盗掘穴から歴史的な大発見 飛鳥美人と出会ったあの日から50年
まさに「未知との遭遇」だった。色鮮やかな衣の男女が手に様々な道具を持ち、歩いているような写実的な絵。1972年3月、奈良県明日香村の高松塚古墳で極彩色の壁画が見つかったというニュースは、全国を駆け巡った。「飛鳥美人」の名でおなじみのこの至宝は、カビによる劣化などの困難を乗り越えて、今も圧倒的な存在感を示している。関西大学の学生の時、あの歴史的大発見に立ち会った森岡秀人さんの衝撃をたどった。
寒さと静寂に包まれていた
「異常な古墳やな」
初めて足を踏み入れたその古墳は、寒さと静寂に包まれていた。
当時20歳で関西大文学部の学生だった森岡秀人(70)は震えた。
1972年3月1日、明日香村。万葉集に詠まれた舞台が数多く存在する、飛鳥時代の宮都だ。
「高松塚」と呼ばれていたが、松の木は見当たらなかった。かわりに竹が密生していた。
「根が張っており、発掘は容易ではないな」
飛鳥地域はこの日、銀世界だった。森岡は登山靴に防寒着、母の手編みの帽子を身につけて参加した。
6日、慰霊祭の後で鍬(くわ)入れが行われた。学生たちは竹やぶを伐採し、一輪車で土を運び、黙々と発掘や測量の作業を続けた。
20日は雨。作業は午後から中止に。21日も朝から天候不順が続いた。それでも石室(埋葬主体部)の検出に備えた作業が始まった。
やがて石室の正面部分(南壁石)の盗掘穴(開口部)の半分が検出された。
意外な事実を発見
調査を担う関西大助教授の網…