稚拙な印象をうける
2019/05/19 07:19
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投稿者:ほたろう - この投稿者のレビュー一覧を見る
東日本大震災と原発事故をモチーフとしたSF小説ですが、全般稚拙な印象をうけます。
原発事故、放射性物質汚染、高齢化、モラルの低下などの戯画化が下手で、社会問題に心を痛めた中学生が考えた寓話ようなお話でした。
ぶつ切りの場面転換、突然のエロティックな表現、導入部分で登場した人物そっちのけで設定だけ垂れ流されて終わる短編、放射性物質に対する恐怖感そのままに陳腐に描写される被爆表現などの残念な要素が中学生感を醸しだしています。
しかしながら文章自体はすらすらと読め、表現力も素晴らしく印象的な場面も多くあります。
人を選ぶ本であると思います。
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投稿者:ぽぽ - この投稿者のレビュー一覧を見る
すごく良かったってわけではないけど記憶に残る。図書館のおすすめコーナーに置いてあって気になって読んだけど、人にすすめたくなる本。
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デストピア文学の傑作、待望の文庫化!
大災厄に見舞われ鎖国状態の日本。老人は百歳を過ぎても健康で子どもは学校に通う体力もない。身体が弱い曾孫の無名は「献灯使」として日本から旅立つ運命に。話題を呼んだ表題作など近未来小説5編を収録。
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2014年刊行の単行本を文庫化。
『群像』掲載時に大半を読んでいたので、結果的に再読になった。
収録作の中では『韋駄天どこまでも』が一番好きだ。
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面白かったです。
多和田葉子さんは初めて読みましたが、不思議な世界でした。
お話が進むにつれ、大震災、鎖国、政府の民営化、元気なお年寄りと弱い子どもなどと大きく変容した日本のことがわかってくるのですが、描写にリアリティーがありました。
滅びつつある世界、それから人類が滅んでしまった世界…寓話のように感じてしまいます。
改めて、ディストピア文学好きだ、と思いました。
するする読めるのですが噛み砕くのにはまだまだ時間がかかりそうです。何度も読みたい。
平成最後の読書でした。
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大災厄に見舞われた日本。政府は鎖国を宣言してのち、国際社会から姿を消した。技術が後退し、外来語の使用も憚られるようになったこの国で、つましく暮らす老人義郎とその孫の無名。不死を得た義郎は、翻って日に日に衰えていく無名を見つめながら、過去と未来に想いを馳せるのだった。舞台を共有する5つの短編からなる本作。一番長い表題作はお爺さんと幼い孫、という誰もが微笑む構図であるものの、そこに隠された悲劇に胸が締め付けられてしまう。ただ、明らかに3.11をモチーフにしているこの話、自分が福島在住、且つ年若い子供がいたとしたら、決して書けなかっただろうと思う。どこまでも他人事、他人事で。そういう意味でも哀しくて切ない気持ちになりながら読みました。しっとり幻惑的な文章は非常に好みなので、筆者の他の作品も手にとってみようと思う。
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老人は死ねない。曾孫は歩くことも食べることもままならない(オレンジジュースが胃を、腸を攻撃する)。
ゴーストタウンのような東京。
鎖国して、外国語が禁止され、言葉がどんどん変わっていく。
駆け落ち(ジョキング)できるのは老人だけだ。
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何もはっきりとは語られない。
何か国が国の体を失うような、それまでの当たり前をなくすような、そんな事態に見舞われた日本。
立ち上るのは、個々が抱える思い。それだけが手触りを持たせて読者を引き込む。
あとは、文章のグルーヴに身を任せるだけ。
この文章がたまらない。
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いつか遠い未来、とは思えないディストピア。
多和田葉子の本は文体が気持ちよくて、扇風機にあたるみたいに読んでしまう。
書名になっている「献灯使」は古びた日本家屋の頼りないガラスのような危なっかしさと透明感。
「韋駄天どこまでも」はもうとにかくするするするするっと淀みなく読んでしまった。内容、というより、文字を、意味を解体していく気持ち良さ。
なめらかな夜をひとり楽しみたい気分の日に。
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献灯使
韋駄天どこまでも
不死の島
彼岸
動物たちのバベル
全米図書賞翻訳部門
著者:多和田葉子(1960-、中野区、小説家)
解説:ロバート・キャンベル(Campbell, Robert, 1957-、アメリカ・ニューヨーク、日本文学)
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ウソホント、正誤、善悪。驕らず流されず考えて見極めることの大切さを思う。ファンタジー要素もあるけど、訴えかけてくる本だった。
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前半は物語に必ずしも不可欠とはいえない状況説明が長すぎてしんどい。あくまで義郎視点で描かれるのかと思いきや、無名や他の人物の視点も入り混じる。が、人物間の関係性をうまく描けているようには思えない。
原発事故を思わせる何らかの大転換が起こった後の東京という設定とか、言葉遊びとか、アイディアはいいと思うんだけど、好きなタイプの小説ではない。
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群像で表題作だけ読んだ。
老人は100歳を超えても元気だけれども、三世代後の子どもは体が弱く面倒を見てもらいながらでないと生きることができない。日本は鎖国しているし、産業はほとんどが停滞している。環境汚染もひどい。
震災やら原発事故やら高齢化社会やら、その他の現代に見られるしょうもないいろいろをそのままにしておいたらこんな未来になってしまうよということを半分冗談みたいな感じで書いているけれども、意外と本当にそうなるかもしれないと頭の片隅で考えてしまい恐ろしくなる。
説明的ではなく、主人公たちの見える範囲の事象だけが描写されているので、そのようになった原因や経緯はよく分からない。けれど、その霧の中にいるような雰囲気が、実際の当事者だとしてもすべては分からずにそう見えているんだろうなと逆にリアルに感じられてよかった。
ラストの脳を抜かれるみたいなシーンは何だったのかな。よく分からなかった。
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3・11以降の日本を極端に描いたディストピア小説。短編集であるが、表題の『献灯使』が半分以上を占めている。
『献灯使』で描かれる世界は、老人は死なず、子供はしっかりと成長できない謎の状況に汚染された日本。鎖国された日本。世界から取り残された日本。しかし、そのような状況でもそれを受け入れて日々を生きる人たち。地獄のような状況ではあっても、それを淡々と生きる人々。
非常に抽象的な言葉が綴られるが、言葉一つ一つの意味が深く、重く、そして美しい。
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多和田さんの描く震災後文学は一味違う。
大災厄に見舞われた後「鎖国」状態になった日本。
世界から孤立してしまった島国・日本は外来語もネットも自動車もなくなり、まるで時代が後退してしまったかのよう。
老人は「死」を奪われ意思に反して生き続けねばならず、一方の若者は病気と死の恐怖に怯え老人に介護してもらう始末。
長寿社会と少子化が進む現代の日本の未来を予感させる内容に怖くなった。
「野原でピクニックしたいって、曾孫はいつも言っていたんだよ。そんなささやかな夢さえ叶えてやれないのは、誰のせいだ、何のせいだ、汚染されているんだよ、野の草は」
自分は死にたくても死ねず、のびのびと元気に長生きさせたい曾孫の死に怯える老人の悲痛な叫びが聴こえてくる。
多和田さん特有の言葉遊びが沢山出て来てとにかく面白いし、物語の内容も我々の未来を予想するかのようなものでのめり込む。
今回は漢字を巧みに遣った言葉遊びが多く、これを英訳するのは相当難しいだろう。
どんな英訳なのか、またアメリカ人がどのような感想を持ったのか、言葉遊びの意味がどこまで伝わったのか、とても興味深い。