赤生津・安部氏の出自を尋ねて

外史による新たな前九年合戦(1051年)伝説発掘と、白鳥舘の安倍頼時七男「比与鳥七郎」。さらに阿弖流為時代にさかのぼり、祖先安倍高丸を追う

安倍氏の境講師良照が北上市極楽寺(定額寺)定額僧となり、胆沢ダムの僧寺にいて、法華経を布教した

胆沢町史Ⅱ14

境講師ははじめ出羽陸奥の国境に位置する下嵐江に住寺し、のち廃寺してこの僧寺に住寺し、その家族が小松の谷木(国道北側)に居住していたと思われる。

僧寺が野火によって焼けつくし、住寺わずかの年月で、その後は北上市稲瀬の極楽寺が定額の寺に預り定額僧となり、任期4年を終えて、その何年か後に磐井の小松ノ柵の城主になったとの考察である。

 

国見山廃寺跡(極楽寺) (国指定史跡) - きたぶら-北上観光コンベンション協会 (kitakami-kanko.jp)

 

天台寺研究(天台寺研究会編) 17P

安倍と天台宗天台寺

安倍頼時の子で、貞任・宗任の弟とされている人に、境講師官照という人がおりました。

・・・これは古代、朝廷から地方の国分寺に配置された国講師というものの系譜につらなるものと思います。

・・・そこで、安倍氏のように、北方の大豪族が、金や馬その他の献上・献納によって、正規の僧として認められ、さらに講師資格を許されるということは、十分ありえたと思います。

  翻译: