道央
苫小牧の魚市場に寄ってみた~道央34
category - 道央
2024/
06/
22太平洋に面した苫小牧港は1963年に開港した西港と,1980年に開港した東港があり,国内有数の国際貿易港という位置づけの港だ。その西港のそばに魚市場がある。棟は幾つかに分かれ,それぞれはこじんまりした建物になっている。もちろん魚市場なので,それ相応の海産物は集まっていて,値段もスーパーで買うよりはお得だが,旅行中ではクール便で送る以外には考えられない。この日のスケジュールは,白老を経て支笏湖方面から札幌に行かねばならず,あまり時間がないので,ここでの購入はパスすることにした。港を眺めると,倉庫ばかりが目立ち,漁船は見当たらず,どこから運んできた魚かわからないのはちょっと残念だ。漁港らしからぬ港にある魚市場だった。【2024/6/22(土) 午前 5:00】 |
↓苫小牧西港
「石炭の歴史村」を訪ねて・後編(2018年リニューアル前)~道央33
category - 道央
2023/
09/
01模擬坑道に入って最初のうちは単なる展示といった趣きだったが,奥に進んでいくと,模擬坑道が本物の坑道らしくなり,掘削する機械がたくさん置かれ,蝋人形ともに本格的な掘削シーンが出来上がっていた。とくに坑内員の蝋人形は,辛い作業を極力表現しようとしたのだろう。「辛い」を通り越し「怖い」表情になってしまっていて,照明がもっと暗ければお化け屋敷でも通用しそうな出来栄えになっていた。坑道の最後に地上までの長い階段があり,上り詰めるとようやく屋外に出た。【2023/9/1(金) 午前 5:00】 |
↓坑道をさらに進む
石炭博物館に戻り,炭住(炭鉱住宅)生活の展示を見ることにした。炭住は全国の炭田にあった長屋住宅だ。今でいうと社宅のようなもので,炭鉱労働者と家族がお互いに助け合いながら生活する共同社会になっていた。近所同士の助け合いが基本となっており,家族単位で部屋は別々でも,ほとんどプライベートはなかったのではないだろうか。最後に展示してあったヒグマの剥製はこの辺り(夕張)に住む獣として展示されている。ヒグマは現在も北海道では頻繁に市街地に現れ,被害が出ている。 |
「石炭の歴史村」を訪ねて・前編(2018年リニューアル前)~道央32
category - 道央
2023/
08/
21夕張市はかつて石狩炭田の有力炭鉱として繁栄したので,その歴史を残そうと「石炭の歴史村」という博物館がある。2018年にリニューアルされたが,その4年前に訪ねてみた。今では観光客が,団体・個人ともに少ない街なので,夏の観光シーズンでも混むことはけっしてない。「石炭の歴史村」にある,模擬坑道を見学して,その後採炭の歴史を展示している石炭博物館が見学できるようになっている。【2023/8/21(月) 午前 5:00】 |
↓「石炭の歴史村」
坑道といっても本物ではなく,観光用に作った模擬坑道なので,エレベーターの脇の説明には地下1000mまで行く,と書かれているが,実際は地下20~30mにある横穴を歩いて見学するようになっている(最後に地上まで階段を上ることから推測)。見学にはヘルメットの着用義務があるが,自由見学で,坑道には博物館関係者はいない。地下空間なので,やや危険はあるのだが。訪れたときには他に観光客は誰もいなくて,坑内員の蝋人形がやたら多いので,照明がもっと暗かったらけっこう不気味な空間にちがいない。展示は明治時代以降の採炭の変遷が見てわかるので,なかなか興味深く,そこそこ楽しめるのは有難い。採炭用の機器も展示されていて,全国的にも珍しい博物館である。 |
いつもの「道の駅」とはちょっと雰囲気の違う「道の駅つるぬま」~道央31
category - 道央
2023/
06/
16北竜町から札幌方面へ車で移動中に,「道の駅つるぬま」に寄った。樺戸(かばと)郡浦臼(うらうす)町キナウスナイという場所にある。群名,町名,字名どれを取っても聞きなれない名称だ。北海道一の稲作地帯である空知(そらち)にあり,特産品はエゾシカの加工品らしい。ひまわりで有名な北竜町が近いので,ひまわりにちなんだ食べ物も少なくない。とくに観光地ではないので,地元の「ふれあいプラザ」という役割も兼ねているようで,地元の人たちの憩いの場でもあるらしい。ゲームセンターでふれあいをするわけではないが,「道の駅」にゲームセンターはあまり見かけない。食堂はそばとパスタに絞って提供している。観光地らしい珍しい食べ物がたくさんあるわけではない。「道の駅」というよりはコミュニティセンターといった方がいい。【2023/6/16(金) 午前 5:00】 |
↓「道の駅つるぬま」
「幸せの黄色いハンカチ」のロケ地へ~道央30
category - 道央
2023/
05/
11「幸福の黄色いハンカチ」は山田洋次監督,高倉健主演の1977年の日本映画だ。網走刑務所をスタートしたこのロードムービーのゴールは夕張市の炭住(炭鉱住宅)であることから,当時ですらほとんどなくなっていた長屋を記念資料館として残したのが,「幸せの黄色いハンカチ想い出ひろば」だ。映画で使った黄色いハンカチと赤いファミリアが保存されている。さらに訪問者のメッセージや映画の写真パネルなどが保存されているが,訪れた盛夏ですら訪問者はなく,ひっそりとしていた。40年以上も前の映画なので,映画自体を知っている人は少なくなっているから当然だろう。映画撮影時の1977年の夕張の人口は約49,000人,現在(2023年)は約6,600人と,7分の1に減ってしまい,訪問者のいないこの広場はこの先どうなるのだろうか。【2023/5/11(木) 午前 5:00】 |
↓入口の案内
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