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No.004【中国史の運命を決定した、殷周革命と劉邦の即位】弐百参拾九
「私の力は、山を抜き、私の気は、世を覆うほどである。 しかし、時勢が味方せず、愛馬の騅は、疲れて進まない。 騅が、進まないのに、どうしたらよいのであろうか。…
No.004【中国史の運命を決定した、殷周革命と劉邦の即位】弐百弐拾八
紀元前206年5月、田栄は、項羽により、斉王に封じられた、田都を攻めると、田都は、楚に逃亡した。 田栄は、膠東王に封じられていた、田巿を自分の許に留めると、…
No.004【中国史の運命を決定した、殷周革命と劉邦の即位】弐百弐拾七
劉邦は、韓信を治粟都尉(軍隊の食糧調達とされるが、詳細は不明)に任じたが、韓信に対しては、左程、興味を示さなかった。 劉邦が、漢中王になった後、蕭何は、内政…
No.004【中国史の運命を決定した、殷周革命と劉邦の即位】弐百弐拾六
韓信は、淮陰の住人で、貧乏で、品行が悪かったため、職に就けずに、他人の家に上がり込んでは、居候するという、遊侠無頼の生活に終始していた。 そのため、淮陰の者…
No.004【中国史の運命を決定した、殷周革命と劉邦の即位】弐百弐拾五
楚の懐王は、項羽に、約定通り、劉邦を関中王にせよと命じたが、項羽は、従わなかった。 「関中」は、様々な意味があるが、基本的には、中華統一以前の秦国の本領のこ…
◆第081位 『ハリー・ポッターと秘密の部屋』評価:085点/著者:J・K・ローリング/巻数:全1巻/ジャンル:ファンタジー小説/1998年 ◆第082位 『…
No.004【中国史の運命を決定した、殷周革命と劉邦の即位】弐百弐拾四
項羽は、張耳の高名を知っており、張耳を評価して、趙を分割し、趙歇を代王にすると、張耳を常山王とした。 趙歇は、趙王室の末裔で、趙王を自称していた、陳勝の武将…
No.004【中国史の運命を決定した、殷周革命と劉邦の即位】弐百弐拾参
紀元前206年、項羽は、王になろうとして、秦を滅ぼすことに功績のあった、諸将を王侯に任じた。 十八王封建である。 九江王の英布、雍王の章邯、塞王及び、殷王の…
No.004【中国史の運命を決定した、殷周革命と劉邦の即位】弐百弐拾弐
項羽は、劉邦が、戻って来ないため、陳平に命じて、劉邦を呼びに行かせたが、劉邦は、樊噲と共に既に自陣に到着していた。 張良は、劉邦が、酒に酔い過ぎ、失礼になる…
映画『キングダム2 遥かなる大地へ』☆「諦めるな!お前はまだ-」に泣く(T_T)
アメーバブログ『yutake☆イヴのモノローグ』の 映画記事です。登録・関連TBご自由にど~ぞ♪警告出てブログ訪問できない方ごめんなさい。
No.004【中国史の運命を決定した、殷周革命と劉邦の即位】弐百弐拾壱
劉邦は、驚愕し、項伯と会って、姻戚関係を結ぶことを約束すると「咸陽に入って、以来、宝物等を奪う事をせず、項羽将軍を待っていました。 関に兵を置いたのは、盗賊…
戦国時代屈指のリベンジャー『范雎』は、平民から超大国秦の宰相まで出世した神算鬼謀
范雎 平民から超大国秦の宰相まで上り詰め、キングダムでも大活躍の蔡沢に地位を譲って華麗に引退した『范雎』は、知略だけでなく処世術にも優れた賢人でした。長らく小説「史記」や「十八史略」、横山光輝先生の漫画「史記」で『范雎』のエピソードを読んでいましたが、最近「蒼天航路」の作者である王欣太先生の「達人伝」で『范雎』のエピソードを読み大きな納得感がありました。 中国は歴史が長いし、国は広いしで名宰相が多すぎますね。ダメ宰相も多いですが。。。軍師と宰相は近い部分がありますが、今回は宰相ということで晏嬰、管仲、孟嘗君、商鞅、蕭何、馮道、王安石、耶律楚材、王導などなど。歴史に名を残し、自国を強固にした宰相…
No.004【中国史の運命を決定した、殷周革命と劉邦の即位】弐百弐拾
劉邦は、咸陽に入城すると、宮殿の中の女と財宝に目がくらみ、留まって、楽しみたいと思ったが、樊噲と張良に諫められた。 劉邦は、宮殿の女と財宝に、一切手を付けず…
No.004【中国史の運命を決定した、殷周革命と劉邦の即位】弐百拾九
劉邦は、儒者嫌いの通り、酈食其に対して、足を投げ出して、足を女達に洗わせながら、面会した。 しかし、酈食其は、「年長の者にそのような態度を取るべきではない」…
No.004【中国史の運命を決定した、殷周革命と劉邦の即位】弐百拾八
張耳は、信用せず、陳余が、張黶と陳澤を殺害したと思い、尚、責めたために、陳余は、激怒して、「そこまで疑うのならば辞職する」と言い、将軍の印綬を張耳に押し付け…
No.004【中国史の運命を決定した、殷周革命と劉邦の即位】弐百拾七
前述の通り、陳勝の配下であった、武臣は、張耳と陳余に擁立されて、趙王となったが、元秦の将軍で、武臣に降伏し、配下となった、李良に殺害された。 張耳と陳余は、…
No.004【中国史の運命を決定した、殷周革命と劉邦の即位】弐百拾六
宋義は、趙の張耳、陳余の救援要請を受けて、趙の鉅鹿へ向かったが、安陽に到着すると、進軍を止めて、46日間、安陽に留まった。 項羽は、「秦軍が、趙王の鉅鹿を囲…
No.004【中国史の運命を決定した、殷周革命と劉邦の即位】弐百拾五
後に劉邦と天下の覇権を争う、項羽は、前述の通り、楚の将軍、項燕の孫である。 項梁、項伯の甥であり、項一族には、項羽の従兄弟の項荘及び、項它、詳細の不明な項襄…
No.004【中国史の運命を決定した、殷周革命と劉邦の即位】弐百拾弐
『史記』は、他に無数の「劉邦が天下を取ることが約束されていた」との話を載せている。 劉邦が、赤龍の子であるとする逸話があり、漢が、火徳の帝朝と称することに繋…
No.004【中国史の運命を決定した、殷周革命と劉邦の即位】弐百拾
懐王は、宋義・項羽・范増を主力軍とし、趙を攻めている、秦軍を破った後、秦の咸陽へと攻め込ませようとした。 一方で、劉邦を別働隊として、西回りに咸陽を衝かせよ…
No.004【中国史の運命を決定した、殷周革命と劉邦の即位】弐百九
同年7月、秦に滅ぼされた、斉の最後の王、田建の弟の田假が、斉王として、擁立された。 田儋の従兄弟、田栄は、田假の斉王擁立に激怒し、田假を攻めたため、前述の通…
No.004【中国史の運命を決定した、殷周革命と劉邦の即位】弐百八
同年2月、項梁は、東陽県で、陳嬰を加え、英布・蒲将軍等の軍を合わせ、大軍となった。 項梁は、前述の通り、秦嘉、楚王を称していた、楚の公族の景駒と秦嘉、甯君を…
No.004【中国史の運命を決定した、殷周革命と劉邦の即位】弐百七
陳勝の死後、叛乱軍の主導者となったのは、楚の将軍、項燕の息子、項梁である。 項氏は、代々楚の武将として、活躍し、「項」という、邑に封ぜられ、項姓の祖先となっ…
No.004【中国史の運命を決定した、殷周革命と劉邦の即位】弐百六
蔡賜は、河南郡上蔡県の住人で、房という、邑の爵位を持っていたため、房君と呼ばれた。 紀元前209年7月、陳勝・呉広の乱が起こる。 陳勝達は、陳城を制圧すると…
No.004【中国史の運命を決定した、殷周革命と劉邦の即位】弐百五
周巿は、魏王室の後裔である、魏咎を迎えて王としたいと考えて、斉、趙の要請を受けず、陳勝の都、陳城にいた、魏咎を迎え入れようと交渉する。 同年12月、使者が、…
No.004【中国史の運命を決定した、殷周革命と劉邦の即位】弐百四
部下の一人が、李良に対し、「天下中の人が、秦に背き、有能な人物は、自立しています。 更に趙王の武臣は、元々、将軍(李良)より、出自が低いです。 先程、女児(…
No.004【中国史の運命を決定した、殷周革命と劉邦の即位】弐百参
そのため、武臣は、兵を西の秦に向かわせずに、韓広に燕を攻略させ、李良に趙の恒山を攻略させ、張黶に上党を攻略させた。 韓広は、趙のために燕の土地を攻略していた…
No.004【中国史の運命を決定した、殷周革命と劉邦の即位】弐百弐
武臣の三十万の軍勢は、白馬津にて、黄河を渡り、河北の諸県に着くと、地元の豪傑達に叛乱軍に味方する様に、説いて回った。 「秦の政治は乱れ、刑罰は、残虐であるた…
No.004【中国史の運命を決定した、殷周革命と劉邦の即位】弐百壱
陳勝及び、呉広は、叛乱を起こした際、民衆の支持を集めるため、陳勝は、扶蘇、呉広は、項燕を名乗った。 前述の通り、扶蘇は、秦の始皇帝の長子にして、悲劇の皇太子…
No.004【中国史の運命を決定した、殷周革命と劉邦の即位】弐百
中華の歴史は、伝説の黄帝以来、「王」の座に就くためには、高貴な血統を必要として、前述の通り、秦の始皇帝の死後、専横を振るい、二世皇帝の胡亥を殺害した、趙高で…
No.004【中国史の運命を決定した、殷周革命と劉邦の即位】百九十九
そして、陳勝は、兵卒達を召集して、演説を行った。 「我々は、大雨に降られため、最早、期日には間に合わない。 期日への遅れは、問答無用で、斬首である。 仮に殺…
No.004【中国史の運命を決定した、殷周革命と劉邦の即位】百九十八
趙高は、胡亥の死体から、玉璽を奪うと身に帯びて、秦の帝位に就こうとしたが、側近、百官は、趙高に従わなかった。 秦帝国の臣下達は、暗愚であるが、秦の王族の血脈…
No.004【中国史の運命を決定した、殷周革命と劉邦の即位】百九十七
紀元前207年、趙高は、丞相の地位にあった、李斯を刑死に追い込むと、自身が、後任の丞相となった。 秦の将軍の章邯は、鉅鹿の戦いにおいて、秦軍を大破した、項羽…
No.004【中国史の運命を決定した、殷周革命と劉邦の即位】百九十六
趙高は、閻楽、趙成に対し、「陛下は諫言を聞かず、この事態の急変の責任を我々一族に負わせようとしている。 私は、皇帝を替え、後継に公子である、子嬰を立てたい。…
No.004【中国史の運命を決定した、殷周革命と劉邦の即位】百九十五
紀元前207年、趙高は、丞相の地位にあった、李斯を刑死に追い込むと、自身が、後任の丞相となった。 秦の将軍の章邯は、鉅鹿の戦いにおいて、秦軍を大破した、項羽…
No.004【中国史の運命を決定した、殷周革命と劉邦の即位】百九十四
胡亥は、趙高から、「陛下は、若くして、皇帝に即位されたばかりであるために、陛下に過ちがあれば、群臣達に短所を示すことになります。 天子が『朕』と称するのは、…
No.004【中国史の運命を決定した、殷周革命と劉邦の即位】百九十参
紀元前209年、中国史の運命を決定した、中国史上初の農民の大叛乱、陳勝・呉広の乱が、発生した。 以降は、秦軍側と叛乱軍側の二つの立場からの見方があるために、…
No.004【中国史の運命を決定した、殷周革命と劉邦の即位】百九十弐
胡亥は、法令の作成の職務を趙高に依頼しており、ある時、「大臣は、私に服しておらず、官吏は、なお力を持っている。 諸々の公子は、必ず、私と争う気でいる。どうす…
No.004【中国史の運命を決定した、殷周革命と劉邦の即位】百九十壱
子嬰は、『史記』において、胡亥の兄の息子とされており、父は、扶蘇との説があるが、定説ではない。 子嬰は、胡亥に対し、「蒙恬を殺害してはいけません。 過去に趙…
No.004【中国史の運命を決定した、殷周革命と劉邦の即位】百九十
左丞相の李斯は、始皇帝の崩御が、天下騒乱の引き金になることを恐れて、秘したまま、巡遊の一行は、咸陽へ向かった。 始皇帝の崩御を知る者は、末子の胡亥、左丞相の…
No.004【中国史の運命を決定した、殷周革命と劉邦の即位】百八十九
前述の通り、始皇帝は、紀元前212年、蒙恬に命じて、30万の軍勢により、北方遊牧民の匈奴を討伐させた。 匈奴征伐の一つの要因は、『録図書』の「秦を滅ぼす者は…
No.004【中国史の運命を決定した、殷周革命と劉邦の即位】百八十八
秦の始皇帝は、泰山にて、封禅の儀を行った後、山東半島を巡った。 始皇帝は、神仙思想に染まりつつあり、そこに取り入ったのが、方士と呼ばれる者達あった。 方士は…
No.004【中国史の運命を決定した、殷周革命と劉邦の即位】百八十七
始皇帝は、中華統一後に国内にある、斉・韓・魏等の長城を取り壊した。 始皇帝の時代の長城は、版築により、粘土質の土を固めて築いた、建造物であった。 高さは、馬…
No.004【中国史の運命を決定した、殷周革命と劉邦の即位】百八十六
木材及び、石材は、遠方から運ばれ、地下水脈に達するまで、掘削した陵の周囲は、銅で固められた。 その中に宮殿及び、楼観が造られた。更に水銀の流れる川が、100…
No.004【中国史の運命を決定した、殷周革命と劉邦の即位】百七十七
秦王政によって、中華世界は、初めて強大な一人の権力者の支配に入った。 夏・殷・周の三代王朝は、中華世界の唯一の支配者であったが、周の建国当初の中華世界は、黄…
No.004【中国史の運命を決定した、殷周革命と劉邦の即位】百七十六
そのため、楚の旧都の郢陳の民が動揺し、楚の公子である、昌平君が当地へ送られ、楚の民を安撫するように命じられた。 そして、前述の通り、紀元前225年、李信と蒙…
No.004【中国史の運命を決定した、殷周革命と劉邦の即位】百七十五
紀元前226年の秦による、燕への総攻撃は、秦の将軍、王翦、王賁、李信が、指揮した。 燕王喜は、趙の亡命政権である、代国の代王嘉と同盟を結び、秦軍と戦ったが、…
No.004【中国史の運命を決定した、殷周革命と劉邦の即位】百七十四
秦舞陽は、13歳で人を殺しており、壮士として、有名であったが、荊軻は、秦舞陽のことを頼りにならないと見抜き、遠くに住む、旧友を同行者に加えようと待機していた…
No.004【中国史の運命を決定した、殷周革命と劉邦の即位】百七十参
前述の通り、秦が、趙を滅ぼすと、燕は、秦の隣国になったため、秦は、燕に攻め寄せ、燕は、武力では、対抗できなかった。 太子丹は、軍事力ではなく、非常手段である…
No.004【中国史の運命を決定した、殷周革命と劉邦の即位】百七十弐
趙の国都、邯鄲の陥落後、幽繆王は、顔聚と共に東陽へ逃げたが、王翦・羌瘣にその地を平定され、捕らえられた。 その後、幽繆王は、房陵に流され、趙は、遂に滅亡した…