2024/09/04
北川民次展に行ってきました
濃くてエネルギーを感じる絵が多くて 見応えありました♪
こちらは ケチャップや野菜ジュースでお馴染みの会社「カゴメ」のための作品
このデザインがカゴメの社屋のモザイク壁画になった
【 経歴 】
北川民次 1894〜1989 (明治27〜平成元年)
静岡生まれ 早稲田大学中退後 渡米
ニューヨークの美術学校で学んだ後 メキシコで画学生生活を経て創作
昭和18年 愛知県瀬戸市に疎開
帰国後は東京・愛知を拠点に活動 タイルを使ったモザイク壁画の創作 学校での美術教育にも尽力
学校の授業で 外に出てスケッチをする学習が定着したのは 北川氏の働きかけによる面が大きい
🇲🇽メキシコ政府から 外国人に贈られる最高勲章「アギラ・アステカ勲章」を贈られる
生誕130年の特別展
メキシコの大地で暮らす人たちの姿が生き生きと描かかれてました
(絵のタイトルをメモしてないので 呼び方は適当です)
葬列。死者を送る人・この世に生を受けたばかりの赤子を抱く人 生と死の循環
メキシコのイケメン 背景の空気も濃密
花瓶の花も全力で咲いてるような生命感🌻植物なのに 動感の溢れる仕上がりになったのは
メキシコでの創作活動が心躍るものだったからだろうな
▪️社会の理不尽を訴えるような作品も多い
アメリカの女とメキシコの女
身に着けている物の違いが 支配する者とされる者を表しているよう
戦争で得られるものは何もない、数え切れないほどの人が駆り出され 虫けらのように扱われ死ぬ‥
そう言いたげな荒涼とした風景
より洗練された美の表現を目指すというよりは
「芸術とは 現状に対する不満や怒りを表現する武器」みたいな感じもありました。
日本人の日常と戦争を描いた作品も
こういう出征の場面を描いた作品って 国の姿勢に従った 勇ましいものが多いですよね
お国のために頑張ってこい!行ってまいります! バンザーイ バンザーイ みたいな
でも この絵はそうじゃなくて、戦争に巻き込まれることに納得いかない
でもイヤとは言えないから 感情を無にするしかないという心境が伝わり、重い気持ちになりました。
そして敗戦‥
娘「お母さん 私たちは死なずに済んだんだよ?生きていこうよ これ食べてさ」
そんな声を想像して 絶望の中に希望が見える絵だと受け止めました
戦争が終わり 日本の経済も復調してからは
絵本の挿し絵を描いたり 工場など生産の現場をビビッドなタッチで描いて 表現の幅を広げます
動物の表情にそれぞれの性格が出てる笑
学校授業での創作のあり方について提言していたので、教育にも関心があったのでしょう
文科省と母親の圧力で勉強させられる子供
学歴社会と受験と 子供のメンタル疲弊を予見するような絵ですね〜
「受験勉強は自分の糧になった」という人も多いので 一概にいいとか悪いとか言えませんが。
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メキシコ時代と日本時代では 展示室が別々だったのですが
明らかに 絵の発する熱量が違うんですよね
部屋の空気の濃さとかも。
🇲🇽メキシコにいる時は、絵を描くことが楽しくて楽しくて仕方なかったんだろうな
そんな印象を受けました
連れも「メキシコのほうが合ってたんだね」と言ってたので
北川が そう思う日もあったかも知れません。
子供の教育など家族の生活を考えて 日本に腰を落ち着けたんだろうけど
現代でも 海外のほうが合うという人だっているし
何より【逆境にあっても 大地を踏みしめて逞しく生きる】という南米のマインドと
北川民次の反骨精神は波長が合っていただけに
戦後の平和な日本は、彼には刺激の乏しい環境だったかも。
🎨🖌️メキシコでも日本でも、濃い色彩と太い線を使う 同じスタイルで描いているけれど
「心に火がついているか そうでないかは表れてしまうんだな」と思いました。
日本で描かれた作品の中で 強いメッセージを感じたのがこちら↓1948年「雑草の如くⅡ」
市民を踏み付けにして 大きな顔をする権力者
私利私欲に走る政治家たちが居座っているのは 昔も今も同じ
国会議事堂に飾ってほしい絵ですね
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和食屋さんで初めての味 トマトを使ったすき焼き🍅
とろける和牛と爽やかな後味で とても美味しかった♪
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