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隅から隅まで、完璧に飾り付けられた、でも飾り付けられていることが嫌味でない、うっとりする世界。詩とか散文みたいな感じで読むと最高な時間で、小説として読むと物足りなかった。
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なんだか少しずつ気持ち悪くなる。言葉遊び?と、私には面白く感じられなかった。
無名と、曾おじいちゃん。
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多和田葉子さんが翻訳部門で全米図書賞を受賞
とネットで見た。多和田女史は
私と同い年で国立市の小中学校、都立立川高校から
早稲田大学文学部卒。
「多摩育ち・都立72群・私立文系」
というところが私とかなり似た経歴で
さらに憧れのドイツの大学、大学院を卒業している。
これは読まないわけにはいかない!というわけで
未体験の多和田葉子ワールドに足を踏み入れた。
標題作品「献灯使」は、
極めて暗く重たい
だが「さもありなん」な未来の日本。
震災後、原発事故後の日本はすでに
大層なデストピアになっているのだが
住人であるあなたたちが一番気づいていないのよと
ドイツ在住の多和田女史が教えてくれているようだ。
正直、最初は「なんだコリャ」と思った。
だが、郷に入っては郷に従え。
読書の心得その1である。
読み進むうち
第一段階 う〜む・・・
第二段階 おおお。そう来るか〜。
第三段階 ほほ~なるほど〜。
という変遷を辿り、私はすっかり
多和田式未来日本の住人になった。
なかなか死ねない義郎さんと
はかない蜻蛉のような無名君が
なんとも愛おしくなった。
異国で文学を極める人らしく
言葉をいじくり遊び倒し
壊しまくり再構築する様は
同じく言葉に関わる身としてかなり面白い。
初期の川上弘美ワールドが好きな方には
おすすめしたい。
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原発以降の日本のディストピア小説はどうしてもお説教じみたものを勝手に感じてしまいがちだけど、これは淡々と静かに狂っている文章が心地よくてぞっとした。
鎖国。
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皮肉とか象徴とか隠喩とか、あるいはストレートな批判とかいろいろあるのでしょうけれど、まず文章のユニークさと心地よさとハッとするような表現が読んでて気持ちよくて、もうなんだかずっと読んでいてもいいくらい。
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大災厄に見舞われた後、鎖国状態の日本。死を奪われた世代の老人・義郎には、体が弱い曾孫・無名をめぐる心配事が尽きない。やがて無名は「献灯使」として海外へ旅立つ運命に…。『群像』掲載の表題作ほか、全5編を収録。
読むのにすごく難儀した。
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「このところ、ずっと地球の裏側の日本国の未来の夢を見る。試しに、毎日30分微睡むと決めてその間に見たものや会話を起きて2時間かけてメモしていったら、こんな小説になってしまった。」
という、作者のエッセイを「想像」してしまった。ドイツ在住の作者が書いた、日本の不思議な近未来小説。例えば、こんな一節を読んだからだ。
「オレンジは沖縄でとれるんでしょ」と一口飲んでから無名が訊く。
「そうだよ。」
「沖縄より南でもとれる?」
義郎は唾を呑んだ。
「さあ、どうだろうね。知らない。」
「どうして知らないの?」
「鎖国しているからだ。」
「どうして?」
「どの国も大変な問題を抱えているんで、一つの問題が世界中に広がらないように、それぞれの国がそれぞれの問題を自分の内部で解決することに決まったんだ。前に昭和平成資料館に連れて行ってやったことがあっただろう。部屋が一つづつ鉄の扉で仕切られていて、たとえある部屋が燃えても、隣の部屋は燃えないようになっていただろう。」
「その方がいいの?」
「いいかどうかはわからない。でも鎖国していれば、少なくとも、日本の企業が他の国の貧しさを利用して儲ける危険は減るだろう。それから外国の企業が日本の危機を利用して儲ける危険も減ると思う。」
無名は分かったような、分からなかったような顔をしていた。義郎は自分が鎖国政策に賛成していないことを曾孫にははっきり言わないようにしていた。(53p)
私は何時か義郎になっていて、いるはずのない曾孫に、何時かこのように微妙に嘘をつくようになっていた「夢」を見たことがあったのでは無いか?という気がして来る。
ここに出て来る、様々な時々鮮明に浮かび上がる「日本」は、よく考えれば矛盾もたくさんある。こんな鎖国政策、現実に可能とは思えない。でも‥
こんなお正月番組を見た。2018年の現代の若者が1970年代の小学生の名札に保護者の住所や電話番号まで書いていたの見てを「ウソ!あり得ない!」と驚くのである。個人情報丸わかりで大いに危険だというのだ。えっ?貴方もそう感じるのか?迷子になったら近所の人が送ってくれたり連絡してくれることを期待して、名札には出来るだけ詳しいことを書くのが当たり前じゃないか。そうではないかね。いやはや。あれから30年以上も経ったんだねえ。と私などは思ってしまう。同じようなことが、これからの30年後に起こらないとは、誰も言えない。
義郎という、我々の世代を代表するような名前のヲトコは、今や百八歳になった時に、無名がいない時に、やっと独り政府に悪態をついたらしい。そんなことも、私は知っている。もしかしたら、予知夢だったのかもしれない。
2019年1月読了
追記。この短編集は、全米翻訳文学部門で図書賞を貰ったらしい。読んだ人は同感してくれると確信するけど、この日本語の言葉遊びのような文学が、どのように英語に翻訳出来るのか?これだけは、夢でも想像(創造)できそうにない。
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ぜっんぜん読めなかった…。読んだけど分からなかった…んじゃなくて、途中から読むのがしんどくなってしまって…。大震災後に鎖国してしまった日本。あれこれがおかしくなってしまって、考え方や言語、肉体まで変になる。そういうのを没頭して追いかけられたのは中盤までで、それ以降は読むのが苦しくて、文字も目に入らず滑っていく感じ。ギブアップです
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最近よく耳にするディストピア小説。未来の話だけれども、現在からつながる未来の話。怖い怖い。早く逃げないと。言葉遊びがたくさん使われ、軽やかに伝えられる献灯使。
百歳以上の老人が健康で、死ぬことができず、子どもは歩くこともままならないほど病弱な世界。悲嘆をしらない子ども。
他、表題作の前日譚ともおもわれるの韋駄天どこまでも、不死の島、彼岸、後日譚とおもわれる動物たちのバベル。
独特な文体で、なんというか興味深い一冊でした。
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物語には関係ないような一つ一つの文章がおもしろく、作者の考えがよくでている。でも、全体として読みにくく、物語に引き込まれることはなかった。
アメリカで賞をとった作品ということで読んでみた。
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久々に文学らしいものを読んだ。言葉遊びもまあまあ楽しい知的な本。
震災文学。日本の未来はうすぐもりの世界。
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「震災後文学」(←こんなジャンルが出来たのね)ということらしい.原発事故のおかげで老化が止まり死ねなくなる老人と,すでに人とは呼べないような,ひ弱でか細い子供たち.読んでいて息が苦しくなってきた.
短編集だが,表題作が2/3程度を占め,あとは表題作の前日談と後日談4編を掲載.
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言葉によるVR(Virtual Reality)を感じた。真摯に選ばれ連ねられた言葉で喩え、投影される物語には、切迫しながらも乾いた現実味があって読まされる。しんどい気持ちになるも目を反らせず読み切った。
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東日本大震災が起きる直前の、2010年の夏は、とても暑かった。2009年の夏も暑かったけど、2010年の夏の暑さは異常だった。本当に毎日、夜遅くまで、休みなく暑かった。コンビニで棚卸をしていると、真っ黒に日焼けをしてぐっしょりになった作業服のおじさんが、「ガリガリくん、無い?」と言って空になったアイスケースを見ていた。そんな2010年の夏を、「人生でいちばん涼しい夏だった」と村上春樹さんが言ったのを知って、それは震災前に言ったんだけど、まるで震災直後に言ったかのように、嫌悪した。その嫌悪は、大災害前夜に生まれたので、私の中で固まって、溶けることがない。
多和田葉子さんの文章は、今回も楽しく、無名は魅力的に描かれている。無名が献灯使となって、世界を旅することができたら、それはそれは楽しい冒険譚になりそうだ。でも、たぶんそれはかなわない。無名は、献灯使になることは出来ずに死ぬだろう。私は、忘れかけている。震災後の、壊れた信号や、ストーブのご飯や、スタンドの渋滞や、節電の街や、崩れた塀や、テレビの木支里予やシーベルトや、南三陸の娘と連絡が取れずに静かになって便秘になった母や、パンとコーヒーしか口にしない伯父と東北に行ったことや、琵琶湖で高笑いしながら左に曲がった友人を。
夜中に、思い出そう。
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本当に言語感覚に優れた、というか自覚的、懐疑的でいて愛が深い。言語を深く愛するという行為として小説があるという印象。名付け方、鎖国政策を取った日本社会の特異的すぎる変化、生きる機能が失われていく若者といつまでも元気なまま死ねない老人。あるいは起こり得る未来。