日本の心育てた米づくり 実は海外から伝来 弥生の水田あちこちに

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中村俊介
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 実りの秋、到来。無数の稲穂が風にそよぐ風景は紀元前の昔からほとんど変わらないようで、各地で見つかる田んぼの遺跡がそれを物語ります。水田稲作が伝来した弥生時代、その米づくりの姿とは――。

弥生期が稲作の時代と証明 登呂遺跡

 ほっかほかの湯気の向こうに、真っ白な炊きたてのご飯。米はずっと日本人とともにある食卓の主役だが、実はもともと日本列島にはなかった外来種だ。いったい誰が、いつ持ち込んだのか。米づくりのルーツとゆかりの地を訪ねました。

 天高く、実りの秋。こうべを垂れた無数の稲穂が田んぼを黄金色に染め上げる。今年も豊作、きょうはムラ総出で稲刈りだ。さあ、みんなで作業に励もう。終わったら、ごちそうも待っている――。

 日本の原風景といえばこんな刈り入れ時の光景、あるいは青々と水をたたえた初夏の田んぼを思い浮かべるのでは? はるか弥生時代からおなじみの景観だったようで、教科書でもそんなイラストを見た気がする。

 このイメージの定着にひと役買ったのが静岡市の登呂遺跡だ。水田跡と住居跡がセットになった、国内を代表する弥生集落跡である。

 水田の向こうに、復元された…

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この記事を書いた人
中村俊介
編集委員|文化財・世界遺産担当
専門・関心分野
考古学、歴史、文化財、世界遺産