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朝鮮総督府の政務総監、遠藤柳作は、1945年8月15日正午、ポツダム宣言受諾を告げる天皇の無条件降伏放送がソウルの市街に流れる日の早朝に、進歩派の民族主義者、呂運亨に日本降伏後の治安の維持を委嘱しています。だから、呂運亨は、遠藤政務総監との話し合い後、直ちに自宅に何人かの指導的人物を召集し、その日のうちに、「建国準備委員会(建準)」を組織することを決定しています。その結果、建国準備委員会は、アメリカ軍先遣隊の仁川上陸が二日後に迫った9月6日には、全国の南北各界各層を網羅した代表一千数百名の中心的人物をソウルに召集して、全国人民代表社会を開催し建国準備委員会を発展的に解消して、「朝鮮人民共和国」を国号とする国家の創建と、新朝鮮国民政府の樹立を決議していました。でもその時には、アメリカは、すでにソ連対日参戦後...南北統一「朝鮮人民共和国」を潰した李承晩とアメリカ軍政庁
私は、日々、ウクライナ戦争の死者の報道があるのに、停戦・和解の話がほとんどないことに苛立ちを感じています。なぜだろうと思います。また、ウクライナ戦争について報道される事実についても、双方の言い分を知りたいと思うのですが、ロシア側の情報はほとんどありません。だから、ツイッターやユーチューブ、english.pravdaなどから、ほんのわずかな情報を得ます。でも、その情報が真実であるかどうか、自ら確かめる手段がありません。そこで、わずかな情報と関係者の時々の発言、諸事件の前後関係、また、ウクライナ戦争を主導するアメリカの対外紛争に対する関わり方の歴史などをふり返ります。すると、プーチン大統領のいうアメリカの過ちや犯罪性が否定できないように思われるのです。今回は、前回に引き続き第二次世界大戦後の、朝鮮に対するア...アメリカの対朝鮮政策とウクライナ戦争