阪神・淡路の悲惨な現場体験を糧に、茨城で伝えた防災の大切さ

原田悠自 福田祥史
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 6400人を超す犠牲者が出た阪神・淡路大震災の発生から、17日で30年。都市直下型地震の脅威を見せつけた未曽有の災害は、防災対策の大きな転機になった。茨城県内でも、被災地での体験を胸に、県民の安全に向き合ってきた人たちがいる。

 寒い日だった。辺り一面に焦げやガスのにおいが立ちこめ、がれきの山が広がる。緊急車両のサイレンの音が鳴り響き、震えながらたき火をする被災者の姿が目に焼きついた。

 震災発生2日後の1月19日。当時、採用2年目だった茨城県警機動隊の清水健吾隊長(54)と7年目だった徳宿典孝副隊長(58)は、兵庫県芦屋市などに派遣され、約10日間、救助活動にあたった。

 携帯電話などの通信手段はない。5、6人の班で住宅地図を頼りに家々を一軒ずつ訪ねて安否確認をし続けた。

 「7人生き埋めになっている」。民家に、手書きの紙が貼られていた。「誰かいますか!」と、声を張り上げたが、応答はない。しばらくして、遺体が既に収容されていることを知った。

 徳宿さんは「1人でも助けたいという気持ちで現地に入ったが、経験のない活動で対応しきれなかった。もどかしく、悔しかった」と振り返る。

 地震で娘を亡くしたという女性は、被災した家の中を片づけられずにいた。別の高齢男性は、地震で傾いた家の中で生活を続けていた。悲しみに共感しつつも、「危ないから離れてください」と、言葉をかけるしかなかった。

 学校の体育館で寝泊まりしていた。何度も余震の揺れで跳び起き、時には身の危険を感じた。風呂やシャワーはなく、校庭の水道で髪を洗った。いまも、その感覚を思い出せる。「とにかく冷たくて、痛かった。でも水の大切さを身にしみて感じた」

 何もかもが手探りだった30年前。その教訓から、全都道府県警で広域緊急援助隊(広緊隊)が発足した。検視や交通整理を専門にする警察官も部隊に加わり、定期的に訓練を実施している。

 茨城県警機動隊では、重機や大型車が入れない場所でも速やかに救助にあたれるよう、チェーンソーやノコギリなどの持ち運べる工具の扱い方や、建物を安全に解体する方法といった実務的な訓練にも力を入れる。

 徳宿さんは「有事即応の態勢を崩さないこと。そのための訓練は欠かせない」。清水さんは「救助に向かう隊員は一生懸命。だからこそ自分の身も大事にしてほしい。指揮する際は、冷静な目も養わないといけない」。あの現場を思い出し、そう考えている。

     ◇

 震災発生から6日目の1月22日早朝、茨城県取手市消防本部の救助隊5人が、救助工作車で兵庫県の被災地に入った。ハンドルを握っていた足立光雄さん(64)は、眼前の光景に絶句した。

 高速道路の高架橋が横倒しになり、建物の多くは崩れ落ちていた。一面が焼け野原になった地区もあった。テレビでは見ていたが、現場は想像を絶する惨状だった。

 茨城県内各地の消防の派遣隊とともに、足立さんらは神戸市灘区で2日間、被災状況の調査にあたった。住宅地図を手に徒歩で地区を回り、一軒ずつ「全壊」「半壊」などを記号で書き込む。

 道を塞ぐがれきをよじ登り、電柱が倒れて網の目のように絡まった電線をまたいで進んだ。木造家屋はほとんどが全壊だった。放心したような被災者に、足立さんらは調査に来たと告げ、「大変でしたね」と声をかけることしかできなかった。

 足立さんは、取手市内の消防署長で定年を迎えた後、再任用で今も消防官として働く。地域の防災訓練などの場では、震災現場の様子も交えて、家具の転倒防止や最低でも3日分の食料と水の備蓄、簡易トイレの用意などを呼びかける。

 後輩の消防官には、大地震が起きたら道が狭く古い建物が多い所は、倒壊した建物で塞がれてしまい、消防車の通行はおろか放水ホースを延ばすのも難しいと意識するよう話してきた。

 30年前の震災を機に、緊急消防援助隊が創設され、被災地に素早く駆けつける体制ができた。国の補助による耐震性貯水槽の設置も進んだ。

 それでも、と足立さんは思う。「自然災害の前では、人間というのは無力。だから、普段の備えが大切なんです」

     ◇

 阪神・淡路大震災では、神戸市東灘区阪神高速神戸線の高架橋が横倒しになるなど、1981年に改定された耐震基準よりも前の基準で設計された橋が被害を受けた。茨城県内にも旧基準で設計された橋が数多くあり、耐震化が急がれる。

 交通網が寸断され救助や物資供給が遅れた大震災を受けて、県は県庁や空港、病院といった防災拠点を結ぶ「緊急輸送道路」を指定した。大震災(マグニチュード7・3)と同規模の地震が起きても早期復旧できる耐震性が求められている。

 県などによると昨年3月末現在、県管理の緊急輸送道路に架かる橋で、耐震化の対象は538カ所。このうち約14%にあたる75カ所で耐震補強が完了していないという。

 2011年の東日本大震災では、行方市鉾田市をつなぐ国道354号鹿行大橋が崩落し、通行中の車の運転手が死亡した。1968年建設の古い橋で、耐震化されていなかった。

 災害時に機能しなかった緊急輸送道路もあり、県は、緊急輸送道路の再指定や、補完する道路の整備も進めている。

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