死ぬ気の少年兵を変えた「青い炎」 原爆投下直後、救護に駆り出され
79年前、原爆が投下された直後の広島市内で、年端もいかない少年兵たちが遺体の焼却や負傷者の救護に駆り出された。彼らは「この世の地獄」を見聞きしただけでなく、自身もまた被爆者となって苦しんだ。
広島市から約1200キロ。生まれ故郷の岩手県遠野市に暮らす伊藤宣夫さん(96)に会いに行った。伊藤さんは旧制中学在学中に陸軍の特別幹部候補生に志願し、79年前、広島の地を踏んだ。
伊藤さんの周囲は、15歳以上20歳未満の男子志願者から選抜される陸軍特別幹部候補生か、海軍の予科練、いずれかに志願する生徒がほとんどだった。「もう死ぬ覚悟で行ったのよ」。満州事変、日中戦争と幼い頃から戦争の続く環境で育った。「軍人でなければ男じゃない」と骨の髄まで軍国少年だった。兄は海軍に入り、潜水艦に乗って真珠湾攻撃に加わった。
伊藤さんが広島で配属されたのは、陸軍船舶司令部(通称・暁部隊)の陸軍船舶通信補充隊。8月6日の朝は、広島市南部の宇品港にいた。当時17歳。司令部へ電報を届けに行く途中、上空に目もくらむような閃光(せんこう)が走った。爆心から4・5キロ。ゴーッという爆音とともに、市街地から「ギャー」「アッ」という悲鳴が聞こえてきた。
上官に「戦争はやめた方がいいですね」
救護に走り、市中心部から帰…