それは「仕方ない」ことじゃない 教委が始めたヤングケアラー支援
群馬県高崎市内の住宅街。午後7時ごろ、一軒家のリビングにカレーの香りが漂い始めた。湯気がたつ熱々のカレーを、この春3年生になる男子高校生(17)がほおばる。
この日、高校生宅でカレーをつくったのは、市教育委員会から「ヤングケアラー支援」で派遣されてきたサポーターの女性だ。
週2日、2人のサポーターがやってくるようになって、まもなく1年半になる。
2022年4月。市内の私立高校に入学したばかりのころだった。
その7年ほど前に乳がんを患った母の脳に、転移した腫瘍(しゅよう)が見つかり、すぐに入院することになった。
父は独立して会社を立ち上げた直後で、帰宅は夜遅い。大学受験を控える高校生最後の1年を迎えたばかりの姉。一つ下の弟は中学生で、習いごとが忙しかった。
母が一手に引き受けていた5人家族の家事を、男子高校生が中心となって担うしかなかった。突然、「ヤングケアラー」になった。
学校が終わると、母の病院にお見舞いに行き、帰宅したら洗濯や風呂掃除などをして眠る。小学生のころから続けてきたサッカーは、部活動を続けられなくなった。同級生と遊ぶ時間も、ほとんどなくなった。
2カ月ほどの入院ののち、母は亡くなった。急なことで、母がいなくなった実感はわかなかった。たまった洗濯物を片付け、ご飯を炊いて、父が買ってくる冷凍食品のおかずを食べる。悲しみにじっくりと向きあう時間も、あまりなかった。
市教委が始めた生活支援、料理の希望も
「これがずっと続くとどうなるのかな。誰か手伝ってくれないかな」。内心はしんどかった。それでも、家族それぞれの事情を考え、「仕方ない」と自分に言い聞かせた。
そのころ、父は、民間の家事…