紅葉の季節に京都高雄の西明寺を神護寺、高山寺と
共に訪ねました。こちらは都が、奈良から京都に移
った794年を前後して其々建てられた寺院です。
秦酒君は雄略天皇15年、都に上り大蔵長官として
働き、山背国で禹豆麻佐の称号を賜った。その子孫
の秦河勝が604年太秦広隆寺を建立し、聖徳太子
のブレーンとして賀茂川、桂川の灌漑と水田開発、
養蚕事業を行った。飛鳥時代です。
さて本題に戻ります。滋賀県の湖東三山西明寺こち
らも紅葉と二匹の黒猫でNHKでも取り上げられまし
た。その本堂は高麗尺3間で建てられその後5間、
7間にと増築されたということについてChatGPTに
尋ねてみました。
湖東三山の一つである**西明寺(滋賀県犬上郡甲良町)**の本堂は、建築史的に大変興味深い構造を持っています。おっしゃる通り、「高句麗尺」に基づいて建てられたとされ、その後増築を経て現在の姿になったと考えられています。以下に詳しく解説します。
1. 高句麗尺三間の構造
• 高句麗尺とは、朝鮮半島の高句麗で用いられていた建築基準の尺(長さの単位)を指します。
日本の古代建築には渡来人の技術が取り入れられており、特に寺院建築においてその影響が顕著です。
• 西明寺の本堂は、創建時に高句麗尺で三間構造を持つ簡素な建物として建てられたと推定されます。
2. 増築による拡張
• 初期の本堂が三間構造だった後、信仰の広がりや参拝者の増加に伴い、徐々に増築されました。
• 五間(ごけん)構造:建物が拡張され、より大きな空間が確保されました。
• 七間(しちけん)構造:最終的には七間構造となり、現在の堂々とした本堂の規模に至っています。
• この増築は、寺院の信仰の発展や地域の繁栄を反映していると考えられます。
3. 西明寺本堂の建築的特徴
• **本堂(国宝)**は、鎌倉時代に再建されたもので、初期構造に増築を重ねた痕跡がうかがえます。
• 屋根は寄棟造で檜皮葺(ひわだぶき)、正面七間・側面七間の堂々たる構造を持っています。
• 現在の本堂は増築後の姿を保ちながら、初期の高句麗尺の影響を示す基礎部分が残されている可能性があります。
4. 高句麗尺の意義
• 高句麗尺の使用は、渡来人や朝鮮半島との文化的つながりを象徴しています。
• 湖東地方は古代から渡来人の活動が活発だった地域であり、彼らがもたらした技術が寺院建築に反映されていることは十分に考えられます。
結論
西明寺の本堂は、創建当初は高句麗尺を基準にした三間構造であり、その後五間、七間へと拡張されました。この変遷は、寺院建築の発展と地域信仰の成長を示すものであり、渡来人文化の影響を深く刻んだ建築物といえるでしょう。