高杉家の菩提寺は萩の亨徳寺で、
明治期にその累代墓が建立されましたが、
平成4年に東行庵に移されました。
「高杉家祖先歴代墓」。
高杉家のルーツは安芸武田家とされ、
武田元繁が祖とされますが、
これについては諸説あるようです。
元繁の子とされる武田春時が、
高杉城(若しくは高杉山城)の城主となり、
高杉姓を名乗ったとされ、
以後は高杉春光、高杉春貞、高杉就春、
高杉春俊、高杉春信、高杉春善、高杉春明、
高杉春豊、高杉小忠太春樹と続き、
高杉晋作春風に繋がっています。
但し晋作は家督は相続しておらず、
婿養子高杉春棋が明治9年に家督を相続。
晋作は谷家を興しており、
後に息子高杉東一が高杉姓に改称し、
分家(別家)ということになります。
父小忠太の墓は東京都港区の瑞聖寺ですが、
墓地は一般には非公開ですので、
この辺りの事は不明。
現在も続いている家ですので、
追跡するべきではないでしょう。
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