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2022年4月12日火曜日

記念日

晴れ。初夏の陽気😎

 毎年この日が来ると嫌な思い出がよみがえってくる。今日は思い出したくない記念日! 

34年前にポーランドで呼吸不全を起こして、意識不明の状態で病院に
運ばれた。危篤状態になり、元旦那と両親が気管切開の手術同意書に
サインをしてしまった。まさかこんなことが決まったと知らずに呑気に
臨死体験していた。 

結局、私の同意なしに今の人生を生きることになった!
その時、まさか34年間呼吸器をつけたままで生きることになると
思わなかった。
 
病気が進行して、多臓器不全にもなって、呼吸器を外してもらいたいのに日本は安楽死を認めてくれない。
 
今まで自分の人生に満足していれば、いつ死んでもいいはずだと思う。
苦しみながら痛みに耐えて、見栄を張って「頑張る」と言って、
同情されても、意味がある!  

日本では呼吸器を着けていると、ただの重病人、家族と社会のお荷物だと
しか見られてない。障害者は障害者らしく、病人は病人らしく・・・
言われたことがある。はっきり意見をいう障害者は嫌われるし、
見下される。

死にたいと思いながら、生きている。でも、それは「死」を楽しみにしているという解釈もできる。

2022年1月26日水曜日

命日

曇り時々晴れ。12℃

今日は特別な日! 親友のHさんの5回目の命日💓
同病の彼が私にとって特別な存在だった。5年が経っても彼を思い出すと
もうこの世にいないことがとても悲しい😭
でも、いつか会えることを信じて生きている。待っててね。

2021年12月15日水曜日

もうすぐクリスマス

晴れ。15℃

昨日は神父さんが来て、一緒に祈ってくれた。今は神様の支えが
一番必要だと感じる。人間に裏切られるけど、神様は無条件で私を
愛している。まぁ、同じ信者ではないと、この気持ちが解らない。

もうすぐクリスマス。日本で過ごす一番辛い時期! ポーランドを
思い出し、家族と迎えるイエスのお誕生日が格別で、忘れられない。

明日はまた採血と検尿。クリスマスを無事に迎えるか・・・
先日、娘にクリスマスツリーを出してもらった。

2021年7月30日金曜日

思い出

晴れのち曇り。34℃

二日前に福岡沖にサメが現れた。それは2回目で、1回目は14年前
だった。当時の日記から
2007/08/02      サメ騒動
「昨日は午前11時45頃に家の裏の海水浴にサメが現れた。その時、
 娘が海岸にいた。沖合約200メートルの範囲に70~80匹のサメと
 エイも確認され、海水浴が大騒ぎになった。ヘリの音がうるさくて、
 何があったか後で娘に聞いた。まぁ、今日は静かになったと
 思ったら、台風の接近で風が強い。
 毎日新聞の記者が撮った悠々と泳ぐサメの写真。」

2021年5月9日日曜日

母の日

晴れ。季節外れの暑さと変わりやすいお天気が体力を奪われる。

先日の採血の結果に大きな変化がなかった。すべての数字は
ギリギリのラインで、腎機能と心機能は低下。不整脈は増えている
実感があるけど、コロナの影響で病院にいけない。

今日は母の日❣ 2017年に母が85歳で突然天国に旅立ってから、
もうすぐ4年になる。壁に飾っている母の笑顔の写真を観て、
色んな思い出は頭に浮かんできて、いつも涙ぐんになる。

2021年3月9日火曜日

思い出

曇りのち晴れ。13℃

私の青春の歌。思い出は私の支えと宝物!
遠距離恋愛、国際結婚、日本に永住、出産、子育て、お別れ・・・
幸せな人生だった。愛して愛されて。
生まれ変わるのなら、もう一度同じ人生を送りたい。
身体が不自由でも! 終末期を迎えて、それが私の正直な気持ち。
自分に満足!悔いのない人生だった。

2021年1月26日火曜日

命日

 雨。13℃なのに、肌寒い。

今日は親友の命日・・・複雑な気持ちと色んな思い出が頭に浮かぶ😢
彼が同病で、私を支えてくれていた。4年が経っても、彼に感謝の
想いが変わらない。天国で会いたい!もう少し待ってね。

2020年12月9日水曜日

命日

今日も寒かった。13℃

ジョン・レノンが暗殺されてから昨日でちょうど40年が経った。
当日は大学生で、ポーランドでニュースを聞いた。

彼の歌をよく聴いてた。歌詞は凄く印象的で、考えさせれるものだった。
生きていれば80歳!時の流れを感じているけど、彼の音楽は時代を
ずっと追い越している気がするし、とても新鮮だと思う。

2020年10月3日土曜日

青春時代の思い出

 曇りのち晴れ。暖かい。朝晩は冷える。

昨日は3週間ぶりのお風呂。 前よりきつかった!
またしばらくは入れないの覚悟しなきゃ。
寒くなったら、無理かもしれない。まぁ、その時は諦めるしかない。
左室駆出率13%・・・心臓は血液を送る1回分の量が20mlで、
エコーをパソコンでみて、もう笑うしかなかった。

最近、色んなことを思い出す。不思議だけど、いい思い出が多い。
この前、思い出したのは17歳の時に布施明とポーランドで
出会ったこと。

彼は1974年にポーランドの国際歌謡祭に参加した。握手会で少し
お話させてもらった(英語)。もう当時に車いすだった。

当時の映像をYouTubeで見つけた。

私の日本との出会いでもあった。😊

2020年8月10日月曜日

山の日

雨と風。初めての台風。今年はまだ数が少ない。これからかな?

久しぶりの雨で庭が生き返った。水やりはいつも大変で、娘に余計な
負担がかかる。キュウリが終わって、オクラは病気でほとんどだめに
なった。大玉トマトと調理用トマトがまだしばらくとれる。パプリカと
ピーマンも元気で、さつま芋はこの雨で少し生き返ると期待してる。

今日は山の日。私はどちらかと言えば海のほうが好き! でも、子供の
時に山のほうによく連れてもらっていた。父はキノコ採りが好きで、
秋になると必ず行ってた。
ポーランドの山
                     



2020年8月1日土曜日

終末期 延命と尊厳③

夏空。今日も暑い!

今朝は頻脈の発作を起こして、胸の圧迫感も半端じゃなかった。
即効性のある薬を飲んで、酸素量をあげてもらったら、どうにか
落ち着いてきた。在宅ではそれしかできない。

この前のつづき。
思い出したくない過去はだれにでもある。
31歳の時に呼吸不全を起こして、意識を失った。回復の見込みもなく
家族の決定で呼吸器を付けられた。あれから、30年以上与えられた
人生を生きていた。

しかし、今の知識があれば、意識を失う前に自分の意思を家族に
伝えたかった。その時にどんな選択肢をしたか、分からないけど、
与えられた人生ではなく、自分で選んだ人生を歩んだかも知れない。

日本では、延命装置(呼吸器など)をいつでも付けられる。
でも、外すことができない! だから、明白に自分の意思を家族などに
しっかりと伝えるべきだと思う。しかし、今だと例え伝えたとしても、
尊重されないこともある。適切な法律がなければ、医師および家族が
殺人犯になる。

救急車で意識のない状態で運ばれたら、医師が治療を行う義務がある。
だから、私はリビング・ウィル(英語: living will)(生前の意思)を
書いて、主治医に渡した。「尊厳死の権利を主張して、延命治療の
打ち切りを希望する」といった意思表示です。

延命治療を望むにしろ尊厳死を望むにしろ、患者の意思が大きく
反映されるようになってきている今、自分の意思をはっきりさせて
おくという意味で、リビングウィルはひとつの方法だと思う。

先日、安楽死を頼んだALS女性のまた記事が出た。正直言って、腹が
立った。書かれたことは事実かどうかわからないし、死んだ人は
もう何も語れないし、主治医の名前さえ出されない(安楽死をさせた
ドクター二人と違って)。

NHKの番組のせいにするんなと言いたい! 私も同じ番組を観て、
日本に同じような法律があれば、わざわざ賛成していた家族と一緒に
スイスまで死に行く必要はなかった。

安楽死に反対している障害者団体の言い分というのは、呼吸器など
延命装置を着けている人たちが自分の意思でもなく殺されてしまう
ことを恐れている。それは日本の社会のモラルの問題だと思う。

2020年2月23日日曜日

富士山の日

晴れ。

今朝は3年前に亡くなった親友の奥さんからゆうパックが届いた。
手作りのひな人形と布マスクを送ってくださった。そして、
お墓参り(お寺の納骨堂)に言った時に、私の手紙を持って
行ったそうで、メッセージに書いてあった。嬉しかった😀
ありがたいな~



そして、今日は富士山の日。語呂合わせで富(2)(2)(3)。
富士山の風景が大好きで、写真を見ると癒される。
まだ呼吸器を装着してなかった頃は、新婚旅行に車で富士五湖周辺を
回って、富士山の五合目まで行った。10月だったから、快晴に
恵まれて、良い思い出になった。

2020年1月26日日曜日

思い出

曇り。14℃。冬は?

今日は親友が亡くなってから3年。彼を思い出すとまだ涙が出る。
同病の彼は東京に住んでいて、スカイプ以外、一度も会ったことが
ない。でも、私にとって、すごく身近な存在だった。

2001年に初めてパソコンを購入して、インターネットの
筋ジストロフィーのメイリングリストに登録して、彼と出会った。 

私は離婚してから、子育てをしていて、彼が自分の家庭を
持ちながら、私を支えてくれた。彼は呼吸器を装着して
いなかったが、呼吸器の辛さを理解してくれて、自分が付けたく
ないと言っていた。

家族に言えないこともお互いに何でも話せた。
やはり同病じゃないと、いくら家族でも共感できない
ことがあると思う。

彼は私より10歳年上で、筋ジストロフィーを28歳の時に
発症して、進行が割合と遅かったから、まさか先に飛び立って
しまうと思わなかった。

3年前に奥さんからご連絡を受けた時に暫く言葉が出なかった。
ただ、ただ泣いてばかりだった。

奥さんとの連絡を今も取り合っている。きっと彼が私のことを
見守ってくれている。でも、寂しいし、お話を聞いてほしいし、
早く会いたい!

今日のミサのお祈りを彼に捧げます。

そして、好きな歌を彼に聴いてほしい。
Tears In Heaven エリック・クラプトン


  翻译: