宮崎県の古墳、寺社、遺跡
都城市から宮崎市へ戻ってきて、少し時間があったので、宮崎空港の南側にピンが立っていた木花村(きばなそん)古墳群へ立ち寄ってみた。 清武南ICで降りて、県道を東へ 向かうと、清武川右岸の”低位段丘上”の畑の中に、墳丘が残っていた。 最初に訪ねたのは…
都城市では、もう一か所、早水神社境内にある沖水(おきみず)古墳を訪ねた。 15.3haの早水公園には5つの池がある。駐車場が充実。早水神社は公園内の東寄り。 駐車場から池越しに墳丘。 鳥居から参道へ入る。 その先の左側に沖水古墳があった。 説明板には…
志布志湾岸の古墳を見学した後、都城を経由して宮崎空港へ向かう。 都城から高速に乗る前に、市内に残る古墳を2か所だけ訪ねた。 都城は大淀川上流の盆地で、街の東・西・南から川が集まって北へ抜けている。 市のサイトによれば、 都城盆地は70万年前から全…
前回の蓮ヶ池横穴群を見た後は、宮崎神宮の境内林にピンが立つ船塚古墳へ向かった。 日豊本線で宮崎駅の一つ北の宮崎神宮駅から近い。 境内北に宮崎県総合博物館が隣接するが、やはりこちらも休館中だった。 初めに宮崎県護国神社に参拝。 立派な拝殿で、初…
生目古墳群見学後は、6㎞北東にある国指定史跡・蓮ヶ池横穴群へ向かった。 大淀川北側で北西から伸びる幅広の台地の先端に位置し、東側の麓に沿って日豊本線が通る。 横穴墓は樹状谷に入り込むように、いくつかのグループに分かれて築かれているが、史跡公園…
生目(いきめ)古墳群の最終回。 前回の3号墳見学後、史跡公園から一旦出て、北側から回り込んでいくと別の駐車場があった。道路からの入口はチェーンが架かっていて車は入れなかったが下記の案内板が立っていた。 種別 国指定史跡名称 生目古墳群指定年月日…
生目古墳群で最も大きい3号墳は、築造時は九州全域で最大の古墳だった。 前方部左裾から。木々の先に5号墳がある。 駐車場付近の立体地図にあった3号墳の説明。 古墳時代前期で九州最大の3号墳長さ143mの古墳群最大の3号墳の迫力には圧巻、埋葬者の威厳が今…
前回の14号墳を見た後、芝生広場沿いに北へ進み、台地が最もくびれて狭くなっている箇所を抜けると、すぐにのっぺりした円墳の9号墳があった。 回り込むと表示板。 墳丘へ上がって振り返る。すぐ先の木立が33号墳。 9号墳の北端まで下がって、33号墳の方向を…
国指定史跡・生目(いきめ)古墳群は、前回の本庄古墳群から南東7㎞ほど、大淀川が本庄川を合流した先の右岸台地上に立地する。現在は河口まで9㎞ほどの地点。 ここも珍しい地名だと思い検索すると、Wikipediaの生目神社(古墳群の3km南)の項に下記の3つの…
前回に続いての本庄古墳群。 ここでは密度の高い古墳群の中に中心市街が形成されており、街歩きと古墳巡りを同時に味わうことができました。 オリエンテーリングのように墳丘を探すのは、山林では大変で危険も伴いますが、街中では手軽で安全に”発見”を楽し…
ここから本庄古墳群の後半です。 街中にあった案内図(下が北)のほぼ中央、上側の赤い印の本庄小学校から右(西)側へ向かいます。 前回の27号墳・猪の塚から100m西にあった28号墳・前堀塚。 28号墳・前堀塚は本庄小学校の校庭脇に立地し、長軸を南東に向け…
東諸県郡(ひがしもろかた郡)国富町(くにとみちょう)の本庄古墳群の2回目。 現地説明板のマップを見て、左(東)端の8号・大将軍塚から、まっすぐ引かれた旧道に沿って右(西)へ向かうことにした。 バス通りからチラリと見えた14号墳。15号・東銚子塚の…
前回の祇園原古墳群から15㎞ほど南西、大淀川の支流の台地上に国指定史跡・本庄古墳群がある。 北西側から細長く伸びてきた舌状台地先端に立地し、そこを取り囲むように南に本庄川、北に深年川が流れ、すぐ下流で合流しそのまま大淀川に併合される。 街中な…
祇園原古墳群シリーズの最後は、前回までの”Aグループ”から少し東に離れた一団・”Bグループ”を。 マップのピンを目指して行くと、道路脇に駐車スペースのある場所があった。 古墳群の真ん中を少し切通したように道路が通っている。古墳群を避ける新道があと…
前回の56号墳・水神塚から、48号墳・弥吾郎塚に向かって道路を南へ向かう。距離は300mほど。 その中間点で、畑の中にあった52号墳。左が前方部、右に後円部。 52号墳の先に、群中最大の48号墳・弥吾郎塚があった。 後円部斜め前から、左奥に前方部。 後円部…
前回の59号墳を降りてからは後円部左前方に見えていた68号墳へ向かう。畑の脇を通らせていただいて前方部左裾へ。 左裾から見上げる墳丘は曲線美。 右が前方部で左奥に向かって後円部。 前方部先端側の様子。 前方部に上がらせていただいて、後円部方向を。 …
前回のつづきの祇園原(ぎおんばる)古墳群。 グーグルアースで見ると、前方後円墳がさまざまな方角を向いて集っていることがわかる。 見学者用駐車スぺースのすぐ後ろ(西側)では、墳長80mの58号墳・百足塚(むかでづか)が後円部を北に向ける。 詳しい説…
前回までは小丸川の北側を下流から上流に遡るように古墳を巡ったが、今回からは南に8㎞下り、一ツ瀬川を挟んで西都原の対岸(東側)に展開する祇園原(ぎおんばる)古墳群を訪ねる。 最初に、群中で一番北にあった92号墳・大久保塚へ。 県道からも姿が見える…
グーグルマップで「古墳」と入力すると、永山古墳のさらに西2kmに木城村(きじょうそん)古墳というピンが立っていたので、 そちらへも行ってみた。山塚運動公園が南に隣接するので見学しやすいのではないかと予想しながら。 林道のような細道を上がると駐車…
川南古墳群の見学後は永山古墳とピンが立つ場所へ向かった。 直線距離は1.5㎞ほどだが一旦台地を降りて切原川を渡り、再び舌状台地へ上がる。北側からアプローチしたら、車のすれ違いが難しい細いくねくね道だった。 グーグルマップの導きで、無事目的地に到…
前回のつづきの川南(かわみなみ)古墳群。 11号墳を見学後、に側に戻り、33号墳から見えていた”仲良く”並ぶ2つの前方後円墳へ向かった。 畑の向こうに前方部をこちらに向ける30号墳(左)と31号墳(右) 30号墳の前方部をアップで。 30号墳の墳丘に上がらせ…
前々回の続きの国指定史跡・川南(かわみなみ)古墳群。(2020年3月8日) 北東側の49・50号墳から台地を一段降りて主要エリアへ向かう。 道路沿いの案内表示を入る。 そこにあった説明板。前方後円墳が24基もある。西都原が全盛を迎える前は、こちらが優勢だ…
前回の持田古墳群の見学後は、北西側に3km離れた川南古墳群を訪問しました。どちらも見学・訪問というより、”通りすがった”程度になりましたが… 小丸川支流の切原川を遡った場所。最初に、マップ上に「川南茶畑古墳群」と記されたポイントへ向かってみます。…
前回に続いての持田古墳群。 34号墳から再び古墳が集中する”畑エリア”に戻って、目に入った前方後円墳は14号墳。 畦道から墳丘へ近づく。菜の花の先の前方部端に縄囲いが。 中央に穴が。 ズームしましたがピントがずれました。石室開口部でしょうか。 前方部…
前回の支郡の1.5㎞西北西に持田古墳群の主要部があった。 畑の中などに多くの古墳が、前方後円墳の場合は後円部を北西側に向けて展開している。 「持田古墳群」のピンの場所に立っていた案内板。 国指定史跡 持田古墳群案内図指定年月日 昭和36年2月25日この…
南九州古墳旅の2日目は、高鍋町にある持田(もちだ)古墳群の支群から。 泊まったホテルから1.2㎞北、標高60mほどの台地上に立地。 坂道を上がった角に見つけた最初の墳丘(左から上がってきました) 上記の右の枝道へ入ったときの風景。目の前の斜路を左へ…
この日の最後に訪ねた場所が児屋根塚(こやねづか)古墳。 茶臼原古墳群の一つで、前回の轟地区の1.7㎞東にあった。 その説明板。全長108mの、堂々とした前方後円墳。築造時期は5世紀前半。 国指定史跡 茶臼原(ちゃうすばる)古墳群茶臼原古墳群は、九州山…
茶臼原台地南裾で一ツ瀬川の近い千畑古墳(標高30m程)から、700m北東の台地上(標高130m程)へ上がると、畑の中に円墳群がある上野地区。 県道313号(杉安高鍋線)のすぐ南に展開する。 畑に入らないようにアプローチ。 トラクターの跡が墳丘を避けているの…
西都原古墳群見学後は、一ツ瀬川を挟んだ北側の茶臼原(ちゃうすばる)台地に立地する古墳群を訪ねた。 茶臼原古墳群は、西から上野地区、轟地区、春日地区の大きく3つの地区に分かれるが、まずは西端の国史跡・千畑(ちばたけ)古墳へ。 グーグルマップのナ…
前回の第3古墳群を見た後は、男狭穂塚・女狭穂塚の北西側に立地する円墳2基へ車で向かった。 閉鎖中の考古博物館をぐるりと左回りに。 進んでいくとJAFの支援を受けている場面に。故障のようだった。 止まった位置から、ちょうど169号墳が良く見えた。 なん…