清浄の秋の運河でキスが泣いた。

久しぶり風がやみ海が落ち着いたので運河に行った。
空は明けかかって潮は凪ぎ清浄、運河は安らかさの中に横たわっていた。

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さていそいそ準備して抛る。竿は磨いたばかり、ラインも新しく0.8を巻いたばかり。今日は飛ぶぞーっ、とブン投げる。45度のランチングで竿は十分に弾んでオモリが伸びていく。薄明りでは波紋が見えないほどブッ飛んだぞ。

爽快。

コリコリ巻きにかかる、澪筋を通り過ぎても静かなまま、まだ巻く、とピリピリ小さく竿先が震えてそれっきり。サッサと寄せると、豆一匹。
気合の質量には見合わないけれど幸先はいい、と思うことにする。

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また抛る。今度は強い引きが来た。きっと見合った大きさに違いない。

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ちょっといいのが続いてウホウホだったけれど、海を見ると、油だ。船の廃油だろうか帯になって手前の岸辺を漂っている。
岸辺だけで魚のいるところまでは広がってはいない、しかし寄せて引き抜くときに油を被ってしまう。厄介である。

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世界一の鉄企業や市が中心となって、自省や未来への見通しを込めて海を守って来たはずなのだが指先までは届かず、時折、衰退が露出してサカナやヒトを侵攻しにかかる。露骨な狂気が海に漂ってまだサカナもヒトも抜け出せないでいる。

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30年前、車海老も一緒に復活したはずだが、あの車海老はどこへいってしまったのだろうか。
戸畑の呑み屋で、ザルで弾ける車海老に鍋の蓋を被せて、一匹一匹掴んで食ったことがあった。甘い身がぷりぷり弾けてマイウー、としか言いようがないほど美味かった。ああ洞海湾の車海老が食いたくなった、今でもあるのだろうか。

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幸い満ちに向かって西へ流れ出している。油が薄められ切れ切れに押し出され始めた。
こんな時に限って魚が釣れる。
それで油の切れ目から魚を引き抜くことにした。掛けては切れ目まで動いて素早くリールを巻きたてる、引っこ抜く、を繰り返す。

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釣れたキスを鼻まで近づける、クンクンとやってみるが油の臭いはしない。一つずつ、念を入れてクンクン嗅いだけれど、しない。

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晴れたと思ったら曇り始める。鈍色の空からはレンブラント光線、天使はどこへ舞い降りるのやら。

しかしなぜか油が切れだすと掛からなくなった。

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遊歩道の萩が健気に顔を上げていた。

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この日の魚は誰にもあげず自分で食べることにした。塩でよく洗って鱗をこさぐといつもの銀に輝く身が弾けそうに膨らんでくる。
食べるのも魚を理解する一つの方法である、と誰かが言っていたけれど蓋し名言。今夜も理解に励むことにした。
さて名言の出典を探しているのだけれど、まだ見つけられないでいる。

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