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広島・長崎原爆

1945年8月、広島・長崎へ原爆が投下されました。体験者が高齢化するなか、継承が課題になっています。

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ヒロシマの座標軸

緑の大通りは「少年少女たちの墓場」 復興の象徴に刻まれた苦悩

平和記念公園(手前)を中心に平和大通りの全長は約4キロに及ぶ=広島市中区で2023年5月19日午前10時20分(代表撮影ヘリから)
平和記念公園(手前)を中心に平和大通りの全長は約4キロに及ぶ=広島市中区で2023年5月19日午前10時20分(代表撮影ヘリから)

 夏の盛り、広島市街地を貫く平和大通りを歩くと、抜けるような青空の下に連なる緑樹が映える。平和都市の象徴ともいえる東西4キロ・幅100メートルの大通りを「少年少女たちの墓場」と呼んだノンフィクション作家がいた。

 原爆投下時に旧制広島県立広島第二高等女学校の2年生だった関千枝子さん(1932~2021年)は、その日は体調が悪く学校の作業を休んでいた。級友39人は空襲に備えて防火帯を築くために家屋を取り壊す「建物疎開」の現場に向かった。爆心地から約1・1キロで熱線と爆風に直撃され、1人を除いて2週間以内に死亡した。生徒の最期と遺族の苦悩を丹念に追い、被爆40年後に刊行した作品が「広島第二県女二年西組 原爆で死んだ級友たち」(筑摩書房)だ。

 8月6日は全市を挙げて建物疎開の作業が朝から始まっていた。…

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