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練っていた計画、元警察庁局長が証言 地下鉄サリン事件を許した判断

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編集委員・吉田伸八
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 オウム真理教による凶悪な事件が相次いだ当時、刑事部門トップの警察庁刑事局長だった垣見隆氏(82)が学者や朝日新聞記者らのチームによる聞き取りに応じ、捜査について証言した。警察はオウムに照準を合わせながらも教団への強制捜査に踏み切れずに「地下鉄サリン事件」の発生を許してしまった。警察内部でどのような動きがあったのか。

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 オウムの捜査を統括し、実質的な責任者だった垣見氏が捜査の全体を詳細に語るのは初めてで、当時の捜査の経緯や判断が明らかになった。

 垣見氏の証言によると、警察庁刑事局がオウムへの強制捜査の具体的な計画を立てたのは、1994年6月に長野県松本市で猛毒のサリンが噴霧され住民が死傷した「松本サリン事件」の5カ月後のことだった。

地下鉄サリン事件

 1995年3月20日午前8時ごろ、東京の地下鉄日比谷線、丸ノ内線、千代田線の計5本で発生。確定判決などによると、各電車内で、宗教団体オウム真理教の幹部らが猛毒のサリンが入ったポリ袋に傘の先を突き刺し、サリンを散布させた。乗客や駅職員ら14人が死亡、6千人以上が重軽症を負った。警察の捜査が教団に迫るなか、首都を混乱させることが目的で、霞ケ関駅が通る3路線が狙われた。
 教団が関与した一連の事件では、2018年7月に元幹部13人の死刑が執行された。このうち地下鉄サリン事件には教団元代表の松本智津夫(麻原彰晃)元死刑囚ら10人が関与した。

 同年11月16日、山梨県上…

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この記事を書いた人
吉田伸八
編集委員|警察庁担当
専門・関心分野
警察行政、事件、犯罪