走った意味はあったのか 聖火ランナーの漁師が振り返る「復興五輪」
滝口信之
パリ五輪の開幕が26日に迫った。「復興五輪」を掲げた東京五輪・パラリンピックから3年。あの日の聖火ランナーはいまも、ふるさとの海で漁を続けていくために、闘い続けている。
福島県新地町の小野春雄さん(72)は漁師の3代目。30歳で船長になり、カレイやアイナメ、シラウオなどを取ってきた。
だが東日本大震災と東京電力福島第一原発の事故で一変した。津波で弟と親戚4人を亡くし、原発事故で県沖の漁は制限された。一時は「陸(おか)」の仕事に就いたこともある。
先の見えない生活のなか、光が差し込んだのが東京五輪・パラリンピックの開催決定だった。幼少期に見た1964年の東京五輪は、「東洋の魔女」と呼ばれた女子バレーボールや、体操男子団体の金メダルをテレビにかじりついて見た。「またあの感動がやってくる」と喜んだ。
「漁業者に元気を」と聖火ランナーに
開催は、当時の安倍晋三首相…