がんが転移 余命「あと2年くらい」 希望と絶望、ごちゃまぜに

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編集委員・小泉信一
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記者36年 余命宣告【前編】

 絶望と希望――。揺れ幅のあまりの大きさに、気持ちがついていけないときがある。

 新聞記者になって36年。あと2年で65歳となり、定年を迎える。将来は妖怪や怪異伝承、日本の民俗を研究し、執筆生活に入るのが夢だった。

 それなのに、自分の将来設計が足元からガタガタ崩れていくような絶望感に襲われた。

 今年1月、東京都内の大学病院。泌尿器科のベテラン医師が口を開いた。「生きていられるのも、あと2年ぐらいかも知れません」

 人間ドックで異常が見つかり、2010年10月に摘出手術をした前立腺がん。放射線やホルモン治療も続け、血液中に含まれる腫瘍(しゅよう)マーカーPSA(前立腺特異抗原)の値が落ち着いた時期もあったが、3~4年ほど前から上昇に転じた。

 薬を色々試したが、数値は右肩上がり。しかも昨年2月からは尿に混じって血の塊が何度もドバッと出てきた。

 私を14年前から診察してきた主治医は「がん細胞が膀胱(ぼうこう)に転移した」と言う。膀胱の腫瘍は切除したが、CT検査の結果、リンパや全身の骨に転移。ステージ4の末期がんと判明した。

 しかも持病の糖尿病が悪化。腎機能障害となり、週3回、血液透析も受けている。「死への片道切符」を渡されたような気持ちになった。

 今年2月、腰に激痛が走った。ベッドから起き上がるのも難しい。鎮静剤で痛みをコントロールできるようになったが、100%消えたわけではない。ひざや足首もズキズキ痛む。

 余命宣告以来、見るもの、聞くもの、食べるもの、すべてを「できるのは、あと何回」と考えてしまうようになった。

 「今までの治療は何だったんだ。この病院は信じられない!」

 医師や看護師にそんな暴言を吐いてしまったこともある。原稿を書く気力が失せてしまったときもあった。

 一方で、無性に人に会いたくなった。

 元気で健康なとき、人に会う…

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