街角のインドカレー店、実はネパール人が経営 進化する「インネパ」
インネパ、そしてガチネパ 進化する味から見えるもの(上)
スパイスがきいた濃厚なカレーに、ふっくら焼き上がったナン。日本各地で街中を歩けばよく見かけるインド料理店の定番メニューです。実は、店の経営者はネパール人であることが多く、「インネパ」とも呼ばれます。最近では本格的なネパール料理を出す「ガチネパ」と呼ばれる店も増えてきたといいます。「インネパ」はどのように広がり、そして「ガチネパ」はどう生まれたのでしょうか。インドやネパールの食器・調理器具の輸入販売業を営み、料理にも詳しい小林真樹さんに聞きました。上下2回で紹介します。
――どうしてインドやネパールに関心を持ったのですか。
中高生の頃、インドに影響を受けたビートルズなどのミュージシャンの曲や、作家で写真家の藤原新也さんのインド放浪記に出会い、「日本の対極にあるような、こんな世界があるのか」と関心を持ちました。大学生になってバックパッカーとして、インドとネパールを何度も訪れ、「住んでみたい」と思ってインドに留学もしました。
現地と行き来する中で、日本のインド雑貨屋さんから商品の依頼を受けて仕入れるというアルバイトをするようになりました。それが現在の仕事につながっています。
――そもそも日本でのインド料理店の起こりはどのようなものだったのでしょうか。
1970年代ごろからインド人貿易商たちが日本でインド料理店を営み始めました。当時は東京の銀座や赤坂などに店を構え、料理の値段も高かったといいます。店内は大理石やシャンデリアで飾られ、コックたちもオーナーがインドの有名ホテルに出向いて口説き、連れてきた人たちが多かったようです。新しい食文化を紹介するにあたって、身近にはない高級なものとして提供したほうがよいと考えられていたのではないでしょうか。
日本のインド料理店でネパール人が働くようになった背景には、インドとネパールの関係や経済、文化などの意外な影響がありました。その後、日本人に受け入れられて広がった「インネパ」の店作りについても、記事後半で紹介します。
――その後、インド料理店でネパール人も働くようになったのですか。
80年代あたりから、都市部にあったインド料理店が徐々に地方でも見られるようになり、そこで働くコックを本国から招く必要が出てきました。
仕事ぶりで信頼得たネパール人
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