第1回僕は沖縄をどれだけ知っているんだろう ジョン・カビラさんの50年
客間に13人の一族が並び、笑顔やちょっと緊張気味の表情でレンズを見つめている。米軍統治下にあった沖縄が日本に復帰する1972年5月15日の半月前、琉球王家の子孫にあたる川平(かびら)家が集まった時の写真だ。前列の左から3人目は、いまラジオパーソナリティーなどとして活躍しているジョン・カビラさん(63)だ。
今年は沖縄が日本に復帰して50年。カビラさんは約1時間半にわたり、熱を込めてインタビューに応じてくれました。特に繰り返したのは、沖縄が直面する数々の理不尽さと、復帰から半世紀が経っても解決されないことへの疑問でした。カビラさんがインタビューでこうした思いを語るのは初めてのことです。
この写真は、朝日新聞大阪本社で見つかった。「当時のことを聞かせてもらえませんか」とカビラさんに写真を送ったところ、「その写真が掲載された週刊朝日を持っています」との返事が届いた。
――50年前の雑誌をお持ちとは驚きました。
これはたぶん父が持っていたものを譲り受けたものです。記事のコピーは以前から持っていましたが、フルで1冊っていうのは最近、といっても10年前くらいだと思うんですけど。家宝のようにしています。
――カビラさんは当時13歳でした。撮影した時のことは覚えていますか。
男の子3兄弟ですから、ワシワシして落ち着かなかったという……。撮影したフォトグラファーは大変だったでしょうね。
――写真は1972年4月30日、「週刊朝日」の沖縄復帰特集号のために撮影されました。半月後、沖縄は戦後27年続いた米国統治から日本に復帰します。復帰当日をどう過ごしたか、覚えていますか。
月曜でしたね? 首里中学2年で通常通り登校して、担任の先生から「今日は復帰の日で、変わることと変わらないことがある」という話がありました。米軍基地は基本的に変わらない、それどころか自衛隊がやってくる。そういった内容だったと思います。
――どんなことを思いましたか。
日常がどう変わるかという、疑問符ばっかりでしたね。アメリカ軍の管轄であることは当然変えるべきで、日本のなかにまた組み込まれるということが当然だしそれが正しい道だと思っていました。でも、アメリカ軍にコントロールされながらも「琉球政府」っていう名称ですよね。政府じゃなくて「沖縄県庁」になるのかっていう、子どもの理解で格下感があるというか、アメリカ世(ゆー)からヤマト世になるのかという、妙な諦観(ていかん)があったのを思い出しますね。
ジョン・カビラ
1958年沖縄県生まれ。国際基督教大学(ICU)卒業後、レコード会社に入社。88年のJ―WAVE開局と同時にラジオパーソナリティーに転身した。4月に始まった沖縄を舞台にしたNHK朝の連続テレビ小説「ちむどんどん」のナレーションをしている。
――1952年のサンフランシ…