第3回「青い鳥はいない」理想求めた石破氏、自民党を離党するも挫折の過去

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 石破茂には、自民党を離党した過去がある。政治改革をめぐる激動の時代のさなかだった。

 1986年に初当選してまもなく、リクルート未公開株が多くの大物議員に渡っていたことが発覚した。自民党に対する不信感が渦巻くなか、石破は若手議員と「ユートピア政治研究会」を立ち上げた。メンバーは石破と同じ初当選組の武村正義鳩山由紀夫渡海紀三朗らだった。

 その後も、東京佐川急便からのヤミ献金授受を認めて副総裁の金丸信が辞任するなど、混乱は続く。石破は「政治改革を実現する若手議員の会」の仲間を率いて、首相の宮沢喜一の自宅に押しかけた。政治改革の先送りをすべきではないと直談判したのだ。腕組みをする宮沢に、若手議員の最前列の石破が詰め寄る写真が今も残る。

 当時、背中を押したのは、後藤田正晴や伊東正義ら党重鎮だった。当時、後藤田から「一番国民に近いところにいるお前たち若手議員が一番頑張らないでどうするんだ」と言われたという。

 93年、宮沢内閣の不信任決…

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