虐待され軟禁、体重22キロ 生き抜いた美波が抱いた夢

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松本江里加
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 10年前の桜の季節、両親の戸籍から籍を抜き、名前をかえた。咲来(さくらい)美波(みなみ)さん(33)。過去と決別し、長く途切れていた人生を再び歩みだした。

 18歳になるまで、母親に自宅で軟禁された。小中学校も高校も通わせてもらえなかった。

 虐待の記憶は物心ついたときから。難産だったことを繰り返し聞かされたが、それが理由だったのかはっきりしない。

 両親と姉、兄の5人暮らし。保育園に通っていたころ、隣に座る子が食べきれなかった給食を食べてあげた。それを保育士から聞いた母親に、髪を引っ張られて引きずられるように自宅へ連れ戻された。「お前は卑しい。明日から保育園に行かんでいい」。それから軟禁生活が始まった。

 勝手に外出しないよう、床に正座したまま両手足と口を粘着テープで巻かれた。耳をちぎれるほど引っ張られ、木刀で殴られた。そのせいでけがをしても「勝手に血を流すな」とまた怒られた。

 母親の「許し」が出れば「食事」をとることができた。冷えて硬くなったご飯にから揚げがのり、その上に揚げ物の残り油がかかっていた。風呂は年に1回程度。父親がたまに「やりすぎだ」とたしなめ、兄が食べ物をこっそりくれることがあったが、母親は「化け物に優しくしないで」と言うので、家族は見て見ぬふりをした。

隠れた天袋で聞いた母のつぶやき

 それでも「母はいつか変わってくれる」と信じ続けた。だから何年も何年も耐えた。逃げようと決めたのは、母親の40歳の誕生日がきっかけだった。

 誕生日当日、勝手にテレビを…

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この記事を書いた人
松本江里加
西部報道センター
専門・関心分野
地方創生、子どもの権利、福祉,など