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広島・長崎原爆

1945年8月、広島・長崎へ原爆が投下されました。体験者が高齢化するなか、継承が課題になっています。

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世界が無知だった核被害の実態 海を越え、命削った証言に平和賞

背中が真っ赤に焼けただれた自身の写真を手に核兵器廃絶を訴える谷口稜曄さん=米ニューヨークの国連本部で2010年5月7日午後3時半ごろ、錦織祐一撮影
背中が真っ赤に焼けただれた自身の写真を手に核兵器廃絶を訴える谷口稜曄さん=米ニューヨークの国連本部で2010年5月7日午後3時半ごろ、錦織祐一撮影

 日本原水爆被害者団体協議会(日本被団協)へのノーベル平和賞授賞式が10日にノルウェー・オスロで開かれる。広島、長崎への原爆投下から来年8月で80年。核兵器使用に対する懸念が高まる中、惨禍を経験した被爆者の言葉に世界は改めて目を向けようとしている。焦土からの復興とともに、被爆者は何を世界に訴えてきたのか。

 日本被団協への授賞決定から1カ月がたった11月11日、長崎市にある長崎原爆被災者協議会(被災協)の事務所を、国際NGO「核兵器廃絶国際キャンペーン」(ICAN)の条約コーディネーター、ティム・ライトさん(39)が訪れた。核兵器禁止条約の成立を主導し17年に同賞を受けたICAN。日本被団協の代表委員も兼ねる被災協の田中重光会長(84)にライトさんは花を贈り、こうねぎらった。

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