射止められなかった日本代表の夢 難病を抱える高校生が開いた次の扉

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茂木克信
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 中学3年生で難病を患い、ジャパンのユニホームが遠のいた。目標を見失った時期もある。高校2年生のとき、病の制約と家族のやっかいごとをまとめて解決するアイデアをひらめいた。そして翌年、今どきの店を開いたことで新たな扉も開かれた。

 2012年、ロンドン五輪アーチェリー男子個人で古川高晴選手が銀メダルを獲得した。小学5年生だった平碧仁(あおと)さん(21)は、これを機にアーチェリーを始めた。

 9歳年上の姉の影響で射撃競技をかじっていたこともあり、めきめきと腕を上げ、中学2年生でナショナルチームに選抜された。3年生のときに新潟県代表で出場した国民体育大会では、少年男子で6位に入賞した。

中学卒業直前に潰瘍性大腸炎を発症

 さらに上をめざそうと、古川選手の指導が受けられる関西の高校への進学を決めた。だが、卒業まで2カ月というとき、潰瘍(かいよう)性大腸炎を発症した。

 大腸の粘膜に炎症が起こり、下痢や血便、発熱などの症状が続く難病。2カ月ほど入院することになり、進路を自宅のある新潟市内の高校に変えざるを得なくなった。

 高校生になっても入退院を繰り返した。体調をみながらアーチェリーの練習は続けたが、以前ほどの成績は残せなかった。

 日本代表の夢は遠のいた。かといって、普通に就職しようにも、難病を抱える中でどうやって働いたらいいのか。将来に希望が持てず、不安の中で過ごしていた2年生の夏。家族のお荷物になっている空きビルの存在を知った。

 新潟市中心部に所有する築50年の4階建てビル。丸ごと貸していた相手が高齢のために退去し、がら空きになっていた。

 周りにはそこかしこに空き物件があり、借り手はそう簡単に見つかりそうにない。多額の費用をかけて駐車場にしても、間口が狭くて車2台を並べるのがやっと。収益は月3万円ほどしか見込めない。妙案のないまま1年が過ぎていた。

17歳が考えたビジネスアイデア

 ある日の家族会議で提案した。「店員がいない無人店舗なら、駐車場より収益を上げられるんじゃない?」

 無人店舗であればずっといる必要がないので、自分でも運営できる気がした。新潟県の開業率が全国平均よりかなり低いこともニュースで知っていた。行き場をなくしていた挑戦心をかき立てられた。家族に思いを訴え、話し合いを重ねた結果、建物を使わせてもらえることになった。

 17歳なりに考えた。商品は…

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この記事を書いた人
茂木克信
新潟総局|行政担当
専門・関心分野
地方自治、くらし経済、依存症、セカンドライフ