詩人の谷川俊太郎さん死去 鳥取県内でもゆかりの人から惜しむ声

清野貴幸
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 13日に死去したことが報じられた詩人の谷川俊太郎さんはイベント出席などで鳥取県内をたびたび訪れていた。交流があった人らが惜しんだ。

 「訃報(ふほう)を聞いて、身内の時とは違う寂しさがあった」。谷川さんと縁が深かった野の花診療所(鳥取市)の院長、徳永進さん(76)は19日、取材にそう振り返った。

 谷川さんとは、詩と散文による往復書簡をまとめた共著「詩と死をむすぶもの」があり、主催する県内のイベントに何度も出席してもらった。2005年、大きな病院で手術を受けた谷川さんは経過観察などで野の花診療所に転院。徳永さんは主治医を務めた。

 今年5月ごろには1年ぶりぐらいで直接話をする機会があったという。谷川さんから、別の詩人との共著「かっぱ語録」を贈られ、ファクスで返事を送ると本人から電話があった。感想を伝えると、「若い人に喜ばれるとうれしい」と16歳年上の谷川さん。「もう若くないよ」と突っ込み、笑い合った。体調が良くないことを知っていた徳永さんが「元気ですか」と尋ねると、「もう僕は声だけだよ」と答えた。

 診療所のパンフレットには、谷川さんが友人の一人として寄せた一文が掲載され、廊下など数カ所に谷川さん直筆の詩も残っている。

 徳永さんは「言葉を相手に仕事をしてきた。嫌いなのは言葉だ」との本人の言葉も印象に残っている。「素直で上品な人。すべてのことを透き通って見る目を持っていた」としのんだ。

 鳥取市の団体職員高橋智美さん(40)は数年前に市内であったイベントで、谷川さんが詩を朗読するのを見聞きしていた。母親(72)は、高橋さんの弟を産んだ時、「俊太郎」と名付けようとしたほどのファン。その影響で谷川さんの詩が好きだった。

 このイベントでは、作曲家でピアニストの長男賢作さんの伴奏とともに、谷川さんが自作の詩を朗読した。訪れた人はじっと聴き入っていたという。高橋さんも初めて生の朗読を聞き、今でも記憶にとどめている。「亡くなったのは本当に残念。あの時の声がまだ耳に残っています。詩をじっくり読み返したい」

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