「ナイトスクープ」初代局長の上岡龍太郎さん 松本人志さんへの思い
「代わりのいない天才だった」。亡くなった上岡龍太郎さんを惜しむ声は多い。
人気テレビ番組「探偵!ナイトスクープ」を立ち上げた松本修さんもその一人。
「ラブアタック!」「わいわいサタデー」など昭和の時代から上岡さんとタッグを組んできた。
「瞬間の反応に長(た)け、独特の切り口でリアクションする天才でした。ナイトスクープは、上岡龍太郎の才能を生かすために考えた番組だったんです」
番組が始まった1988年当時、出演者が司会者にプレゼンするタイプの番組は珍しかった。
未踏の船出だったが、上岡さんの当意即妙な司会で大当たり。ナイトスクープ=上岡龍太郎のイメージが広まっていく。
局長の後任探し難航
その分、2000年の早すぎる引退に伴う局長の後任探しは困難を極めた。
「上岡さんの代わりはいないから、違うタイプの局長でないといけなかった」
2代目局長の西田敏行さん、さらには3代目の松本人志さんへ。バラエティー豊かな顔ぶれでバトンがつながれていく。
西田さんは、松本さんへの局長交代のタイミングの会見でこう総括していた。
「(局長が)僕になって、(泣ける)ぬれた笑いの方が大きくなってしまった」
いい話で終わらせない独特の批評眼や、愛ある毒舌に裏打ちされた「乾いた笑い」。上岡さんが得意とした路線こそが、番組の揺るぎない柱なのだと。
その代表例が、「全国アホ・バカ分布図」。上岡局長時代の大ヒット企画で、「アホとバカの境界線は?」をテーマに全国の教育委員会にアンケート。方言の分布を視聴者に俯瞰(ふかん)で見せようと、ヘリで空撮をしたり校庭で人文字を作ったり。関西の番組らしく、アホらしい問題をくそまじめに伝えた。
ナイトスクープ3代目局長の松本人志さんに特別な思いを抱いていたという上岡さん。何を愛し、何を良しとしなかったのか。芸能界を生き急いだ人生模様は記事後半で。
おならの企画も大ウケした…