第1回もっと速く、もっと多く、もっと効率よく 行き着いた「タイパ社会」
「危険防止のため、立ち止まってご利用ください」
アナウンスが繰り返されている。
「2列でご利用ください」
「右側もあわせて、ご利用をお願いします」
警備員もプラカードを掲げ、呼びかけている。
でも、人の流れは止まらない。
師走の朝、東京・新宿駅。長さ26メートルのエスカレーターは、下から上まで59秒。歩いて急げば29秒。
その差はたかが30秒、されど30秒だ。節約して得た時間はどこへ消えていくのか――。
費用対効果をあらわすコストパフォーマンス(コスパ)の概念にくわえ、時間あたりの生産性を重視する「タイムパフォーマンス」(タイパ)という考え方が注目されるようになってきた。
7割のひとが「時間に追われている」と感じている
映画やドラマなどの動画コンテンツを「倍速視聴」したことがある。そのように答えた人は、調査会社クロス・マーケティングによると、20~60代の3人に1人。20代では半数近くにのぼる。
コロナ禍で、学生たちのオンライン授業の「倍速視聴」は習慣化し、2022年に結婚した夫婦の出会いのきっかけはマッチングアプリが首位になった。好みの人を効率的に探せる手軽さが受けているようだ。
読書、音楽、食事、健康……。「タイパ」重視の意識は、忙しい現代人のライフスタイルを変えている。
あちこちで聞かれるようになった「タイパ」は、三省堂の「今年の新語2022」で大賞に選ばれ、様々な辞書に登場した。
「かけた時間に対しての効果(満足度)」(新明解国語辞典)
「なるべく時間を掛けずに、なるべく多くの見返りを得たいという現代的な発想が根底にある」(現代新国語辞典)
「現代用語の基礎知識」にも収録され、「時間効率主義」と記された。
背景に何があるのか。
効率化で得られるものがある一方、効率を上げれば上げるほどに忙しくなる矛盾も生まれています。「タイパ社会」の背景にあるものとは。そして、真に「豊かな時間」のありようとは。さまざまな人々の営みから考えるシリーズを始めます。
無駄を許す余裕のない社会
人類は常にスピードを追い求めてきた。
機関車や飛行機の発明。家電の進化。技術の革新は情報分野にまでおよび、30年前、インターネットが登場した。
総務省が毎年出している情報通信白書は、「データ流通量の爆発的拡大」を指摘する。ブロードバンドの総アップロードトラフィックの量が近年は毎年2割増え、コロナ下ではさらに急増した。2005年からおよそ76倍になった。
日本では2008年にiPhone、09年にAndroid端末が発売され、スマホが普及した。
SNSでのやりとりが主流となり、ネットフリックスやアマゾンプライムビデオといった定額見放題の動画配信サブスクリプションサービスが広まった。それぞれ会員数は世界で2億人を超える。
人間が消費しきれないほどの膨大なコンテンツが、タイパを重視せざるをえない要因の一つとなっている。
「人生はたった4千週間」
日頃の行動を高速化させたい。
博報堂生活総合研究所の調査では、そう考える人が、1999年の37%から、2022年には57%に増加。20~30代では7割近くに達し、全世代で増えている。
一方、時計大手セイコーグループの調査によると、対象者の7割近くが「時間に追われていると感じる」とし、5割近くが以前よりその感覚が「強くなった」と答えた。
80歳まで生きるとして「人生はたった4千週間」。
そう訴えるビジネス書「限りある時間の使い方」が2022年、20万部を超える大ヒットになった。
「効率を上げれば上げるほど、ますます忙しくなる」という「生産性の罠(わな)」に警鐘を鳴らす。
新書「映画を早送りで観(み)る人たち」の著者で、ライターの稲田豊史さん(48)は「これまでもあった費用対効果の意識が、仕事のみならずライフスタイルのあらゆる領域に浸透してきている」と指摘する。
「無駄を許す余裕のない低成長の社会が背景にあり、生存戦略としてタイパやコスパを最大限高められる方法を探しているように見えます」
現代の人々は、かつてない「タイパ社会」に生きるようになった。そんな時代における、豊かな時間のありようを考えてみたい。