寛容を称して右も左も排除する「極中道」とは 欧米で批判も日本では
「右でも左でもない」として「寛容」を称する「中道」が、実際は他者を積極的に排除している――。現代の中道政治を極左・極右のように「極中道」(エキストリーム・センター)と呼んで批判する議論が、欧米を中心に盛んだという。穏健なイメージのある「中道」がなぜ「極」と結びつくのか。「賢人と奴隷とバカ」などの著作で「極中道」論を展開する、社会思想史家の酒井隆史・大阪公立大教授に聞いた。
――「極中道」とはなんでしょう
「極左」や「極右」のいわば「中道版」です。英国の知識人タリク・アリが2015年に著した「エキストリーム・センター」をきっかけに広まった概念です。
私は略語の「エキセン」を使うことが多いですが、「極」というニュアンスも重要で、どう訳すか悩ましい。「極中道」「過激中道」などの訳もあり、日本語ではまだ定まっていません。
アリは英国の労働党ブレア政権、米国の民主党クリントン政権など、冷戦後の1990年代から中道左派とされた体制下でネオリベラリズム(ネオリベ、新自由主義)の政策が進んだ現象を検討しました。体制を交代しながら担う中道右派と中道左派が、現体制を保全することを目的化する枠組みを、「エキセン」と位置づけたのです。
エキセンは、左右対立があった冷戦期の文脈での「中道」「中庸」とは異なる性格を持ちます。後者が左右の二極を結ぶ軸の中央に位置を取るのに対し、エキセンは二極から離れた所にもう一つの極を置いて三極の構造を作り、左右に対抗します。そもそも左右の対立などは異常なものである、として立場を取ることを拒否するのです。
後でもふれますが、それ自体も一つの立場、価値選択であるにもかかわらず、自分たちはニュートラルで価値選択から無縁であると主張し、最も正しい位置にいるという自己認識のもと、そうでないとみなした存在を排除するのです。
――エキセンという概念はそもそもどこで提唱されたのでしょう
初めてこの概念を提唱したのは、アリの著作より前、歴史家ピエール・セルナの2005年の著作です。セルナは、フランス革命以降のフランスの政治構造が左派と右派の対決のみによって語られることを不十分だと考えました。その両者を否定してしばしば現れた、ナポレオン3世による「ボナパルティズム」などの中道支配の体制に注目し、エキセンという枠組みを見いだしました。
エキセンは経済的にはリベラリズムを取りつつ、統治では立法府よりも行政権力を重視した権威主義、官僚主義を志向します。のちにセルナは、エキセンは現在のマクロン政権まで続く現象であるとも論じています。
――セルナやアリがエキセンの概念を論じたのは10~20年前のことなのですね
世界的には、2010年代からすでにエキセン的な政治のあり方には批判が集まっていたのです。
10年代、米国のトランプ大統領誕生や欧州での極右政党の伸長、米民主党のサンダースや英国労働党のコービンらの急進左派の台頭といった出来事が次々に起こりました。資本主義を体現する大富豪であるトランプが労働者の利益を代弁すると称して支持を集めたことや、フランスで中道のマクロン政権が支持を失っていったことなどは、エキセンに嫌気が差した人々が次の枠組みを模索する中で起きている現象の一環として説明できます。
「エキセン」が世界的な退潮傾向にあると論じる酒井さん。しかし日本では「エキセンがあまりにも強固に浸透している」といいます。どういうことでしょうか。
一方で日本のメディアではそ…
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