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被爆当時は繁華街で、約6500人が暮らしていたと推定される。原爆投下から4年後の1949年に制定された広島平和記念都市建設法に伴って原爆死没者の慰霊と恒久平和を祈る都市公園(約12万平方メートル)への再生が決まり、56年に完成した。世界遺産・原爆ドーム、原爆死没者慰霊碑、原爆の子の像、広島平和記念資料館などがある。
原爆投下当時、沼田さんが勤めていた広島逓信局の敷地内に植えられていたアオギリ。熱線と爆風で幹の半分が焼けてえぐられたにもかかわらず新芽を出した。1973年、平和記念公園に移植。この木に平和への思いを託す人たちが、種を採り、各地に被爆アオギリの2世、3世が植えられている。
2歳の時に広島市で被爆し、10年後に白血病で亡くなった佐々木禎子さん(当時12)がモデル。禎子さんは被爆後も元気に暮らしていたが、1955年2月に白血病と診断され、広島赤十字病院(当時)に入院。その際、名古屋の高校生からお見舞いの千羽鶴を贈られた。「千羽折ったら願いがかなう」と信じ、自分でも「元気になりたい」と折り続けていたが、同年10月に亡くなった。小学校の同級生らによる募金活動は全国に反響を呼び、58年5月5日、平和記念公園に寄付金で像が建立された。
広島で被爆し、平和記念公園の「原爆の子の像」のモデルとなった佐々木禎子(さだこ)さんのおい祐滋さん(54)が2月26日(日本時間27日)、米ハワイでオバマ元大統領と面会し、昨年末に父雅弘さん… …[続きを読む]
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