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広島・長崎原爆

1945年8月、広島・長崎へ原爆が投下されました。体験者が高齢化するなか、継承が課題になっています。

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「私は思い出したくないのです」 沈黙に込められた原爆孤児の苦悩

原爆犠牲者の鎮魂と平和への願いを込めて流される灯籠=広島市中区で2024年8月6日、大西岳彦撮影
原爆犠牲者の鎮魂と平和への願いを込めて流される灯籠=広島市中区で2024年8月6日、大西岳彦撮影

 四半世紀近く原爆報道に携わってきた。被爆者や家族の語りに耳を傾けてきて、絶対に忘れられない、決して忘れてはならないと自分を戒める言葉がある。

 「私は広島を思い出したくないのです」

 十数年前のことだ。私は一人の原爆孤児を捜していた。その孤児は広島の中心街にあった商店の息子で、原爆投下時には学童疎開で広島を離れていた。店があった街路は爆心地にほど近く、跡形もなかった。息子が家族で唯一の生き残りだったことを突き止め、しかも東日本で健在だった。

 連絡先も判明し、面談取材を申し込もうと電話をかけた。先方は突然の申し出に驚いた様子だったが、取材の趣旨を伝える私の説明に耳を傾けていた。「よく、たどり着きましたねえ」。戸惑いを隠せない口調ながらも、こちらをねぎらうようでもあったと記憶している。

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