口減らしのための間引きという時勢の鬼に殺められ、死の谷の底からあがることもできずに何百年も彷徨い続けた子等の魂……そうした無辜の魂を谷底から助けあげた私のもとに、チャネリングを通して死した子どもの霊から便りが届きました。
▼ 詳細については前回の記事をご一読いただければ幸いです ▼
姉様が来て下さいました
大岩の転がるそが下は深い谷でございます
這い上がろうとて
そも叶わぬ子捨ての地獄でございます
不具なる赤子 病の幼子
そは すぐさまに谷に投げられ 捨てられてゆきました
目の見えぬ子 口の聞けん子
足の折れた子 皆 ひもじゅうて土を喰らいました
されど恐ろしき山の獣の餌となりて
長くは生きてもおられません
日照りが続くと僅かな草も枯れ果てて
やがて 痩せた子どもの骸が捨てられ
焼けた骨が放られて
死してなおもこの深く谷より出られぬ我らでありました
名も貰わぬうちに 父に殺められ
母に捨てられた我らにて暖みも知らづ
恋慕の思いすら無く
母を恋しがる子もおりません
こうして死にゆくさだめと覚りて
唯 永年この深い谷におりました
さすらば御顔を知らぬ姉様が谷の一等底の
我らのところまで きてくださいました
骨を抱き寄せ 腐り果てたる我らをなで
謡を謡ふて下さいました
謡なぞ知らぬ我らなれど 懐かしき思い溢れて
よふやくに我らが人であった事を知りました
そが謡は耳の聞こへぬ子にも聞こへ
姉様の御姿は目の見へぬ子にも容易に見る事ができました
崩れた身体 割れた頭 喰われし肉とて元に戻り
こふして皆で姉様の誘いのまんま
水の御里 へ参りました
我らの身魂を仰山拾いてくださりて
姉様はたいそう御疲れの御様子でした
三百 四百 いえ更に多くの子が集まりて参りました
姉様は我らの頭なで
添い寝なすりて下さいました
そは我らの知らぬ母御の暖き 覚えもいぬものなれど
ほんに暖こうございます
理由あって そがな生を辿りたなれど
そを決して憎むで無かれ と申されました
ほんに姉様の仰せのとおり
そふなるにはそふなる理由があったのざと
われら誰も憎んでおりません
ただこふして谷より出づりし喜びと
良いにほいの姉様にいだかれて 他に何も欲しゅうもありません
我 米を喰らふたことなど いっぺんもありませんが
姉様の創へる米の産霊(*1)
一度で良いなれどいただきとうございます
《 子 》
平成二十三年 十月二十三日
(*1) 米の産霊
おにぎりのことを指す。
米を手で握るおにぎりは昔から霊的な力が宿るものとされた。
姉様
どうか 御身体たんと御休めくださいませ
明日はまた 他の子達が参ることでございましょぅ
とても言葉なぞにでけませんが
皆にかわって
心より御礼申し上げます
《 へえた 》
御手紙を伝えてくださったのは《子等》と《へえた》……
谷の底にありて死してなお、死んだ小さな子等の面倒をみていた利発そうな男の童でした。
この御手紙を綴り終えた私は、あらためて涙が溢れて参りました。
谷から背負ってきた子等は、現に帰還した後も私の背におりました。かたときも側から離れず、おぶさっています。私には視えませんが、重さを感じます。背も張り、肩も痛みましたが、彼らの哀しみを想えばこのくらい。
気がすむまで背負っていてあげたいとおもいました。
私はさぞやひもじかったろうと、毎日白いご飯をたいてはおむすびを握って、子等にそなえておりました。子等が喜んで食べてくれているのを感じました。
そんなとき、再びに御手紙が参りました。
姉様 兄様
我ら知らぬ間に産まれ 出づりて
知らぬ間に放られしものならば
なにぞ 優しゅうしてもろた想いとて
あらぬものにてございました
この世 如何なるところか
知すらぬうちに命 断たれしゆへに
命の如何なるをも知らづ
人たるもわからぬままでございました
唯 恐さばかりの生ゆへに
無智なるものにてございます
こんまい子は姉様の背や胸にへばりついて
離れよと致しません
姉様とてさぞや重かろと申しましたが
甘い乳のにほいがするよふで 暖みを離りょと致しません
はじめていただきました
米の白飯は 喰ろふてしまふにもったい無く
しげしげと眺め にほいをかぎて
その余りの美しさにみな 顔を見廻しました
水の御里には御優しいじじ神様がおられ
宝の白飯をみなの手の平に乗せてくださり
有難くも頂戴致しました
真 涙が出るほど美味しゅうございました
我らは親はもとより人に優しゅうしてもろたことがございません
人たるはいやしゅうも恐きものざと
思ふておりました
そをじじ神様におたずね申すと
姉様 兄様が神仁人様であらること
御話しくださいました
そして今の世も子を殺むる親 ありて
忌まわしきものざと 申しておられました
我等はなんにも知らぬものにてございますが
みなが仲良ふ暮らす……そのような幸で溢れた世でありたなら
産まれ出づる命とて恐ふ在らぬのにと思いましてございます
ここは暖ふございます
このようなところは
皆 初めてにてございます
《 へえた 》
平成二十三年十月二十六日
◇ 子殺しの昔と今
生活苦によって子を殺めた時代がございました。
生き続け、辛い想いをさせるならば、と我が子の命を絶ちた時代もございました。
ですが今は、自身の欲望のために子を犠牲にする親が増え続けています。
令和3年度児童相談所が担当した児童虐待相談は約20万件、例年よりも大幅に増加しています。20年前から比較すれば11倍になっています。これはどこまでが虐待であるかという基準が年々変わってきていることも影響していますが、コロナ禍、不況等によるおとなたちのストレスのしわ寄せが無抵抗な子どもたちにむかっているようで、大変胸が痛みます。
「母親の愛は無償の愛だ」という言葉が昔からありますが、昨今は本当に「無償の愛」なのは幼い子どもから親にむけられる愛だといわれています。
果たしてこの御神はどなただったのか。そうして彼らの魂は何処に誘わることになるのか……引き続き、お読みいただければ幸いでございます。
旃檀
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姉様が来て下さいました
大岩の転がるそが下は深い谷でございます
這い上がろうとて
そも叶わぬ子捨ての地獄でございます
不具なる赤子 病の幼子
そは すぐさまに谷に投げられ 捨てられてゆきました
目の見えぬ子 口の聞けん子
足の折れた子 皆 ひもじゅうて土を喰らいました
されど恐ろしき山の獣の餌となりて
長くは生きてもおられません
日照りが続くと僅かな草も枯れ果てて
やがて 痩せた子どもの骸が捨てられ
焼けた骨が放られて
死してなおもこの深く谷より出られぬ我らでありました
名も貰わぬうちに 父に殺められ
母に捨てられた我らにて暖みも知らづ
恋慕の思いすら無く
母を恋しがる子もおりません
こうして死にゆくさだめと覚りて
唯 永年この深い谷におりました
さすらば御顔を知らぬ姉様が谷の一等底の
我らのところまで きてくださいました
骨を抱き寄せ 腐り果てたる我らをなで
謡を謡ふて下さいました
謡なぞ知らぬ我らなれど 懐かしき思い溢れて
よふやくに我らが人であった事を知りました
そが謡は耳の聞こへぬ子にも聞こへ
姉様の御姿は目の見へぬ子にも容易に見る事ができました
崩れた身体 割れた頭 喰われし肉とて元に戻り
こふして皆で姉様の誘いのまんま
水の御里 へ参りました
我らの身魂を仰山拾いてくださりて
姉様はたいそう御疲れの御様子でした
三百 四百 いえ更に多くの子が集まりて参りました
姉様は我らの頭なで
添い寝なすりて下さいました
そは我らの知らぬ母御の暖き 覚えもいぬものなれど
ほんに暖こうございます
理由あって そがな生を辿りたなれど
そを決して憎むで無かれ と申されました
ほんに姉様の仰せのとおり
そふなるにはそふなる理由があったのざと
われら誰も憎んでおりません
ただこふして谷より出づりし喜びと
良いにほいの姉様にいだかれて 他に何も欲しゅうもありません
我 米を喰らふたことなど いっぺんもありませんが
姉様の創へる米の産霊(*1)
一度で良いなれどいただきとうございます
《 子 》
平成二十三年 十月二十三日
(*1) 米の産霊
おにぎりのことを指す。
米を手で握るおにぎりは昔から霊的な力が宿るものとされた。
姉様
どうか 御身体たんと御休めくださいませ
明日はまた 他の子達が参ることでございましょぅ
とても言葉なぞにでけませんが
皆にかわって
心より御礼申し上げます
《 へえた 》
平成二十三年 十月二十三日
谷の底にありて死してなお、死んだ小さな子等の面倒をみていた利発そうな男の童でした。
この御手紙を綴り終えた私は、あらためて涙が溢れて参りました。
谷から背負ってきた子等は、現に帰還した後も私の背におりました。かたときも側から離れず、おぶさっています。私には視えませんが、重さを感じます。背も張り、肩も痛みましたが、彼らの哀しみを想えばこのくらい。
気がすむまで背負っていてあげたいとおもいました。
私はさぞやひもじかったろうと、毎日白いご飯をたいてはおむすびを握って、子等にそなえておりました。子等が喜んで食べてくれているのを感じました。
そんなとき、再びに御手紙が参りました。
姉様 兄様
我ら知らぬ間に産まれ 出づりて
知らぬ間に放られしものならば
なにぞ 優しゅうしてもろた想いとて
あらぬものにてございました
この世 如何なるところか
知すらぬうちに命 断たれしゆへに
命の如何なるをも知らづ
人たるもわからぬままでございました
唯 恐さばかりの生ゆへに
無智なるものにてございます
こんまい子は姉様の背や胸にへばりついて
離れよと致しません
姉様とてさぞや重かろと申しましたが
甘い乳のにほいがするよふで 暖みを離りょと致しません
はじめていただきました
米の白飯は 喰ろふてしまふにもったい無く
しげしげと眺め にほいをかぎて
その余りの美しさにみな 顔を見廻しました
水の御里には御優しいじじ神様がおられ
宝の白飯をみなの手の平に乗せてくださり
有難くも頂戴致しました
真 涙が出るほど美味しゅうございました
我らは親はもとより人に優しゅうしてもろたことがございません
人たるはいやしゅうも恐きものざと
思ふておりました
そをじじ神様におたずね申すと
姉様 兄様が神仁人様であらること
御話しくださいました
そして今の世も子を殺むる親 ありて
忌まわしきものざと 申しておられました
我等はなんにも知らぬものにてございますが
みなが仲良ふ暮らす……そのような幸で溢れた世でありたなら
産まれ出づる命とて恐ふ在らぬのにと思いましてございます
ここは暖ふございます
このようなところは
皆 初めてにてございます
《 へえた 》
平成二十三年十月二十六日
◇ 子殺しの昔と今
生活苦によって子を殺めた時代がございました。
生き続け、辛い想いをさせるならば、と我が子の命を絶ちた時代もございました。
ですが今は、自身の欲望のために子を犠牲にする親が増え続けています。
令和3年度児童相談所が担当した児童虐待相談は約20万件、例年よりも大幅に増加しています。20年前から比較すれば11倍になっています。これはどこまでが虐待であるかという基準が年々変わってきていることも影響していますが、コロナ禍、不況等によるおとなたちのストレスのしわ寄せが無抵抗な子どもたちにむかっているようで、大変胸が痛みます。
「母親の愛は無償の愛だ」という言葉が昔からありますが、昨今は本当に「無償の愛」なのは幼い子どもから親にむけられる愛だといわれています。
だからこそ、傷ましい事件がちょっとでも減るよう、互いが互いを思いやり、やさしさを持ち続けられる社会になることを望むばかりです。
……
子は産まれるときにかならず、泣いて産まれます。嬉しいのか、悲しいのか……母親をもとめる声なのか。私には解りませんが……へえたは産まれたときは「こわい」と感じたと綴りました。
子等が産まれてくることを本能で「こわい」と感じることのない、そんな世界こそが真の人の世界であろうと思う次第です。
画:旃檀
◇ 死者をとどめるのは摂理に外れたことか
一緒に食事を取り、一緒に歌を歌い、一緒に眠り……そのような暮らしを子等はたいそう喜び、私もとても幸せでしたが、やはりこれほど多くの子等を側においておくことは魂の摂理から外れているのではないかと懸念しておりました。
死者には死者の、還るべきところがあります。
かといって産まれてすぐに命を落とし、村の暮らしを知らぬ彼らの魂を、村に還すことはできません。
何処に還せば、この子等にとって最もよいのかと思案しておりましたところ、満弥古と名乗られる御神様から子等の誘いの神謡を頂戴することになりました。
……
子は産まれるときにかならず、泣いて産まれます。嬉しいのか、悲しいのか……母親をもとめる声なのか。私には解りませんが……へえたは産まれたときは「こわい」と感じたと綴りました。
子等が産まれてくることを本能で「こわい」と感じることのない、そんな世界こそが真の人の世界であろうと思う次第です。
画:旃檀
◇ 死者をとどめるのは摂理に外れたことか
一緒に食事を取り、一緒に歌を歌い、一緒に眠り……そのような暮らしを子等はたいそう喜び、私もとても幸せでしたが、やはりこれほど多くの子等を側においておくことは魂の摂理から外れているのではないかと懸念しておりました。
死者には死者の、還るべきところがあります。
かといって産まれてすぐに命を落とし、村の暮らしを知らぬ彼らの魂を、村に還すことはできません。
何処に還せば、この子等にとって最もよいのかと思案しておりましたところ、満弥古と名乗られる御神様から子等の誘いの神謡を頂戴することになりました。
果たしてこの御神はどなただったのか。そうして彼らの魂は何処に誘わることになるのか……引き続き、お読みいただければ幸いでございます。
旃檀
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