藤岡事件、伝える誓い 朝鮮人犠牲者を市民慰霊
関東大震災の直後にデマに惑わされた群衆らが17人の朝鮮人を虐殺した「藤岡事件」から101年。犠牲者を悼む市民慰霊祭が14日、藤岡市の成道(じょうどう)寺で営まれた。約110人が参列し、過ちを繰り返さないよう、これからも語り継ぐと誓った。地元藤岡市からは塚本英夫副市長が出席し、「過去の忌まわしい歴史、教訓として、後世に伝えていかねばならない」と追悼のことばを読み上げた。
関東大震災は1923年9月1日に発生した。「朝鮮人が井戸に毒を入れた」「朝鮮人が放火している」といったデマが流れ、不安にかられた群衆や自警団などが在日朝鮮人を虐殺する事件が東京、埼玉などで発生。群馬県内でも震災から4日後の9月5日、当時の藤岡警察署を群衆が取り囲み、署に保護されていた朝鮮人を引きずり出して、日本刀や竹やり、棒や石で惨殺した。署に隣接する成道寺には慰霊碑がたてられ、翌年から供養が続く。
昨年まではふたつの市民団体が別々に慰霊祭を開いたが、101年の今回から一本化。新たにつくった「藤岡事件を学び伝える会」が主催した。秋山博会長(72)は「流言で暴徒化した群衆に命を奪われた朝鮮人の方々は、無念だったろう」などと述べ、市民に語り継ぐと誓った。
慰霊祭には遺族の出席はなかったが、110人が参加した。読経が響くなか、焼香を上げていった。朝鮮総連群馬県本部の李和雨委員長は「虐殺された17人の同胞は皆、震災を生き抜いた罹災(りさい)者。異国の地での劣悪な環境と民族差別に苦しめられた同胞が、どうして殺されなければならなかったのか。幾年が経とうとも恨みを忘れることはない」「101年がたった今も虐殺の真相は明らかにされていない。犠牲者の尊厳を回復させ、歴史の正義を守るために努力する」などと述べた。
法要を終えると、境内にある慰霊碑の前には、手をあわせる人たちの長い列ができた。
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市民慰霊祭を主催した「藤岡事件を学び伝える会」の秋山博会長は「事件は歴史的事実だから、市民に知ってほしい。地域で語り継ぎたい」と願う。そのために、事件があったことを伝える銘板を現地に設置し、ゆくゆくは地元自治体の藤岡市の主催で追悼の行事を開いて欲しいという。
日朝友好連帯群馬県民会議の藤井保仁さん(75)も「地域の歴史だから、市が主催して、市民に伝えることが大事」と賛同する。
念頭におくのは、藤岡と同様、関東大震災時に民衆らが朝鮮人を殺害した事件がおきた埼玉県本庄市や熊谷市、上里町の取り組みだ。この2市1町は長年、行政主催で追悼の式典を開いている。本庄市は「地元でおきたことだから」として犠牲者が埋葬された場所で開催しており、学び伝える会も、藤岡市にはたらきかける意向だ。
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◆藤岡市の追悼のことば(全文)
関東大震災朝鮮人犠牲者(藤岡事件)101周年市民慰霊祭に際し、一言ごあいさつ申し上げます。
大正12年の関東大震災から101年を迎えました。関東全域が災禍に見舞われ、多くの人命が失われた大混乱のさなか、恐怖と不安にかられ、根拠のないデマ、風評により、一般市民の手によって多くの在日朝鮮人の方々が殺害された。誠に悲惨な出来事で、二度と繰り返されてはなりません。
混乱の中での事件だ、という人もありますが、東日本大震災などの災害において、救援活動やその後の復興に多くの諸外国の方々が参加され、相互に助け合いがなされました。
また、関東大震災当時においても、横浜市の鶴見の警察署長さんが、自らの身をていして300人もの朝鮮人の方々を守ったという話もうかがいました。どんな時も冷静沈着、理性的に活動できる人もいたと救われた思いがいたしました。
現在の日本において、「混乱に乗じて云々」などということは、あり得ないことと信じておりますし、また私たち自身も落ち着いて、理性的に行動したいと考えています。
行政としては、大きな災害が発生したときに人命をしっかり守るという責任とともに、事実に基づいた情報をいちはやく市民に届け、市民に冷静な判断を促すことが大きな責任と考えています。
この事件のことは、過去の忌まわしい歴史、教訓として正しく認識し、風化させることなく、後世に伝えていかなければなりません。それにより現在も世界各地で起こっている紛争の解決や、真の国際平和の実現につながっていくものと確信しています。