第1回客席に黒幕、どん底だった男子バレー 未来託された4人の「10年」

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加藤秀彬
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 まるで、コンサート会場のような熱狂だった。

 今年6月、バレーボール・ネーションズリーグが北九州市で行われた。男子日本代表の4試合は、いずれもチケットが完売した。最高価格は15万円だ。

 日本代表の赤いユニホームを着たファンが、最寄りの小倉駅周辺にあふれる。練習会場から試合会場への通路にも、立ち見の観客が押し寄せた。

 日本協会の男子強化委員長、南部正司は、その光景を見て思った。

 「10年前は、全くこんな状況ではなかった」

 南部は2014年に日本代表の監督に就任した。この時期、男子バレーはどん底状態だった。

 前年、日本バレーボール協会は初の外国人監督として米国出身のゲーリー・サトウ氏を招いた。次のリオデジャネイロ五輪に向けたチーム作りを期待されたが、結果は散々だった。

 同年9月の世界選手権アジア最終予選で、日本は14大会連続で出場していた本大会への切符を逃した。続くワールドグランドチャンピオンカップでも5戦全敗で最下位に終わった。

 サトウ氏はわずか1年で解任され、後を継いだのが南部だった。

 南部は現状を直視し、打開策を考えていた。

 日本男子は当時、直近5大会の五輪のうち、唯一出場した08年北京大会で1勝もできなかった。

 パナソニック(現大阪ブルテオン)の監督だった南部は、若手の必要性をひしひしと感じていた。

 「世界の監督から話を聞くと、将来フル代表で通用する可能性のある選手はすぐに引き上げる。それがスタンダードだと」

 目先の結果ではなく、長期計画での育成が必須だと考えた。

 そこで14年に抜擢(ばってき)したのが、当時大学生だった若手選手だ。

 石川祐希柳田将洋山内晶大、高橋健太郎。

 後に日本の主力になる4人を代表に招集した。

 さらに翌年4月、南部は記者…

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この記事を書いた人
加藤秀彬
スポーツ部
専門・関心分野
陸上、サッカー、海外スポーツ