命綱の本が紙クズに変わる時 芥川賞「ハンチバック」が問うマチズモ

有料記事

文学紹介者・頭木弘樹=寄稿

頭木弘樹さんの寄稿を音声でお聴きいただけます。

[PR]

文学紹介者・頭木弘樹さん 寄稿

 第169回芥川賞・直木賞の受賞者が発表されたあと、芥川賞を受賞した市川沙央さんが記者会見で、「私が一番訴えたいのは、やはり『読書バリアフリー』が進んでいくことです」と発言したことを、X(旧Twitter)で知った。

 受賞者のコメントとしては意外だ。

 読書バリアフリーについて語った受賞者は初めてではないだろうか?

 私はあわてて、受賞者会見の映像をネットで見てみた。

 市川沙央さんは、筋力などが低下する筋疾患の「先天性ミオパチー」という難病を患っていて、紙の本を読むことが難しいという。

 受賞作の『ハンチバック』(文藝春秋)には、読書についても書いてあるということだったので、早速読んでみた。

「『本好き』たちの無知な傲慢さを憎んでいた」

 グループホームで暮らす重度障害者の女性が主人公の小説で、たいへんな衝撃だった。それはさまざまな意味でだが、「読書バリアフリー」ということだけに焦点を絞っても、これまでにない衝撃だった。

 それは、次の引用を読んでもらえればわかるだろう。

 〈厚みが3、4センチはある本を両手で押さえて没頭する読書は、他のどんな行為よりも背骨に負荷をかける。私は紙の本を憎んでいた。目が見えること、本が持てること、ページがめくれること、読書姿勢が保てること、書店へ自由に買いに行けること、――5つの健常性を満たすことを要求する読書文化のマチズモを憎んでいた。その特権性に気づかない「本好き」たちの無知な傲慢(ごうまん)さを憎んでいた〉

 「読書文化のマチズモ」!

 かつて読書がそのように表現されたことがあっただろうか?

 〈軟弱を気取る文化系の皆さんが蛇蝎(だかつ)の如(ごと)く憎むスポーツ界のほうが、よっぽどその一隅に障害者の活躍の場を用意しているじゃないですか〉

 指摘の鋭さもさることながら、表現の強さに驚いた。

 芥川賞選考委員の島田雅彦さんが「健常者をムチ打つ悪態のカデンツァ」と評しているが、これはじつはなかなかできることではない。

 障害者や病人というのは、人の助けがないと生きていけない。自分たちがどう困っていて、どう助けてほしいかを語るしかない。そのとき、嘆いたり呪ったりしていると、人は聞いてくれない。離れていく。だから、「なるべく明るく、ユーモアを交えて語るようにしましょう」と指導している人さえいるくらいだ。

 私自身も潰瘍(かいよう)性大腸炎という難病を患っているので、病気や障害について語ることの難しさは身にしみて知っている。私としては「ユーモアが大切という圧迫」に反対なのだが、それでもやっぱり呪いや毒は吐かないように気をつけている。

 ところが、市川沙央さんは「悪態のカデンツァ」だ。「読書バリアフリー」について語るのに、「無知な傲慢さを憎んでいた」とまで言い切っている。

 これには、正直、たいへんな爽快感をおぼえた。

 「健常者をムチ打つ」だけでなく、健常者に好かれようと言葉を選び、良い子ぶっている私たちに対する、びんたでもあった。

目を病んだ私を救った電子書籍と朗読

 私も、紙の本が読めなくなったことがある。四十歳くらいのときだ。

 潰瘍性大腸炎自体は下痢をす…

この記事は有料記事です。残り2609文字有料会員になると続きをお読みいただけます。

※無料期間中に解約した場合、料金はかかりません