[山口県下関市]」カテゴリーアーカイブ

下関市吉田 東行庵/東行庵主の墓

慶応3年に高杉晋作は死去しますが、
その遺骸は遺言により吉田に葬られます。
危篤に際して妾のおうのは遠ざけられ、
臨終や葬儀にも立ち会ってはおらず、
路頭に迷っていたとされていますが、
これを知った山形有朋伊藤博文は、
おうのを出家させて墓守となる様指示。
山縣の草庵… 続きを読む

下関市吉田 東行庵/高杉家祖先歴代墓

高杉家の菩提寺は亨徳寺で、
明治期にその累代墓が建立されましたが、
平成4年に東行庵に移されました。


高杉家祖先歴代墓」。
高杉家のルーツは安芸武田家とされ、
武田元繁が祖とされますが、
これについては諸説あるようです。
元繁の子とされる… 続きを読む

東行庵 2024秋

紅葉を見に東行庵へ。
今年の11月は出張が続いて忙しく、
12月に入ってからの訪問。
流石に[紅葉谷]モミジは枯れてましたが、
[晋作楓]は綺麗に色付いていました。


東行庵は季節により表情を変え、
何時来ても美しい。
特に秋の紅葉は格別です。


子供らに[わぁすごい!]と言わすだけで、
連れて来た甲斐があります。… 続きを読む

下関市長府 仲哀天皇殯殮地

14代仲哀天皇日本武尊の子で、
伯父である13代成務天皇の養子となり、
先帝崩御の2年後に即位しました。
即位2年後に気長足姫(神功皇后)を娶り、
後に熊襲討伐の為に皇后と豊浦に行宮。
熊襲を討つ為に筑紫に赴いた際に、… 続きを読む

下関市長府 日原素平宅跡

坂本龍馬下関での滞在中、
本陣伊藤家等に滞在していましたが、
ある一時期の間身を隠す為に、
長府藩士日原素平宅に滞在しています。
※正確な滞在時期は不明ですが、
 慶応元~3年の間のどこからしい。



日原素平宅跡」。
西国街道沿いにあった日原素平宅は、
現在2階建のマンションとなっています。
この日原素平という人物について、
資料が見つかりませんでしたので、
どのような人物かわかりませんが、… 続きを読む

下関市井田 下関市中央霊園/白石廉太郎墓

下関中央霊園白石家之墓の傍らに、
白石廉太郎なる人物の墓石があります。


白石廉太郎墓」。
廉太郎という名が気になり調べてみると、
なんと白石廉作の忘れ形見でした。
廉作は白石正一郎の末弟で、
兄の影響からか尊攘運動に参加し、
奇兵隊続きを読む

下関市豊北町 阿川八幡宮

豊北町阿川にある阿川八幡宮
創建は鎌倉時代弘長年間とされ、
阿川の開発と共に創建されたようで、
領主の阿川氏三家大友家
そして阿川毛利家の崇敬を受けました。


阿川八幡宮」。… 続きを読む