10日に開かれる日本原水爆被害者団体協議会(日本被団協)へのノーベル平和賞授賞式に合わせ、日本被団協役員ら代表団30人に加え、原水爆禁止日本協議会(原水協)などが主催するツアーで被爆者や被爆2世ら55人がノルウェー・オスロを訪れる。ツアー参加の被爆者は、どんな思いを胸に現地で受賞を祝い、人々と交流するのか。
平和へのメッセージ直筆のシャツで
「戦争なくなれ」「平和は命」――。京都市在住の花垣ルミさん(84)がオスロに羽織っていく予定のシャツには、これまで出会った平和運動に関わる人々の直筆メッセージが色とりどりのペンでびっしりと書かれている。米ニューヨークでの核拡散防止条約(NPT)再検討会議に合わせた2005年、10年、15年の計3回の渡米時にも着ていった。今回のオスロでも現地で多くの人と触れあい、「力をもらいたい」と語る。
横浜市で暮らしていた花垣さんは、1945年8月6日は母の故郷・広島に疎開していた。家は爆心地から約1・7キロ。5歳だった花垣さんは長年、避難の途中で目撃した惨状の記憶を失っていた。被爆58年後の03年夏、生協活動に参加して広島を訪れ、原爆ドーム前で灯籠(とうろう)を流した。その報告書を書いていると、河原に積み上げられた遺体や水たまりの周囲で力尽きた人々の姿、髪の毛が燃える嫌な臭いまでもがよみがえってきた。母は「見ちゃ、駄目」と言って抱きしめて花垣さんの目を塞いだのだという。
「震えが止まらなかった」という花垣さんはその後、封印してきた記憶を書き記し、証言活動や核兵器廃絶を求める国際署名活動に熱心に取り組んだ。交流のあった佛教大の学生らが協力し、花垣さんの体験は紙芝居や絵本にもなった。
今回の日本被団協の受賞決定には「被爆者が認められた」と涙が出た。その一方で「これが私たちが行き着いたところではない。ボロボロの『核の傘』の下にいるのではなく、世界が認めた今こそ、日本政府は核兵器禁止条約に参加してほしい」と訴える。
京都市内で11月30日、生協関係者や学生らによる核兵器廃絶を考えるイベントがあり、出席した花垣さんは「被爆者だけの受賞ではない。皆さんにありがとうと言いたい」と感慨を語った。オスロ滞在中には現地の議員らに30分程度、話をする機会があるという。「核を巡る今の状況を打破してもらうよう、訴えてきたい。頑張ってきます」と力を込めた。
「一緒に行動しよう」伝える
兵庫県加古川市在住の林勝美さん(82)は、日本被団協への平和賞授与決定のニュースに「選考委員は被爆者を表彰することが、核戦争の『冷却剤』になると期待したのではないか」と考えた。「一人でも多くの被爆者がオスロに行くことが(核戦争反対の)アピールにつながる」と自費でツアーに申し込んだ。渡航を前にスマートフォンのアプリで英語を学び「世界の指導者に戦争をやめさせるため、『一緒に行動しよう』と多くの人に訴えたい」と語る。
林さんは、広島市の爆心地約1・3キロの伯母宅で被爆した。自宅は爆心地から1キロ以内にあり、原爆投下の1週間ほど前「広島も危ない」とのうわさを聞き一家で伯母宅に移動していた。「引っ越していたから今生きて話ができている」と力を込める。
45年8月6日、3歳だった林さんが中庭の池で泳ぐ魚を眺めていた時に「ピカッと光り、ドンと衝撃があった」。家の2階で洗濯物を干していた14歳の姉が、倒れてきた家屋の下敷きになった。人力では助け出せず、迫る火の手から逃れるためにそのままにして避難する途中、電車の鉄橋の枕木から炎が上がっていたのを覚えているという。
林さんは広島大学卒業後、兵庫県のメーカーに就職。50代になり地元の被爆者団体に入会し、広島への修学旅行を控えた地元の小中学生などに体験を話すようになった。「先輩」の被爆証言を聞くなどして断片的にしか覚えていない記憶を補ってきた。オスロでの体験が加われば「より深みのある話ができるかもしれないと期待する気持ちがある」と話す。
最高齢93歳「あんなことは二度と…」
神奈川県鎌倉市在住の詩人、橋爪文(ぶん)さん(93)はツアーで最高齢の参加者だ。14歳の時、爆心地から約1・6キロの広島貯金支局で学徒動員中に被爆し、爆風で吹き飛ばされて、右耳の上の頭部からねっとりした大量の血が流れ出てきたという。
原爆症や難病などに長年悩まされ、3人の息子が幼い頃には、「(子どもたちに)私の記憶を残しておいてほしい」と願って童謡を作った。欧州やニュージーランドなどを1人で訪れ、原爆をテーマにした自作の詩の翻訳を紹介し、被爆証言もした。
今回、車椅子でツアーに参加する橋爪さんは、機会があればオスロでも体験を語りたいと考えている。「被爆者の一人一人には物語があり、話すのはつらいがあんなことが二度とあってはならないと思って話してきた。その思いを分かってほしい」と訴える。【宇城昇、高木香奈、根本佳奈】
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