オフィスの窓から飛び降りて、障がいを負った33歳女性が語った「壮絶半生」と「今、伝えたいこと」
ゴシックとダークがかけ合わさったような、唯一無二の雰囲気を纏う人形で人気を集めている人形作家・遠山涼音さん。
2024年には10度の展示会・イベントを実施するなど、精力的な活動を続ける彼女には、人形作家を生業とする以前「精神病を患い飛び降り自殺未遂をした」という強烈な経験がある。
両足のかかとは骨が飛び出る開放骨折、腰は10箇所以上の粉砕骨折となり、リハビリを終えた現在も杖は手放せない彼女だが、「飛び降りたことに後悔はあまりない」という。その言葉の真意と彼女の半生に迫った。
遠山涼音さんの中学時代には、明と暗の2つの要素があった。
「がんばった分だけ成果が返ってくるから、わりと勉強は好きな子どもでした。とにかく必死にやって、学年1位になったことも。クラスメイトから、『あの子やん、めっちゃ頭いいコ』なんて言われるとドヤっちゃってましたね(笑)。
一方で、当時から自傷癖があったんです。なにかはっきりした理由があったわけではないんですけど、友達が少なかったり、なんとなく家族との距離感に悩んでいたりで、周りと歯車が噛み合わなかった。
それで塞ぎ込んでいるときに、安全刃がついていないカミソリでスパッと手首を切ると、感情をリセットできたんです。血の量が多いほど、『よし、これでまたがんばるぞ』って思えた」
自傷を精神の拠り所にしながらも、涼音さんはかねてから関心のあった美術科がある大阪の公立高校へ進学。17歳になると、グラビアアイドルとしてデビューを決めた。
「性的な意味ではなく、美術のデッサンで使うヴィーナス像のように、モチーフとしての女体の美しさに興味がありました。
加えて、16年前の当時はいま以上にグラビアアイドルが流行っていた時代で、私自身も松本さゆきさんの大ファン。自然とグラドルの世界に憧れが募り、大阪に住みながら東京の事務所に所属しました。定期的に東京に行っては、単発の仕事と出版社への挨拶回りをするような生活でした。
ただ、決して売れっ子だったわけでなく、むしろ悩みが増える日々。周りのグラビアアイドルは皆、信じられないくらい細身で、普通体型だった自分と比べてしまって。
『もっと痩せなきゃ』ってストレスから、過食しては下剤を大量に飲むという、摂食障害気味なところも出てきた。
あと、いまほど加工技術も高くなかったため、雑誌に載った自分の姿を見ては『自分、こんなんなんや……』と落ち込むこともしょっちゅうで。自傷はさらに回数を増していきました」
高校卒業後は美大に入学するもすぐに中退。その後、大阪府内の一般企業でアルバイトしながらグラドル活動を続けたが、1年ほど経つと所属事務所がグラドル業界から撤退することに。
「大阪の事務所に移籍する話もあったんですが、全然売れなかったし、精神的にもしんどいし、もういいかなって思ってひっそり引退。そのまま、もともとアルバイトしてた会社の社員になりました。
でも、ずっと抱えていた精神的な悩みは消えなくて、むしろ増えていく一方でしたね。
幼少期からあった心配性が悪化して、仕事から帰ると『あのメール、ちゃんと送ったっけ?』と過剰に気になってしまい、朝方まで寝つけない。翌日に出社してパソコンの履歴を見て、やっと安心して寝れるといった状況で。
しかもこの頃から、幻聴や幻覚もはじまっていて……。周りからはいつも眠そうにフラフラと出社する私は、かなり心配されてたんじゃないかな」
当時は、いまほどに精神障害への社会の理解が進んでいない時代。
そのため、涼音さんは自身の精神状態を「恥ずかしいこと」と認識し、信用できる上司にしか症状を相談できなかった。精神科には通っており、「強迫性障害」と診断され薬も服用していたが、効果はいまひとつだったという。
“学年1位の優等生”には自傷癖があった
グラドルを引退し会社員として働くことに
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