焼け野原の広島で手渡されたもの 私の敵だった日本人

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シドニー=小暮哲夫
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 広島への原爆投下から6日で75年。オーストラリア南部アデレードに、原爆による焼け野原を思い起こす元兵士の男性がいる。地元であの戦争を知る数少ない存在として、99歳になった今も経験を語り継ぐ。連合国進駐軍の一員だった当時、広島で忘れられない贈り物を手にしていた。

 1946年4月11日、当時25歳だったレス・ブラウンさんは広島の爆心地の近くにいた。広島県福山市にあった進駐軍の駐屯地に配属されたばかりだった。市中の警備が主な仕事だが、この日は休暇をもらい、広島に足を踏み入れた。

 「見渡す限り、黒かった」。立ち尽くすブラウンさんに近づいてくる足音が聞こえた。振り返ると、きれいな身なりの日本人男性がいた。年は30代半ばくらいに見えた。

 男性は胸のポケットから小さな包みを取り出した。何かを売りつけるのかと身構えたブラウンさんに、男性は両手を挙げて、そうした意図はないことを示した。

 男性は包みをブラウンさんの…

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この記事を書いた人
小暮哲夫
GLOBE編集部副編集長
専門・関心分野
オセアニア、東南・南アジア、多文化社会