Ammaにも相棒にも、予め慰労会のことを告げていたし、二人ともそれが重要な儀式であることを十分に理解してくれていた。微熱が続くAmmaは怠そうではあったが、そこは肝が据わっているし、出番となるとどんな状態であっても周囲の期待を裏切らずに、求められる役割を立派に果たすことに掛けては、天下一品だったので、心配はいらなかった。
相棒も、そんなAmmaの隣で黙々と支度をし、三人で約束の時間通りに食堂に降りて行った。先ほどとは打って変わって食堂はほぼ満席のようで、我々と同様にトレッキング最終日を祝う人々でごった返していた。RajさんがさっとAmmaを案内し、我々は奥の一つのテーブルに落ち着いた。
すっかり顔なじみになったポーターさん二人が、はにかむような笑顔で現れた。毎朝会ってはいたが、ナマステ、お願いします、ダンニャバード、ありがとうございます、そんな会話しかしてこなかった。彼らは、とにかく忍者の如く軽い身のこなしで、我々のペースの数倍の速度で進むので、ゆっくりと話す機会などなかったのである。
宿もそうだが、休憩所もポーターさん向けとトレッカー向けでは違っていた。間口が狭く、天井の低い平屋である場合が多かった。と書いてから、ひょっとしたら休憩所が宿泊施設も兼ねていたのかもしれないと、思った。
ナムチェからジョルサレに戻る途中だったであろうか。ガラス窓の向こうで茹で卵、ドーナツなどが陳列されているところがあり、具合の悪かった相棒が、一つ食べたいと言うことで、ドーナツを買ったことがあった。中は薄暗く、厨房の竈の火が頼りだった。
ドーナツはセルロティという米粉を揚げたものだったが、残念ながら揚げたてではなく、当然のことながら値段もトレッカー向けのものだろうが、予想以上に高かった。ちらりと次の間を覗いたところ、午後の半端な時間であったからか誰もいずに、がらんとした縦長の空間に細長いテーブルがあるのみで、恐らく食堂と思われた。
さあ、そんなことよりも慰労会である。乾杯のビールということで、私が家族の代表で頂くことにし、4人分ということでRajさんが缶ビールを3本ほど持ってきた。と思うと、今度はグラスを取りにカウンターに向かった。手伝おうと一緒についていくと、カウンターの隅で宿のご主人が生ビールをグラスに並々と注いでいるところだった。
えっ?生ビールがあるの?「そうですよ。」Rajさんの瞳が光った。それなら、乾杯は生ビールにしましょうよ。「いいのですか?そうしますか?」Rajさんは嬉しそうに笑った。「ブロンドとブラウンがありますが、どちらが好きですか?」ブロンドよねえ。Rajさんは?「私もブロンドが好きです。一番美味しいです。ちょっと高くなりますけれど。」
飲み物代は我々が持つことになるので、どうやらRajさんは遠慮していたらしい。加えて、Ammaも相棒もアルコールは飲まないので、余計に遠慮したのだろう。私が生ビール、しかもブロンドと言うので、Rajさんは大喜びで嬉々として缶ビールを戻し、私は私で、宿のご主人がグラスに生ビールを注ぐ様子を見守った。
グラスは1パイント程入りそうな縦長の大きなものだったので、私の分は小さ目なグラスをお願いしたいと言うと、ディディが飲めなくなったら、私が手伝うので大丈夫ですよ、とRajさんがウインクをした。
こうして4人分のキンキンに冷えた生ビールがテーブルに並び、Ammaと相棒はお湯をグラスに注いで、さあ乾杯となった。無事に滞りなく行程を終えられたのも、ポーターさんたちのお陰です。ありがとうございました。ダンニャバード!
Ammaは微熱があって、これまで寝ていたとは思えぬ様子で、背筋をしゃきっと伸ばし、二人のポーターさんそれぞれにお礼のチップの袋を手渡した。Rajさんが気を利かせて、フライドポテトを注文してくれた。揚げたての熱々のフライドポテトがテーブルにすぐに届き、一層雰囲気を盛り上げてくれた。
未だ18歳という青年ポーターさんが席を立って、フライドポテトの為の楊枝を取りに行ってくれた。それを見て、もう一人のポーターさんとRajさんが笑っている。聞くと、青年はその夜初めてビールを飲んだらしく、ちょっとふらついているとのことだった。真面目な青年のイメージが、さらに濃くなった。
青年は、ポーターの仕事はとても楽しかったと、はにかみながらも笑顔で感想を述べてくれた。翌日は二日がかりで歩いて家に帰ると言う。なかなかのお洒落で、履いている細身のジーンズは膝下が縦長に切り刻まれていて、目を引くものだった。
いつもは夕食時にRajさんがフルーツの盛り合わせを作って持ってきてくれたが、その晩は、青年が作ってくれた。こうやって、Rajさんなりに後輩を育てているのであろう。だからこそ、この儀式はポーターさんの為でもあるが、彼にとっても重要なのである。定番の林檎、オレンジ、柘榴に、ルクラのバナナが付いていた。このバナナが、コクがあって非常に美味だった。
ポーターさん二人に改めてお礼を言い、握手をし合い、それで簡単ながら慰労会はお開きとなった。Ammaも相棒も、夕飯にチャーハンとシェフのスープを注文したように思うが、そんなに捗ってはいなかった。
翌朝のフライトは、6時半に早まったと言う。6時にロッジを出発すれば良いので、朝食はその前にとることになりますが、何にしますか、とRajさんが皆に注文を聞いてくれた。6時の出発としたら、5時の起床となろうか。それならば朝食はなしでオッケーです。空港で時間があれば、何か飲めばいいだろうし。
Ammaも相棒も、早々に引き揚げることになった。私は、夕食のダルバートが未だ残っていたし、フルーツの盛り合わせは、まだほぼ手付かずだった。RajさんはAmmaを気遣って途中まで見送り、戻ってくると、私の目の前に座った。
それまで大勢で賑やかだった場が、一瞬して二人だけの切り取られた空間になった。Ammaは咳込んでいて、微熱があることが気になっていた。そう言うと、Rajさんは「Ammaは大丈夫です。」と、私の瞳を覗き込むようにして明言した。
私はRajさんの深い焦げ茶色の瞳に思わず吸い込まれてしまいそうになった。Rajさんの瞳は言っていることとは別のことを伝えているようで、そして、私の瞳も、言っていることとは別のことを伝えているような、そんな気がした。瞬間、時が止まったようだった。
慌ててフルーツの盛り合わせのお皿を手にすると、おやすみなさい、そう言って席を立った。私も、もう行かなくては。
再び、周りの喧噪が耳に入ってくる。まだ夜は始まったばかりだった。
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