第1回「異端」から90年、初の女性会長 「虎に翼」のように変えたい景色

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花房吾早子
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 男しか弁護士になれなかった時代、法律を学ぶ女は「異端者」だった。

 それから90年余り。日本弁護士連合会に今春、初めて女性の会長が誕生した。

 「あなたが会長になるということは、景色が変わるということ」

 渕上玲子(69)は先輩弁護士からそう言われ、はっとした。

 高等専門学校を卒業して、長崎の炭鉱会社に勤めた父。高等女学校を出て教員となり、結婚して専業主婦になった母。

 「自由を制限された記憶はない」という渕上は、1983年に弁護士登録した。男女雇用機会均等法が施行される3年前だ。

 「うちは女性は採らないからね」。就職活動で訪問した東京の法律事務所でさらりと言われ、「むかっとした」。何とか採用されても、男性の助手のように見られた。

 「女のくせに」という空気は、いまなお残る。

 「景色が変わるのか。いや、変えなければ」。NHKの朝ドラ「虎に翼」のモデルとなった、あの人のように――。

法律の勉強「恐ろしいのねぇ」

 「明大で法律を勉強しています」

 「へぇ恐ろしいのねぇ」

 そんなやりとりを繰り返し、三淵嘉子はこう思うようになった。

 「誰に聞かれても、法律を勉強しているなどということは、ぜったいに言わない」

 現在のお茶の水女子大学付属高校に通っていた三淵は、卒業後の32年、父のすすめで明治大学専門部女子部法科(当時)に入学した。

 「男の人と同じ仕事がしたい。男の人に負けない女になりたい」

 海外経験もある銀行員の父は「非常に民主的」。だが、世間は違った。

 「お茶の水を出て花嫁」が女性のエリートコースとされた時代、先生も母親も将来を案じて反対した。そもそも、弁護士は「男子タルコト」と法律で決められていた。

 そんな「異端者」の日々に光がさしたのは、女子部法科を卒業して明治大の法学部で学んでいた36年。改正弁護士法が施行され、女性にも弁護士への道がひらかれた。

 いまで言う司法試験に初めて女性が合格したのは、その2年後だ。中田正子、久米愛、三淵の3人。およそ3千人の受験者のうち、合格者は240人余りだった。

 23歳の三淵は新聞の取材に、こう答えている。

 「ひたすら不幸な方々のご相…

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この記事を書いた人
花房吾早子
大阪社会部|平和・人権担当
専門・関心分野
原爆、核廃絶、ジェンダー、LGBTQ+