたリハビリ的な撮影を行った。色々なことを忘れていた。フードなしのダウンジャケット姿で、傘も持たずに歩いたので、早々にびしょ濡れになる。手袋もニット素材なので雪が染み込み使い物にならなくなった。歩き始めたときは薄日の刺す曇り空で、歩いているうちに雪が強くなった。レンズの前玉(フィルター付き)に水滴が着いたが、拭くものも持っていなかった。諦めてクルマに戻り帰りかける頃に、また薄日が差した。そんなこんなのすべてが懐かしい感覚だった。雪の街を歩く高揚感、冷たさ。それ故に感じる暖かい場所の有り難さ。数年前までは地吹雪が吹こうと町で撮影していた(嘘です、大げさに言いました)。今...東北の町には冬が似合う
秋田県横手市にて。とうとう雪が振り始めた。天気予報の大げさな報道については一家言持っているが、それは別の機会にする。横手市は豪雪地域である。本格的な積雪シーズンになると、街歩きは困難となる。今のうちに今年の撮り納めとばかり、出かけてきた。この写真は僕が勝手に「さばきの商店」と呼ぶ廃業した店である。「死後さばきにあう」のキリスト看板が目印だ。雪のなか、フィルムシミュレーション「クラシックネガ」で粒状度(強+大)で撮ると、表現のしようもない写りになった。これを若い人たちは「エモい」と言うのだろうか。多分違うな。X-PRO3/XF23mmF2RWRさばきの商店
仙台の壱弐参横丁。久しぶりに来た。最後に来たのが何時なのかは定かではない。少なくとも丸一年以上は来ていない。もしかすると2年以上かもしれない。この横丁の精神的な一丁目一番地は、木村商店(写真2枚目)だと思う。昨年の12月に閉店したそうだ。戦後バラック商店街がルーツの壱弐参横丁。細胞が入れ替わるように新陳代謝を行いながら継続している。だから閉店する店もあるのは仕方がないことだ。それでも寂しく感じる。特に何かを買ったこともないけど、そこにあるだけで安心する商店だった。確認したところ、様々なカメラで撮影していた。ライカだけで6機種(M3、M8、M9、M10、MM、M10M)、フジが4機種(X-PRO2、X-M1、X-PRO3,X-H2)、キヤノン、リコーGR系、パナソニック等々。見返すと記憶の森の中で迷子になり...いろは横丁~記憶の森で迷子になる
KiyomizuderaTemple,HigashiyamaWard,KyotoCityさてさて、早朝の東山界隈を散策するワタクシ達は、八坂の塔から「産寧坂」へと向かいました。オジサン達は朝から元気いっぱいです。この日もスタスタと坂道を歩いていくのでした。産寧坂は「三年坂」とも呼ばれ、清水寺への参道の一部です。南には清水寺が、北には八坂の塔や高台寺、八坂神社などがあるため、産寧坂は常に多くのというか、ものすごい数の観光客で賑わっているんですよ。特にここ数年は観光客の大半が外国人でして、周囲から聞こえてくるのは日本語以外の言語の方が多いという状況です。ワタクシ、観光客のいない産寧坂を撮影したいので、ここに来るときはいつも早朝なんです。とてもじゃないですが、昼間の産寧坂なんて歩きたいとは思いません。別名の三年...早朝の参拝-京都市東山区:清水寺
江刺の町である。旧・江刺市、現在の奥州市となる。定期的に行きたくなる。よく行くのは、旧市街の蔵町モールという辺りであり、ここは路地が縦横無尽に伸び、所々に蔵が建っている。夜まで粘って歩くような町でもないので、日帰りで時間に追われていても、十分楽しめる。町並み=路地という、僕にとっては理想的な場所でもある。最初に来た時、一枚目の写真の和風バー「路路」でランチカレーライスを食べた。もう10年以上前の話だ。思いっきりスナックの店内で、高齢のママさんの手作りカレーを食べた。親戚の家にお邪魔したかのような親近感だった。もう廃業したと思い込んでいたが、どうも店は継続しているようだ。ママさんは当時から既に高齢だったので、違う方が店を継承したのかもしれない。とすれば、泊りがけで来る価値があるかもしれない。そんなことを考え...江刺の路地を歩く①〜聖地はここにもある
Ninenzaka,HigashiyamaWard,KyotoCityさてさて、京都での二日目(2020年11月23日)ですが、この日もワタクシ達は朝早くにホテルをチェックアウトして、朝の6時半には東山の方へと向かいました。まずやって来たのは「二寧坂」です。二寧坂は二年坂とも呼ばれるのですが、その由来には二つの説があるんです。一つは産寧坂の下なので二寧坂で呼ぶようになったという説でして、もう一つは大同2年(西暦807年)に坂が整備された時よりこの名前が付けられたという説なんです。今となってはどちらが正しいのかわかりませんね。二寧坂から産寧坂、そして清水寺にかけては「重要伝統的建造物群保存地区」に選定された歴史的な町並みが広がり、いつも観光客でごった返しているんです。でも、この日はコロナ禍であるとともに、早...静かな朝-京都市東山区:二寧坂
KoudaijiTemple,HigashiyamaWard,KyotoCityさてさて、ワタクシ達は大覚寺からバスと地下鉄を乗り継ぎ、東山にあるこの日のお宿に着きました。この時はGoToトラベルキャンペーンで宿泊費が35%引きになるのがありがたかったです。ホテルで1時間ほど休憩した後、ワタクシ達は夜の京都へと繰り出すことにしました。ここは「八坂神社」の西楼門です。阪急電車の四条河原町駅、京阪電車の祇園四条駅から四条通を東に向かえば、突き当たりにあるのがこの西楼門です。やっぱりこの時は外国人観光客の姿がありませんね。ワタクシ達は八坂神社の境内を通り、高台寺のライトアップを見ようと東山界隈を歩いて行ったのでした。ワタクシ達は紅葉のライトアップを楽しもうと、「高台寺」にやって来ました。高台寺は豊臣秀吉の正室ね...夜の京都へ-京都市東山区:高台寺
SagaToriimoto,UkyoWard,KyotoCityさてさて、ワタクシ達は祇王寺を出て嵯峨野をさらに北に向かいました。しばらく歩いて行くと、「嵯峨鳥居本」の町並みが目の前に広がります。京都の北西部には愛宕山という山があり、山頂にある愛宕神社は「火の神様」として京都の人から信仰されています。嵯峨野から愛宕神社へと至る道は愛宕街道と呼ばれ、江戸時代中期から数多くの参詣者が愛宕山を目指して歩きました。京都へ行くと、多くの家庭の台所に愛宕神社の『火廼要慎』(ひのようじん)と書かれたお札が貼ってありますわ。その愛宕街道の途中に、江戸時代後期から明治時代にかけて建てられた家屋が緩やかな勾配の坂道に沿って建ち並んでいるんですここが嵯峨鳥居本でして、愛宕神社の門前町らしい光景が残っているんです。嵯峨鳥居本は重...化野という地名-京都市右京区:嵯峨鳥居本
おでんを摘まみながら熱燗をきゅっとやって、怪し気なアロマで二次会。さらに熟女クラブでジャズを聴いて(聴けるのか?)、返す刀で30分5000円の店へ行き、締めにブラジル珈琲を飲む。あ、脳内の話です。このうち実際にやったことがあるのは、最初の「おでん」だけ。ここだけの話、他のところに行ったところで、言うほど楽しくないと思う。むしろ嫌な思いをするかもしれない。そもそも「アロマ」と「ブラジル珈琲」は、もう営業していない(筈)。だから、こうやって脳内トリップをしながら写真を撮る。お金も掛からないし、時間も取らず、実に楽しい。昼間の川反(秋田の繁華街)で、こんなことをしているのは僕くらいなものだ。追伸:撮影が終わり、クルマに乗り込み帰ろうとした。信号で止まったところ、珍しく同業者を発見。それもギャルみたいな恰好をした...ディープな繁華街の仮想現実
敢えていえば、「悲しい」ではなく「哀しい」。もっといえば、「哀しい」でも十分ではない。日本語の「かなしい」は、かくも深く多様な意味を持っている。これを英語ではどう表現するのだろうか。多分、即物的になるのだろうなと思って調べてみた。いちいち挙げないけど、英語にも「かなしさ」を表現する言葉は沢山あった。もしかしたら日本語以上に多彩かもしれない。とても使い分けられない。つまり人類には数え切れないほどの「かなしさ」があるのだと、今更ながら気づいた。さて、11月の酒田市(山形県)の町並みである。11月の冷たい雨に濡れた酒田には、言いようのない「哀しさ」が溢れていた。それは単一的な「かなしみ」ではなく、様々な感情(正反対の感情)を抱合している。僕の解釈ではなく、見る方の解釈が何よりも優先されるだろう。一点だけ補足する...11月のメランコリー酒田
JizouinTemple,OldSekiPostTown,KameyamaCity,MiePref.さてさて、関宿の旧東海道を西に向かって歩いて行くと、街道沿いに立派なお寺が見えてきます。このお寺は地蔵院というのですが、正式な名前は宝蔵寺地蔵院。地元の人や昔の旅人からは親しみを込めて、「関の地蔵さん」「関の地蔵院」と呼ばれてきたそうです。お寺の歴史は非常に古いものでして、創建は詳らかではないのですが、天平13年(741)奈良東大寺の僧行基が、諸国に流行した天然痘から人々を救うため、関の地に地蔵菩薩を安置したと伝えられています。お地蔵様というのは、この世でもあの世でも、あらゆる苦しみから人々を救ってくださる菩薩だと言われています。地蔵院の本尊である地蔵菩薩は数あるお地蔵様の中で、古くから東海道を旅する人々...関の地蔵さん-三重県亀山市:関宿・地蔵院
盛岡の夜が明けた。翌朝、僕はホテルをチェックアウトし、荷物を駅のコインロッカーに預けると、小さなカメラだけを持って街に出た。コンデジ一つだけを持って旅に出れば、どれだけ身軽だろう。そう思いつつも、なかなかその勇気は出ない。帰宅までの限られた時間、こうやって身軽なまま町を歩くと、とても気持ち良い。スポーツカーに例えるようだけど、「軽さは正義」。そう実感した。軽快かつ航続距離が飛躍的に向上する。そして狭い路地裏に侵入していく。さあ、最後にあそこに行ってから、新幹線に乗ろう。あそことはどこか。それは次回、盛岡編最終回にて。GRⅢ盛岡町歩き~軽さは正義
OldSekiPostTown,KameyamaCity,MiePref.さてさて、ワタクシは関宿の町並みを、さらに西へ西へと歩いて行きました。街道脇に「高札場」がありました。高札とは、幕府が定めた法度や掟書などを板に記したもので、高札を掲げた場所が「高札場」です。人々に周知徹底することが目的ですから、宿場の入口や中心部など、往来が多く目立つ場所に設けられました。もともと江戸時代にあった高札場は、明治10年に取り壊されたしまいました。現在の高札場は平成16年3月、関宿が国の重要伝統的建造物群保存地区に選定されて20周年の記念として復元されたものです。『東海道宿村大概帳』によると、関宿高札場には八枚の高札が掲げられていたそうです。その内容は、生活にかかわる様々な規範、キリシタン禁令や徒党・強訴などの禁止とい...高札場-三重県亀山市:関宿
これも何度も書いていることだが、僕は盛岡という街が好きだ。街の規模だとか、雰囲気が本当にしっくり来る。都会すぎず、田舎過ぎず、広過ぎず、狭過ぎず。そして歩いて色々なところを廻れるところも良い。仕事の出張があったことを幸いに、盛岡に一泊して写真を撮った。それが今回の記事であり、主に夕刻から夜に至る時間帯のものである。通常は繁華街のど真ん中に宿を取る。それはそれで十分楽しいけど、結局は繁華街で飲みすぎて撃沈するのが習わしだ。今回は繁華街から少し離れたところに泊まったので、昼にしか来たことのない街角の夜の様子も見ることが出来た。また、これまでになかった新たなことは、街中で同業者を頻繁に見かけるようになったことである。同業者というのは、僕と同じように街の写真を撮る人たちだ。大抵、僕が行く街では僕以外に写真を撮る人...盛岡アフターダーク
OldSekiPostTown,KameyamaCity,MiePref.さてさて、関宿の散策を続けるワタクシは、かつての宿場町ならではの資料館へとやって来ました。この建物は「関宿旅籠玉屋歴史資料館」と言いまして、日本最初の旅籠資料館なんですよ。玉屋は関宿を代表する大旅籠で、「関で泊まるなら鶴屋か玉屋」と謡われたほどだそうです。現在は修復され、当時使われていた寝具、食器などの道具や庶民の旅に関する歴史資料、歌川広重の浮世絵などが見られる資料館になっています。旅籠(はたご)とは本来、馬で旅をするときに馬の餌を入れる籠(かご)を意味する言葉でした。それがいつしか「人の食事を入れる器」を示す言葉になり、さらに「宿で出る食事」という意味に変わりました。江戸時代には「旅籠=食事を出す宿」という意味になり、これが定着...旅籠-三重県亀山市:関宿
特にエピソードがあるわけでもなく、そこに至る何らかのストーリーもない。ただ単に町中のラーメン屋さんに、無駄にドラマチックな光が差していた。それだけです。GRⅢ街のラーメン屋にドラマチックな光差す
OldSekiPostTown,KameyamaCity,MiePref.さてさて、香り高いコーヒーをいただいた後は、ワタクシは再び関宿の散策を続けました。「関まちなみ資料館」という建物がありました。この建物は関宿を代表する町屋のひとつです。町屋で使われていた道具類や、関宿に関する歴史資料などが展示されています。何度も書いていますが、ここ関宿は東海道の宿場町です。東海道には約9kmごとに宿場ができ、途中には休憩場所もあり、江戸時代の後半には徒歩による旅行というのが庶民の間でも大きなブームになるんです。旅の目的として最もポピュラーだったのは、三重県伊勢市へのお伊勢参りでした。現在も多くの参拝者や観光客を集める伊勢神宮ですが、江戸時代の人気は今以上でした。庶民の間では「一生に一度は伊勢参り」を合言葉に、憧れの...江戸時代の旅人-三重県亀山市:関宿
Cafe“En”,OldSekiPostTown,KameyamaCity,MiePref.さてさて、旧東海道の雰囲気を味わうことが出来る関宿は、まるで時代劇のセットの中にいるかのような雰囲気でした。ここ関宿には古くから続く老舗もあれば、古民家をリノベーションした新しいお店もあるんです。ここは創業明治15年の桶屋さん。創業時から受け継がれる伝統的な技法を頑なに守り続けているそうで、現在は4代目の当主がお店を守られています。既製品を一切使用せず、一から十まで安全なる手作りです。もちろん、受注生産なので、作り置きはありません。一番良く売れるのは、昔からある花手桶だそうです。こちらは骨董品屋さんのようです。ワタクシは骨董品に対する目利きなども全く出来ないですし、そもそも骨董品って買ったこともありません。いつも思...静かなコーヒータイム-三重県亀山市:関宿・カフェ「エン」
OldSekiPostTown,KameyamaCity,MiePref.さてさて、国の重要伝統的建造物群保存地区でもある関宿を訪れたワタクシは、久々に訪れた宿場町らしい町並みをカメラを片手に歩いていたのですが、見慣れない観光スポットがあったんです。「関の山車会館」という施設がありました。ワタクシの記憶にはこのような施設は無かったはずなのですが、せっかくなので内部を見学しようと思い、入口のところで「この建物、前からありましたっけ?」と訊いてみました。すると、この建物は2019年7月にオープンしたとのこと。どうりでワタクシは知らないはずですわ。ここは関宿の夏の風物詩「関宿祇園夏祭り」で曳き出される山車4基のうち2基を常設展示する施設です。関の山車会館は、主屋、離れ、土蔵、山車の収蔵展示棟の4棟の建物があり、...関の山-三重県亀山市:関宿
OldSekiPostTown,KameyamaCity,MiePref.さてさて、旧東海道の宿場町である関宿を訪れたワタクシですが、朝9時の宿場町はまだ訪れる人も少なく、ゆっくりと散策を楽しむことが出来ました。言うまでもなく東海道は江戸時代の五街道の一つで、最も人の往来が多かった街道です。江戸と京都を結んだ東海道は約490kmの距離で、道中には風光明媚な場所や有名な名所旧跡が多く、浮世絵や和歌・俳句の題材にもしばしば取り上げられました。なんと言っても歌川広重の浮世絵は有名ですね。この写真を見てもらうとわかると思うのですが、民家と道路(東海道)との間にちょっとしたスペースがありますよね。これは参勤交代の大名行列が通行する際に、土下座をするための場所なんですよ。ただ、ワタクシたちがテレビの時代劇で見てきた大...大名行列-三重県亀山市:関宿
「三沢に犬を探しに行く旅」、二日目(最終日)の朝が来た。撤収を意識しながら移動する日になる。話は変わる。岩手・青森には、名前に「戸」と数字が組み合わされた町がある。一戸から九戸まで(四戸は現在は欠番)、これに十和田を含めれば10の町があり、これがユダヤの失われた十氏族と関係がある。そんな「月刊ムー」のようなネタがあり、僕はそういうものに興味を持ってしまう悪癖がある。残る未踏の町は五戸で、その五戸もそう遠くない場所にある。もっといえば、以前に行ったことのある「キリストの墓」にだって行くことはできる。正直、行きたかった。でもそれでは脱線にも程がある。妥協案として、以前に行って気に入っている七戸の町を歩くことにした。これも脱線には違いないが、とにかく良い町だ。クルマで十分くらいの距離、やはりクルマで来たから自由...三沢に犬を探しに行こう⑤~脱線
旧・上北町から更に北上し、東北町(元々の旧・東北町)まで来た。ここは野辺地の南側に位置し、野辺地駅までは鉄道で行けば2駅10分ほどの距離である。むつ市からの帰路に野辺地に立ち寄ったことがある。是非、東北町(乙供駅)までと思ったが、時間の関係で泣く泣く諦めた。やっと念願叶って来ることが出来た。時間は夕刻の一歩手前。この後は、近くの温泉銭湯に宿を取ることになっていた(掲載しません)。時間帯のせいもあるけど、じわじわと来る町だった。寂しさが胸に染み入り、優しい気持ちにさせてくれた。「からすと一緒に帰りましょう」と頭の中でメロディーが鳴った。そんな町は中々ない。厳冬期の姿も見てみたい。犬は見つからなかったものの、道路を横断する猫を見た。猫たらしの僕でさえ呼び込むことが出来ないほど、警戒心の強い猫だった。旅の一日目...三沢に犬を探しに行こう④〜町の日が暮れる
OldSekiPostTown,KameyamaCity,MiePref.さてさて、10月末のことなのですが、ワタクシは久々に三重県亀山市にある関宿を訪れました。関宿は東海道47番目の宿場町で、江戸から明治期にかけての町屋が今も約200軒も連なっているんです。当然ながら国の重要伝統的建造物群保存地区にも選定されています。関宿の東の入口“東の追分”にあるこの鳥居は、関宿では「一之鳥居」として親しまれているものです。「一之鳥居」というのは伊勢神宮に向かう最初の鳥居という意味なのですが、実際には伊勢神宮の鳥居ではなく、伊勢神宮に向かう人々への道しるべとして建てられたものです。この鳥居がこの場所に初めて建てられたのは18世紀の初め頃と考えられていますが、当時は伊勢講の人々からの寄進により建てられ、関宿の人々によっ...江戸時代へタイムスリップ-三重県亀山市:関宿
三沢市といえば、米軍と自衛隊の基地があり、民間航空も含め多くの航空機が往来する。イメージとしては大きな(面積の広い)ところだと思っていた。実際には、その面積は約120k㎡であり、青森県の中では最も小さい(狭い)市である。西側には東北町が隣接していて、その面積は約326k㎡と三沢市の2.5倍以上となっている。同じく北側には六ケ所村が隣接しており、面積は約253k㎡と三沢市の2倍以上である。そして今回の写真は東北町のものである。クルマで走る限り、三沢と東北町では景観的な変化は殆どない。上空の米軍機から見れば誤差の範囲だろう。それでも外部の我々からすれば三沢市は何となくイメージできても、東北町は想像し難い。僕も以前から気になっていた。そんなわけで東北町にお邪魔したたわけだ。現在の東北町は、元々の東北町と上北町が...三沢に犬を探しに行こう③~縄張りを拡げる