「怪物」から「バービー」まで 恋愛至上主義に抗い変革願う生の物語
映画文筆家・児玉美月さん寄稿
私たちの文化では、しばしば「友達以上の関係」を「恋愛」の言い換えとして使う。もちろんその「以上」には、「友情」よりも「恋愛」を人間の関係における階級の上位へ位置づける含意があるだろう。ほかには「友達以上恋人未満」であればそれは曖昧(あいまい)な関係性を、「友情を超えた感情」なら恋愛感情を指すなど、こうした謂(いわれ)のレパートリーには事欠かない。
それらは暗に恋愛をより高く価値づけて重要視するだけでなく、親密性における恋愛と友情の二分法を強固なものとする。他者から親密な誰かとの間柄について問われ、とっさに「ただの友人」と否定する場面が想定しやすいのに対して、「ただの恋人」という否定の仕方が考えづらいのも、「恋人」がそれだけで「特別」な存在だと見なされているからにほかならない。
人と人のあわいに築かれる親密性は、本来それがいかなる様態であっても、そうして社会から序列を与えられたり、他者によって価値を審判されたりすべきではない。
性を巡る問題の切実さ 子供の世界でも
今年日本で公開されたルーカス・ドン監督による『CLOSE/クロース』は、13歳のレオとレミという少年同士を通して、多様であるはずの親密な二者間の関係がつねに性的なまなざしに晒(さら)され、単純な恋愛の枠組みによって捉えられてしまう危うさを炙(あぶ)り出す。この映画には、恋愛または性愛に限らないさまざまな親密性が模索される2020年代というまさにいまの時代のムードがあった。
また、『CLOSE/クロース』と並べて語られることも多かった是枝裕和監督による『怪物』も、同様に子供たちの非規範的なジェンダーとセクシュアリティーの問題をひとつのテーマとして共有している。2024年には、出生時に割り振られた性別ではない在り方を望む8歳の子供が描かれたスペイン映画『ミツバチと私』の公開が待機しているが、思春期や大人の物語だけでなく、子供たちの世界においても性を巡る問題の切実さを伝える良作が増加しているのも近年のひとつの傾向に挙げられる。
とくにハリウッド映画がそうであったように、映像という圧倒的なリアリティーによって支えられた映画はこれまで強大なイデオロギーの装置としても私たちの社会に影響を与え、恋愛やロマンチック・ラブ・イデオロギーによって恋愛と同一線上にあると見なされる結婚を、誰もがすべき至高のものとして扱ってきた。たとえメインプロットでなかったとしても、そこでは必ずといっていいほど何らかの形で恋愛要素が介入し、結婚は結末に配されることであたかも物語の大団円かのように機能する。
映画においても根強い恋愛至上主義に対する違和感は、若い世代を中心にますます可視化されてきている。そうした風潮を象徴する映画が、日本では大前粟生による同名小説を金子由里奈が映像化した『ぬいぐるみとしゃべる人はやさしい』だった。この映画では、ホモソーシャルなノリにも恋愛にも馴染(なじ)めない大学生の七森と彼の所属する「ぬいぐるみサークル」が描かれる。七森は一緒にいて楽しい相手である白城と交際しはじめるものの、他者に恋愛的に惹(ひ)かれない自分に気づいてゆく。
同じく2023年に劇場公開した『ミューズは溺れない』にも、恋愛経験のない高校生が主人公として登場した。これらの作品では他者に恋愛的に惹かれない「Aロマンティック」や他者に性的に惹かれない「Aセクシュアル」といったラベルで明言こそされないものの、そう解釈して差し支えないような人物が着想されている。
米調査「性描写は必要ない」との声
カリフォルニア大学ロサンゼルス校による10歳から24歳までの1500人を対象にした2023年の調査「Teens and Screens」では、全体の39%もの若者がAロマンティックまたはAセクシュアルの登場人物をもっと見たいと回答した。さらに同調査によれば、過半数に及ぶ51.5%の若者が(恋愛よりも)友情またはプラトニックな関係性に焦点をあてた作品を見たいと回答し、また47.5%がほとんどの映画やドラマのプロットで性描写は必要ないと考えている。
こうした若者世代の反応は…
- 【視点】
仲の良い男女の組み合わせを見るとすぐに恋愛関係があるのか疑われる風土に、これは何なのだろうか?と思ってきましたが、テレビのコンテンツや映画なども通じて(自分も含めてではありますが)恋愛至上主義を内面化した人たちの所作だったのだろうなというこ
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