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  • 密事はとかく愉快なり

    密(ひそ)かごとにはそれが密かであるゆえに、言うに言われぬ玄妙な魅力・快楽が付き纏う。 人目を忍んでコソコソとやるスリルであり、面白味。およそ金に困らない上流階級の御婦人が万引きに手を染めるのも、この快楽に中毒してのことだろう。 (『Ghostwire: Tokyo』より) 破滅を心底恐れつつ、しかし同時にその縁(ふち)を指先でそっとなぞるのを止められないしょうもなさ(・・・・・・)。そしてあるとき気付いたら、破滅にがっしり腕をとられて名状し難き引力で、「あっ」とも言えずいっぺんに引きずり込まれてサヨナラだ。洋の東西を問わずして、そういう末路を辿ったものは数多い。 軍人の如き特殊社会の中にすら…

  • 寒の底

    寒い。 外は篠つく雨である。氷雨と呼ぶに相応しい、冷たい冷たい雨である。 二・二六の(1936)年も寒かった。 なんといっても、霞ヶ浦が凍ったほどだ。高浜沿岸、「幅一里・長さ二里」にかけての地域が分厚く凍結していると、一月二十一日の『読売新聞』紙に見える。その氷上に点々と、鴨の死骸が転がっていた、と。 (Wikipediaより、霞ヶ浦) 死因は凍死のようだった。 ──ありがたや。 近隣住民は狂喜した。 貴重なタンパク源である、天の恵みの鳥肉である。 目の色変えて走り出て、拾い集めも集めたり、その数実に五百羽以上。以って全村潤った、と、これまた『読売』からである。 (Wikipediaより、鴨鍋…

  • 世界は変わる、戦争で

    開戦から半年で、ドイツの首都ベルリンはその包蔵せる女性の数を十万ほど増加した。 増えたところの内実は、そのほとんどが俗にいわゆる「職業婦人」たちだった。 男という男がみんな兵士になって前線に出払って行ってしまったゆえに、社会に大穴がぶち空いた。従来彼らが担っていた職分を、代わりに行い補填する、その為の人手が要ったのだ。 かと言って、クローン技術じゃあるまいし、すぐにポンポン新たな人が生えてくる道理もまたあらず。 必然として手元の資源の再検討、女の価値が見直される流れに至る。 車掌に、脚夫に、看護婦に。――ドイツの女は家庭に閉じこもるのを止め、農村部からも這い出して、華々しき都会へと。社会の表面…

  • 学徒とカネと

    1922年4月某日、ワイマール共和国大蔵大臣の名のもとに、とある税制改革が実行の段と相成った。 他国からの留学生の身の上に関連する税制だ。 思いきり簡約して言うならば、遠い異国で彼らがきちんと「学び」に集中できるよう、その本国より送金される学費あるいは生活費。命綱たるこれを以後、一切無税で罷り通して進ぜよう、と。そうした向きの内容である。 (Wikipediaより、10000マルク紙幣。1922年1月発行) 1922年のドイツの財政(ふところ)事情を思えば、かなりの大盤振舞いだ。戦争により精も根も尽き果てて、更にその上、講和会議で決められた天文学的賠償金の支払い義務まで背負わされた窮状である。…

  • 幇間讃歌

    口達者を尊敬する。 およそ人類の所有(も)ち得る中で、言葉に勝る利器は無し。言葉の威力は時間の壁を貫いて、未来に亙り延々と効果を波及し続ける。 その利器を使うに巧緻な手合い──物は言いよう、ああいえば上祐、丸い卵も切り様で四角。弁舌爽やか、口の上手い奴らには、ほとほと感服させられる。 (『Stray』より) 彼らの創意工夫にかかれば豚を樹上へ登らせるなど朝飯前の沙汰事だ。白いカラスに空を舞わせることも出来るし、ラクダを引いて針の穴を通るのも、いとも容易くこなせよう。鼻持ちならないゴマすり野郎、揉み手揉み手のオベッカ遣い、スネ夫みたいな太鼓持ちを以ってさえ、ちょっと修辞を凝らしたならばあら不思議…

  • 尼港事件を忘れるな

    本能寺の変の報を受けた際、黒田官兵衛は秀吉に 「これで殿のご武運が開けましたな」 とささやいた。 ビスマルクもまた、社会主義者の手によって皇帝暗殺未遂事件が発生したと告げられて、咄嗟に口を衝いて出た運命的な一言は、 「よし、議会を解散させろ」 であったのだ。 (ブランデンブルク門付近) 機を見るに敏どころの騒ぎではない。 あまりに、あまりに早すぎる。 凡愚が通常、一ヶ月も経ってからやっと気がつく最適解に、彼らはものの一秒以下で達し得る。 謀略的天才とはこうしたものだ。総身、これ謀智なり。全然予期せざる椿事、どれほど突飛な新局面を突きつけられても、この連中の神経回路は麻痺しない。狼狽などと、無駄…

  • 血の雨、涙の谷

    すべてが齟齬した、としか言いようがない。 「一年前携へて来た三百羽の軍用鳩は本年一月から三回も実戦に応用して居るがシベリアは鷹が多いので折角通信の為めに放った鳩は途中で鷹に捕はれて了ふ」 上の記録は大正九年、ウラジオ派遣軍野戦交通部附として彼の地に在った長谷川鉦吉騎兵少佐の筆による。 一事が万事、シベリア出兵というものを、よく象徴した景色であろう。 (Wikipediaより、ウラジオ派遣軍司令部) 最初っから最後まで、とかく目算違いの連続、何もかもが噛み合わず、得たのは負債と傷ばかり。しっちゃかめっちゃか、血が血を招く無辺際の闘争の渦に絡め取られて沈み込み、足抜けさえもままならなくなったのが、…

  • 赤いレンガの駅舎へと

    東京駅に行ってきた。 ここのところ原敬の謦咳に接する幸運が偶然ながらも重なったため、勢い彼の最期の場所を拝んでおきたくなったのだ。 「停車場なぞといふものは、実用本位で沢山だから、劇場や議員の如く壮麗な建築美を誇る必要はないが、東京駅のみは一国首都の──即ち一国の──大玄関として、少しは美術的であってもいゝ。実用上の便不便は別として、私はあの稍や古色を帯びた大建築をば、真正面の四十間道路から眺めるのが好きで、将来ともあれが四階五階に増築されて附近のビルディングなぞと形を競ふやうなことのないのを祈ってゐる」。──嘗て上司小剣を魅了した赤レンガ駅舎の風格は、 今なお確かに健在と、ここに立ってしみじ…

  • 革命家と孔子様

    百年前のことである。孫文あるいは孫逸仙を名乗る男の手によって、地獄の扉が開かれた。「連ソ・容共・扶助工農」政策だ。 国民党の勢力強化を目論んで、ソ連と手を結ばんとした。平たく言えばそうなろう。貧すれば鈍す、溺れる者は藁をも掴むと常套句の類いだが、よりにもよってアカの魔の手に縋っちまったが運の尽き。 三十年後の国民党の退潮は、支那本土から蹴り出され、台湾島ひとつぽっちに押し込められる惨めさは、この瞬間からもう既に決まっていたのやも知れぬ。 所詮、神ならぬ人の身だ。未来、行く末、運命などと云うものが予測不能であることは、もちろん当然だけれども。いったい孫文自身には、共産主義者というものにつき、どれ…

  • 人は人と戦うための形をしている

    中谷徳太郎が気になっている。 明治十九年生まれ、坪内逍遥に師事した文士。 (Wikipediaより、坪内逍遥) 作家としては無名に近い――なんといっても、wikiに記事すらありゃしない――が、随筆なり時事評論なり、そっちの分野に目を転ずれば、なかなか私の好みに適(あ)った鋭い意見を吐いている。 わけても大正三年の、世界大戦勃発直後の感想など最高だ。 「この戦争が破壊的に拡大して、今まで人間が地球の上に築き上げた有(あら)ゆる記念や、芸術や、智識的産物を悉く壊滅して、血を以て坤球を掩ひつくすと面白ひと思ふ」! ――ここまで露骨に不謹慎を表白できる人材は、当時に於いても珍しい。 あの大戦の拡大を「…

  • 同時代評 ─人種差別撤廃提案─

    一九一九年、パリ講和会議に日本委員が持ち込んだ「人種差別撤廃提案」と、それが結局、否決に至るまでの間。一連の流れというものは、当時に於いてもかなり注目の的だった。 ほとんど固唾を呑むようにして。──実に多くの日本帝国国民が、その動静を窺っていたものである。 まるで「悲願」といっていい、視線の集中ぶりだった。 なればこそ、該提案が「内政干渉」の謗りを受けて、どうも居並ぶ列強の賛意共感を引き出し難いと知ったとき。 反応は蓋し強烈だった。知識人らは目を吊り上げて、彼らの持ちうる最強の武器、ペンとインクをひっつかみ、「何が内政干渉か」と反駁文を書いている。 わけてもたまらぬ切れ味は、内田定槌の仕上げて…

  • 昭和九年のバーター貿易 ―コーヒー豆と軍艦と―

    軍艦の支払いをコーヒー豆ですると言われて、誰が首を縦に振る? 少なくとも日本人には無理だった。 ナイスジョークとその申し出をせめて面白がってやる、ユーモアセンスも生憎と、持ち合わせてはいなかった。 よしんばバーター貿易にしろ、釣り合いが取れてなさすぎる。大航海時代のノリを二十世紀も三十余年を経た今に持ち出されては迷惑と、そう言って渋面をつくるのがせいぜい関の山だった。 「我が造船技術の躍進的な充実と完備とそれに円安が効いて既にブラジル政府が軽巡洋艦・各数隻三千トン級の貨客船十八隻の建造方を大使を通じて注文して来たことは周知の事実だったが、何分支払方法がブラジル特産コーヒーとの物々交換による方法…

  • プリズンクラフト

    明治のいつ頃からだろう。 囚人どもを閉じ込めておく監獄を、囚人自身の手によって作らせるようになったのは──。 図面引きは兎も角として、レンガを焼いたり木を挽き切ったり、鍛冶に左官に石工に、つまり総じて「現場作業」と分類されるお仕事は、囚徒がこれを受け持った。 これから入所(はい)る予定の──とまで極まりきっては流石にいない(・・・)。 近場の既存の獄舎から駆り集められた人員である。 大阪監獄を建てる際には規模が規模であるだけに、京都、神戸は勿論のこと、瀬戸内海を跨いだ先の高松刑務所からさえも人手を調達したと聞く。 (Wikipediaより、大阪刑務所) 司法省の確固たる行政上の方針としてそうい…

  • 夢路紀行抄 ─解体新書─

    気色の悪い夢を見た。 ジャーナリストの身となって、イスラム過激派のテロリストに突撃独占インタビューする夢である。 褐色の皮膚に短く刈った毛髪に、油断なく光る大きな目。如何にも砂漠の戦士でございと言わんばかりの風貌と、机を挟んで向き合っている。猛獣の檻に閉じ込められたと錯覚する迫力だった。事実、殺人経験は豊富であるに違いない。部屋の隅には年代物のラジオがあって、垂れ流されるエキゾチックな音楽が、我と我が身の緊張をますますひどいものにした。 こっちのそうしたテンパり具合を見透かしてのことだろう、男はことさら露悪的にふるまった。やたらと巨大な口径の銃をチラつかせたりと、暴力を誇示する方向で。 (『サ…

  • 万物流転

    大正六年、折から続く大戦景気は未だ翳りの兆しなく。日に日に新たな成金誕生(うま)れ、儲け話に湧きに湧く、あの御時勢の日本をさる高名な倫理学者が行脚というか視察して、 ──これでいいのか。 と、将来に大なる不安を持った。 学者の名前は渡辺龍聖。 小樽高等商業学校・初代校長。アメリカ、コーネル大学で、哲学博士の號を取得(と)った俊才である。 (Wikipediaより、渡辺龍聖) 「吾輩は先般北陸全部滋賀愛知県下の甲種商業学校を視察巡廻したが何れの地方も多数の住民及青年子弟が成金を夢みて日常の真面目な仕事を厭い浮っ調子となってるのは誠に慨嘆に堪へぬものがある」 予算と時日の都合等、等、なんやかんやあ…

  • 野島公園漫歩録

    落ち葉舞い散る季節になった。 せっかくの紅葉シーズンに書籍と液晶、その二個ばかりに溺れているのも味気ない。 ひどい機会損失を犯してでもいるような、一種異様な罪悪感に襲われて。──気付けば野島公園に居た。 横浜市の最南部、金沢八景の一つたる『野島夕照』で名高きところ。 ここは海岸にも接し、 ささやかながら登山気分も味わえるという、一挙両得なスポットだ。 伊藤博文が別荘を置いた点からも、景勝地として折り紙付きといっていい。 もっとも今回訪ねた際は伊藤博文別邸は茅葺屋根の修繕工事中であり、内部見学は叶わなかった。常ならば無料公開の施設なのだが。残念である、とてもとても残念である。 この遺恨、いずれ必…

  • 死に至るまで老ゆるなかれ

    文人どもの嘗て吐露せし感情中に、視力に関する憂いなんぞを発見すると正味ゾッとさせられる。 他人事ではないからだ。 眼球を過剰なまでに使うのは趣味が読書である以上、私自身避けようのない宿命である。 だから怖い。下手なホラーの何百倍もおそろしい。いつか自分もこう(・・)なるんじゃあないのかと、脅威をものすごく近距離に、肌で感じてしまうがゆえに。 業と呼ぼうか、因果と呼ぼうか。 吉井勇を読んでいて、つくづく戦慄させられた。 「…私は自分の趣味として眼鏡をかける気になれなかった。この二三年加速度的に、だんだん遠視の度が強くなり、新聞などは見ても標題の大きな活字だけが、はっきり目に映って来るだけで、本文…

  • 色情狂時代

    本気で理解(わか)っていないのか、全部知ってて素っ惚(とぼ)けてやがるのか。 ちょっと判断に困る事例だ。 ホテル、マンション、アパートが「404」号室を忌み、欠番扱いとするように。 一九二〇年代、フランスの一部列車には「69」を座席番号に使用(つか)わぬという不文律が存在していた。 例の石川光春が確認したことである。「フランスの汽車の座席に打ってある番号に69が抜いてある、詰り68から飛んで70になって居る」のだと。それでいささか不審に思い、現地の伝手をたどっては色々訊ねてみたところ、「仏人は一般に69の文字を避ける習慣である事がわかった。何か御幣を担ぐのかと思ったら其んな神秘的な事では無く、…

  • ロンドンの呪者 ―夏目漱石、許すまじ―

    呪者がいた。 呪者がいた。 大英帝国、首都ロンドン。霧の都の一隅に、日本の偉大な文豪を──夏目漱石を怨んで呪う者がいた。 (世にも恐ろしい祟り神) 呪者はイギリス人である。 名前はイザベラ・ストロング(Isabella Strong) 。 テムズ川の流れの洗うチェルシー地区に今なおその姿をとどむ、トマス・カーライルの家の管理がすなわち彼女の仕事であった。 「夏目はまったくけしからぬ」 そういう立派な英国淑女が、訪客の姿(なり)を日本人と認めるや、怨嗟の焔をさっと瞳に宿らせて、低く、床を這わせるようにぶつくさ文句を垂れまくる厄介な性(サガ)を持ったのは、むろんのこと理由(ワケ)がある。 艶めいた…

  • 予防に勝る療治なし

    風邪が流行っている。 ――じゃによって、マスクをつけろつけろと言っても、若い女性は見目への配慮が先行し、我々の忠告に無視を決め込む。 まったく沙汰の限りだ、と。 帝都の保健に責任を持つ、とある内務官僚が、しきりとこぼしていたものだ。 彼の名前は福永尊介。 大正九年の愚痴である。 (フリーゲーム『Dear』より) 思い通りに動いてくれない人民に、よほど業を煮やしたか。まさにこのとし、内務省では電気局と協議して、電車内での禁止行為リストの中に新たな項を加えることを決意した。 すなわち 「痰唾を吐くこと」「太腿を出すこと」「煙草を吸ふこと」 既存のこの三件に、 「手放しで咳すること」 を書き添えよう…

  • 令和六年、ネタ供養

    慶應義塾は頻繁に「初物食い」をやっている。 先鞭をつけるに堪能である印象だ。 鉄棒、シーソー、ブランコ等を設置して、以って学生の体育に資するべく、奨励したのも慶應義塾がいのいち(・・・・)だった。 明治四年の事である。 これからの時代、およそ文書の作成にタイプライターの活用が不可欠たろうと推察し、カリキュラムに組み込んだのも、最初はやはり慶應義塾商業学校こそだった。 明治三十六年の事である。 (Wikipediaより、タイプライター) なお、このタイプライター講座については特別に、「同校旧卒業生及び本塾大学生普通学部の志望者にも来学を許す」措置を取ったとの由だ。 前者については福澤諭吉の肝煎り…

  • リバティ・ステーキ ─合衆国の言葉狩り─

    戦争が如何に理性を麻痺せしめ、精神の均衡を失わしめる禍事か。それを示す最も顕著な現象として、交戦相手の国語に至るまでをも憎む──「敵性言語」認定からの言葉狩りが挙げられる。 (Wikipediaより、「キング」改め「富士」) 人類が犯し得る中で、最低レベルの愚行ですらあるだろう。 ある特定の国家ないしは民族が国際法を蹂躙し、掠奪、虐殺、侵略等々、不埒な所業を恣にしたとして。これを批判し、糾弾するのはべつにいい。いい(・・)どころか当然だ。文明人の義務ですらある。 さりながら、憎しみ余って行為自体を飛び越えて、彼らの言語までをも排し、攻撃しだすに至っては、これははっきり病的精神状態だ。総力戦時代…

  • 知られざる親日家 ─ドイツ、ルドルフ・オイケン篇─

    ルドルフ・オイケン。 ドイツ人。 哲学者にしてノーベル文学賞の受賞者。 第一次世界大戦の突発さえ無かったならば、この碩学は一九一四年八月下旬に日本を訪(おとな)う予定であった。 (Wikipediaより、ルドルフ・オイケン) 経路(ルート)は専ら陸路を使う。 シベリア鉄道を利用してユーラシア大陸を横断し、この極東の島帝国に這入(はい)っては、東京・京都の二ヶ所にて「人類の大なる生命問題に関する哲学講義」を行う手筈になっており、既に切符も購入していたそうである。 ところがその直前で、急に世界が燃えてしまった。 講演どころの騒ぎではない、日本とドイツは敵国として、干戈を交える事態になった。 ──な…

  • 最初に持っていた奴は

    前回掲げた『へゝのゝもへじ』を読み込んで、幾つか気付いたことがある。 本書は初版本である。通弊として、誤字脱字がまあ多い。 そのいちいちに、前所有者は細かく訂正を入れている。 (誤字) (脱字) (逆植) ここまでならば単に几帳面な性格だなというだけで納得可能であるのだが、問題なのは次に示すパターンだ。 アワレ検閲に引っ掛かり、××で伏字された部分をも、しっかり復元されている。 正直、息を呑まされた。 前後の文脈から適当に推し量ったと考えるには、書き方に迷いが無さすぎる。 著者本人か出版に携わった何者か――生原稿を拝める立場にあらずして、こんな補完ができるのか? 一番最初の所有者とは、もしかし…

  • 呑んで、天地を

    ほんの十秒視線を切った、もうそれだけで姿が見えなくなっている。 子供とは危なっかしさの塊だ。斯くいう筆者(わたし)自身とて、幼少期にはまた随分と親に迷惑を掛けている。迷子になったり突飛なことを口走ったり、危うく保護者の心臓が停止(とま)りかねない沙汰事をやらかしまくったものらしい。 誤飲・誤食も、当然そこに含まれる。 (飛騨高山レトロミュージアムにて撮影) 幼児の心理は得体が知れない。彼らはなんでも、とりあえず口に入れたがる。色がキレイだったとか、形が面白かったとか、およそ理由とも呼べないような他愛もない理由で、だ。 ──1926年、アメリカ独立150周年を記念してフィラデルフィアに開催(ひら…

  • 秋花粉と女史の夢

    「赤と黄とのだんだん染、それも極く大きな柄に染められてゐる、そんな衣裳をつけた人間が、あとへあとへ出て来てそれが列になって、どんどんどんと皆同じ方角から来て皆同じ方角の方へ通りすぎる。それが見てゐるといつまでも尽きない。百人ももっと以上もあとへあとへと続く。一たい何処へ、何をしにあんなに通るのだらう。その赤と黄との衣裳が目にも頭にも痛い。もう通り止んでくれればいいと思ふのに、それでもあとへあとへとまだやまない」 以上は即ち、与謝野晶子の夢である。 高熱により床に臥せっていた際に、目蓋の裏に浮かび上がった情景を書き留めたるモノと云う。 こういう場合、極彩色というべきか、えげつないほどサイケデリッ…

  • 黄金伝説 ー他人は歩く金袋ー

    人を見る。 じっと見る。 大阪梅田の駅頭で、あるいは街の活動写真の入り口で。手持ち無沙汰にたたずみながら、しかしその実、行き交う人のつらつきを油断なく観察している奴がいた。 「こうしていると、ここでその日いちにちに、いくらぐらいの実入りがあるか、どれだけ金が動くのかが分かるんだ」 ほんのちょっとした特技、まず罪のない遊びだよ、と。 小林一三はうそぶいた。 (小林一三、昭和十年、ハリウッドにて) 真綿に針を包むが如く、垂れた目蓋に眼光の鋭利を秘め隠し。 これが自分の趣味の一環、大事な余暇の消費法、と。 阪急東宝グループを築き上げた功労者、「創業の雄」たる人物は、金銭に対する磨かれきった感覚を詳ら…

  • 濁流に濁波をあげよ

    「政治は金なり」。 犬養毅の信念である。 あるいは政治哲学か。 ひとり犬養のみならず、大政治家と呼び称される人々は、揃いも揃ってこう(・・)だった。皆一様に金の真価を認識し、使い方がすこぶる上手い。金に使われるのではなくして、金を支配し、金を駆使する腕と腹とを持っていた。 平民宰相・原敬また然りであろう。 (Wikipediaより、原敬) 「一円のものを二円に働かせる人であった」と、例の林安繁が言葉を盡して褒めている。「…党員が金が欲しいなと思ふと、要求せぬ前に直に幾許かを喜捨する。金額が常に思惑の半ばにも達せぬでも、先手を打たれて快く出されるには何れも感激してその温情に打たれたことは、屡々吾…

  • 古物愛玩 ―流出した仁王像―

    新時代の開闢に旧世界の残滓など、しょせん野暮でしかないだろう。 可能な限り速やかに視野の外へと追っ払うに如くはない。ましてやそれがカネになるなら尚更だ。 (飛騨高山レトロミュージアムにて撮影) ――維新回天、王政復古、文明開化に際会し、当時の日本蒼生が流出させた古美術は夥しい数である。 什器、錦絵、刀剣どころの騒ぎではない。叩き売りの乱暴は、なんと仁王像にまで及ぶ。 大阪骨董屋の老舗、山中春篁堂の記録によれば、明治五年以降同二十三年までの間、国外へと輸出した仁王像の数たるや、実に三十六対躯、すなわち七十二体なり! 英、米、仏へと専ら売られ、博物館へ収蔵されたり、富豪の屋敷を装飾したりしたそうだ…

  • 「我関せず」は許されぬ ―阿鼻叫喚のベルギーよ―

    戦争の長期化に従って「心の余裕」を加速度的になくしていった国民は、一にベルギー人だろう。 なんといっても「教皇」にすら噛みついている。 第一次世界大戦期間中、ベルギー人の手や口は、屡々当時のローマ教皇・ベネディクトゥス15世批難のために旋回したものだった。 (Wikipediaより、ベネディクトゥス15世) 知っての通り、ベルギーは旧教国である。 その勢力は政財界を筆頭に、社会のありとあらゆる面に分かち難く沁み透っている。 しかるにそんな「愛し子」であるベルギーが戦禍によって半死半生、悶絶しかけている今日に、ヴァチカンは何をやってくれたか。 答えは「何も」。 何もしていないに等しい。 少なくと…

  • 発狂した世界

    悠々たるかな大襟度、鷹揚迫らざるをモットーとする大英帝国様々々も、いよいよ以ってケツに火が着いてきたらしい。 ある日、こんな誘い文句が新聞を通して発表された。より一層の志願兵を得るために、壮年男子――本人ではなく(・・・・)、彼らの背後(バック)に控えるところの妻や恋人、母親等々、女性めがけて投げかけられた「質問状」形式で、だ。 「戦争終りし時御身の夫又は息子等が『君は大戦争に於て何事を為せしや』と問はれんに彼をして御身が彼を送り出さゞりしが為に赤面して其頭を掻かしめんとするか。 英国の婦人よ御身の義務を盡せ、今日御身の男子を吾等の光栄ある軍隊に加入せしめよ」 (訓練中の志願兵) 邦訳は第一次…

  • 愛国者たち ―フランス、エミール・ブートルー篇―

    「平安・繁栄・名誉・進歩の実現せられる時代を吾々に与へやうとして父祖は己を犠牲にしたのである。吾々は父祖を裏切ることはできない。父祖が吾々の為に遺した生命と偉業との精神を維持することを吾々は父祖の為に努めねばならぬ。換言すれば民族的精神・同胞的精神を吾々は維持しなければならぬ。父祖の意志を解すること、これが自分の願ひである」 フランスの哲人、エミール・ブートルーの発言である。 邦訳は広瀬哲士の筆による。一九一九年十月二十五日、フランス学士院に於ける講演の一部分であった。 (Wikipediaより、フランス学士院) エミール・ブートルーは一九二一年、すなわちこの翌々年に永眠する運命だから、仄かな…

  • 満ち足りないと なおも言え

    国家とマグロの生態は微妙なところで通い合う。どちらも前進を止(よ)せば死ぬ。 「足るを知るの教は一個人の私に適すべき場合もあらんかなれども、国としては千萬年も満足の日あるべからず、多慾多情ますます足るを知らずして一心不乱に前進するこそ立国の本色なれ」。――福澤諭吉の『百話』に於いて、私は特にこの一条が好きである。 およそ国家の発展に、「もうここらでよか」のセリフは大禁物だ。目指す地平を見失い、ただただ惰性の現状維持に腐心しだしてしまったら、その瞬間からはや既に、斜陽衰退の中に居る。そう心得て構うまい。 (『賭博破戒録カイジ』より) かつての日本は目的意識が鮮明だった。明治に於いては「富国強兵」…

  • 無慈悲なるかな時の神

    未来は過去の瓦礫の上に築かれる。 「時間」の支配は残酷にして絶対だ。「時間」は決して永久不変を許さない。時の流れはこの現世(うつしよ)に籍を置く、あらゆるすべてを侵食し、変化を強いるものである。 斯かる一連の作用を指して、「時間」なるものの正体を「万物の貪食者」と定義したのは誰あろう、高橋誠一郎だった。 (Wikipediaより、高橋誠一郎) 初見はずいぶん驚いた。 慶應義塾の誇る俊英、経済学者の上澄みが、なんたる詩的な表現を――と、目を洗われるの感だった。 年がら年中、無味乾燥な数字に埋れ、鵜の目鷹の目光らせて、富の動きを追っかける学問の徒の精神に、こんな潤いがあったとは、である。 「『時』…

  • 酒は呑むべし登楼もすべし、そして勉強もするが好い

    三日で三万五千樽。 明治二十二年の二月、憲法発布の嘉日に際し、帝都東京市民らが消費した酒の量だった。 (Wikipediaより、憲法発布略図) 数はほとほと雄弁である。明治人らが如何に浮かれ騒いだか、口を大きくおっぴろげ、つばき(・・・)を飛ばし、めでたいめでたいと我を忘れておらびあげる様までが眼前に髣髴たるようだ。 まず馬鹿売れと呼ぶに足る、この事態を受け酒の価格は当然高騰。早く常態に復してくれと悲鳴まじりの哀願が今に伝えられている。 新潟といい、飛騨といい。豪雪地帯は良酒を醸す印象だ。雪解け水だの谷風だのと、そのへんの要素がうまく噛み合う結果であろう。 白川郷を訪ねた後は、当然高山市街の方…

  • 原風景にダイブして

    米こそ五穀の王である。 その専制は絶対で、他の穀物が如何に徒党を組もうとも、崩すことは叶うまい。 少なくとも、日本に於いては確実に。 「日本という国は藁が本当にいろいろのものに使われている。頭のてっぺんから足の先まで藁で包まれ、家の中まで藁に包まれております。けれども稗柄というものはそういうわけにはゆきません。そういう点にも稗がすたれていった大きな原因があります」 民俗学者・宮本常一の意見であった。 (Wikipediaより、宮本常一) なにゆえ稗は稲ほどの勢威を得られなかったのか論じた稿の一節である。ときに履物、ときには衣類、ときには肥料。食うことのみが稲の用途の全部にあらず、なんともはや幅…

  • 俺の親父はパラノイア ―夏目伸六、トラウマ深し―

    息子(せがれ)を殴り倒すのに、いちいち理由は話さない。 いついつだとて「コラ」か「馬鹿ッ」。啖呵と共に鉄拳が飛ぶ。家庭人としての漱石は、どうもそういう一面を、ある種悪鬼的相貌を備えつけていたらしい。 次男の夏目伸六が、かつて語ったところであった。 「あれは一種のパラノイアて奴で…」 と、アレ呼ばわりで親父をこき下ろしている。 (フリーゲーム『芥花』より) 「機嫌が悪いと堪らないんだ。俺達が泣くとあの腐ったやうな眼で何時間でも睨むんだ。何時かカチューシャの歌を廊下で歌ったら、いきなり来やがって『コラッ』と殴られちゃった」 この発言があったのは、昭和十年、津田青楓との座談の席で。津田もまた、夏目漱…

  • 日本的な、あまりに日本的な

    東京湾にサメが出た。 単騎にあらず、二頭も、である。 時あたかも明治二十一年五月半ばのことだった。 (Wikipediaより、ホオジロザメ) かなり珍しい事態だが、まんざら有り得なくもない。確か平成十七年にも、五メートル弱のホオジロザメが川崎あたりに漂着し、世をどよめかせていた筈である。 ただ、平成シャークが発見時には既に死骸になっていたのに対照し、明治のサメはピンピン元気に水切り泳いで獲物を狙える、ーー「海のハンター」の面目を十二分に発揮可能な状態だった。 実際そういうことをした。 狼狽したのは佃島の漁民ども。どうやらこのサメ、かなり気性が荒っぽく、しきりと海中を荒らすので、船を出しても仕事…

  • 韓国に良材なし

    時期的に台風が濃厚である。 明治二十四年九月四日、朝鮮半島仁川港は暴風雨に襲われた。 たまたま彼の地に日本人の影がある。韓国政府の招聘を受け、当港にて海関幇弁をやっていた青年・平生釟三郎だ。 (Wikipediaより、平生釟三郎) 川崎造船所のダラー・エ・マンにやがてなる、この人物の遺しておいてくれていた「被害報告」が面白い。ーーなんでも和船や西洋船は一隻たりとも損傷せずにやり過ごすを得たのだが、滑稽なことに、地元朝鮮の船舶だけが二十数隻もやられるという大出血を食ったとか。 原文をそのまま引用すると、 「…碇泊せる倭船、合の子船、洋形風帆船如き一隻も難破せずして錨すら失ふたるものあらざるに朝鮮…

  • 絶やすまいぞえ、海の幸

    乱獲による海洋生物個体数の減少は、戦前既に問題視され、水産業者一同はこれが対策に大いに悩み、頭脳を酷使したものだ。 物事の基本は「生かさず殺さず」。根こそぎ奪えば、いっときの痛快と引き替えに、次の収穫は期待できない。いわゆる「越えてはならないライン」、境界線を探らねば。――そんな努力の形跡が、文献上に仄見える。 萌芽も萌芽ではあるが。――「持続可能な漁業」の試み、第一歩といっていい。 就中、白河以北(とうほくちほう)は宮城県、桃生群鷹来村大曲漁業組合にあってはかなり、時代を先取りするような、ユニークな手段を模索した。世に謂う人工漁礁計画である。 (Wikipediaより、コンクリートブロックに…

  • 秋の夜長に想うには

    コナン・ドイルとシャーロック・ホームズがいい例だ。 作家にとって「描きたいもの」と、彼に対して世間が「求めているもの」と、両者は屡々喰い違う。そこに悲劇の種子(タネ)がある。 竹久夢二も、どうやらそっちの類に属す表現者であるらしい。 (Wikipediaより、竹久夢二) 彼は「夢二式美人」なぞ、創造したくはなかったのだ。なかったらしいということが、死後息子により暴かれている。 「『人生は一度つまづくと後から後からつまづかねばならない、そんな人はさういふ痼疾を持って生れて来たのだから』と生前の父は云ってゐましたが、父は多分私生活に於ける第一の結婚(即ち僕の母です)を誤ってからは次ぎ次ぎに破綻しつ…

  • つるべ落としの太陽よ

    妄想癖を生みやすいのは、一に病弱な人間だ。 ただ天井のシミばかりを友として床に入って居らねばならないやるせなさ。活動する世間から切り離された疎外感。とろとろとした時間の中で、人は次第に己が心に潜り込み、その深淵の暗がりに、娑婆では到底望まれぬ自由境を描き出す。 (VIPRPG『やみっちホーム』より) 建築家・岡田信一郎、今なお各地に数多くその作品を留め置く大正・昭和の名工は、才気と引き替えにしたかの如く多病質に出来ており、それが理由で日が高いにも拘らず籠らざるを余儀なくされた布団にて、実に多彩な幻夢(ユメ)を見た。 時には自分が死んだ後の情景なぞにも想像を馳せたそうである。 「…棺桶の事なども…

  • 神田明神参詣記

    やっと涼しくなってきた。 十月も一週間を経てやっと。 これでも未だ平年並みには程遠い、だいぶ高温傾向なのであろうが、それでも体感はずいぶんマシだ。 暑いと駄目だ、モチベーションまで溶けちまう。何もやる気が起こらない。 盛夏に於けるアスファルトの路面とは、火を通された鉄板上も同然だ。靴越しでなお足の裏を炙られる。炭火で焼かれる生肉の気持ちに仮令シンクロしたとして、それがこの先の人生に、どう役に立つというのだろうか。 熱中症のリスクに怯え、滝行の如く汗に濡れ、そんな労苦を負ってまで、求めるべきなにものが戸外に在ると云うのであろう。冷房の効いた一室に閉じこもっていた方が、百万倍もマシではないか。 ―…

  • 文武両道、佐賀男児

    古賀残星の性癖に「女教師好き」がある。 幼少時代の実体験から育まれたモノらしい。 「私達の小学校の頃は紫紺の袴をはいた女教師を見て来たのであるが、その時代は非常にロマンチックな色彩があり、教育にも人間味があった。殊に女学校出身の女教師には美人も多かったし、その教授法は職業的訓練を受けた師範出には及ばないまでも児童と教師との間は、姉と妹のやうに情愛が深かった。入学試験などの競争も今程にはなかったし、世間そのものがもっと伸び伸びとしてゐた為でもあらうが、私達はかゝる美しい女教師に接する事が子供ながらも嬉しかったのである」 昭和十年の告白だっt。 (上白沢慧音。個人的に女教師といえばこの人) 古賀残…

  • 民本主義者と国家主義

    改めて思う。 小村寿太郎はうまくやったと。 ヨーロッパの火薬庫に松明がえいやと投げ込まれ、轟然爆裂、世界を延焼(もや)す大戦争が開幕したあの当時。 (Wikipediaより、サラエボ事件) 各国大使の舐めた辛酸、一朝にして敵地のど真ん中と化した窮境からの引き揚げを、円滑に運ぼうと努力して運べなかった人々の苦心苦悩が伝わっている。 ほんの一端に過ぎないが、吉野作造の筆により――。 「開戦の初めに当って敵国在留の各国民が殆ど其生命の危急さへも気遣はれたるが如き、露国大使がベルリンを引揚の際、自動車上に微笑を漏せりとて袋叩きの厄に遭へるが如き、我駐墺大使が、ウィーンの旗を巻いてスイスの国境に入る迄、…

  • 選挙と歌と ―夫を支える晶子女史―

    浦島よ與謝の海辺を見に帰り空しからざる箱開き来よ 哀れ知る故郷人(ふるさとびと)を頼むなり志有る我背子の為め 新しき人の中より選ばれて君いや先きに叫ぶ日の来よ 以上三首は大正四年、衆議院選挙に打って出た與謝野鉄幹尻押しのため、その妻晶子が詠みし詩。 内助の功といっていい。 いったいこの前後というのは日本国民の政治熱が限度を超えて高まりきった時期であり、その雰囲気に誘導もしくは衝き動かされるようにして、與謝野鉄幹以外にも、馬場孤蝶なり小山東助なり小竹竹坡なり、なり――と、所謂「筆の人」「文の人」らが相次いで出馬を表明し、いよいよ世間を盛り上がらせた頃だった。 矢島楫子が「凡ての社会運動同様、政治…

  • すべてを焼き尽くす暴力

    楽な戦(いくさ)と思われた。 英国陸軍司令部は、そのように政府に請け負った。「完全な軍団が一つ、騎兵師団が一つ、騎乗歩兵が一個大隊、それに輜重兵が四個大隊」、南アフリカにはそれで十分。ボーア人どもを薙ぎ倒すには、その程度の戦力投入で事足りる、まったくわけ(・・)ない仕事です――と、 「すべては六週間以内にカタがつく」「クリスマスまでにプレトリアへ」 そう豪語していたものだった。 (Wikipediaより、プレトリア) 政府は信じた。 げに頼もしき発言よと頷いて、開戦のベルを打ち鳴らす。南ア戦争、もしくは第二次ボーア戦争の始まりである。 ところがだ、いざ蓋を開けてみればどうだろう。 混沌展開、収…

  • 南ア残酷ものがたり

    開拓作業の第一歩。――未開蛮地に文明人が勢力を新たに張るにつき、自然力を減殺するのは常道だ。 必須条件ですらある。原生林には火を放ち、人や家畜を害し得る猛獣類は殺戮するべきだろう。 (仏軍の火炎放射器攻撃) 日本人も北海道でやっている。明治の初期に、狼による損失が馬鹿にならなくなったとき。これ以上(・・・・)を防ぐため、あの四ツ脚に、いっそ破格と思えるほどの賞金を懸け、津々浦々から猟師の助力を募ったものだ。 いわんや西洋に於いてをや。 オランダ人らも十七世紀、南アフリカでそれ(・・)をした。水野廣徳の紀行文、『波のうねり』に記された、当時の模様左の如し。 「現今大廈高楼、甃(いらか)を連ね、車…

  • ホルモン黎明

    「臓物あります」の貼紙をつけた食堂がこのころめっきり増えてきた。 註文すれば、豚や牛の内臓を調理したのが皿に載ってやって来る。 (『アサシンクリード オデッセイ』より) 見た目のグロさにちょっと逃げ出したくなるが、エエイ日本男児であろう、剣林弾雨に突撃するのに比べれば、なんのこれしき怖じ気づいていられるか、大口開けてかぶりつけ――と、勇を鼓して頬張れば、なんだ意外と悪くない、悪くないどころじゃあないぜ、味蕾が歓喜しているぞ、はっきり美味いじゃあないかッ! ……こうした趣旨の日記あるいは随筆が、当時ちょくちょく書かれてる。 昭和七年あたりを機として盛り上がった風潮だろう。 ちょうどそのころ北米合…

  • 死が死を誘う

    地球に熔けると表現すれば、まあまあ聞こえは良かろうが――。 マグマを慕って自由落下に身を委(まか)す、火口投身の試みは三原山の独占物でないらしい。 阿蘇山もまた、その舞台に使われた。か細いながら、それは確かにあったのだ。 明治三十九年に渋川玄耳が記録している、「阿蘇山に新噴火口が出来た、旧口と共に盛に噴火して居る、先日来二人まで投身者が有ったから、山霊が穢れを怒って暴れるのだ、と山下の村民は大に危惧を抱いて居る」云々と。 (Wikipediaより、阿蘇山中央火口丘) 火山としての格ならば、むしろ大いに上回る。 にも拘らず阿蘇山が、ついに三原山になれなんだ理由(ワケ)。自殺用のスポットとしてメッ…

  • 人類の友、汝の名は犬である

    忠犬ハチ公の芳名はまったく世界的である。 この風潮は昨日今日誕生したのにあらずして、戦前昭和、彼の秋田犬の存命時よりそう(・・)だった。 何日、何週、何ヶ月、何年だろうと主人の帰りをじっと待つ、けなげで一途な有り様はひとり大和民族のみならず、アングロサクソンの胸をも締め付け、感傷に濡らしたものだった。 そうでなければハチの葬儀に、態々海の向こう側、ロサンゼルスの小学校から百円もの香典が届けられた一事への説明がつけられそうにない。 (Wikipediaより、渋谷駅のハチ公) 筆者はこれを、この情報を、清水芳太郎から知った。 石原莞爾の盟友であり、国家主義団体「創生会」のリーダーたる彼である。 当…

  • エイジはどこだ ―小説家と挿絵画家―

    「最後の回が出来ました」 すわりきった眼差しで、開口一番、吉川英治が言ったセリフがそれだった。 (Wikipediaより、吉川英治) 場所は岩田専太郎の仕事場である。岩田は当時、挿絵画家として吉川英治の新聞連載小説にあでやかな華を添えるべく、彩管の技を駆使する任を負っていた。 それゆえに、面識があるどころではない、共に作品を編みあげる仕事仲間と十分呼べる関係性(あいだがら)ではあるものの、さりとてこうして吉川英治本人が原稿を届けにやってくるのは珍しい。 「これで終りです、この分の絵を描いてから、一緒にそこらまで出ましょう」 つまり打ち上げのお誘いである。 (ずいぶんとまた、勢い込んでいらっしゃ…

  • 発気用意 ―江見水蔭の土俵入り―

    江見水蔭には妙な私有物がある。 土俵である。 彼は庭の一角に、手製の土俵を設(しつら)えていた。それも屋根付き、雨天でも取っ組み合えるよう、とある知人の船主から古帆をわざわざ貰い受け、そいつを改良、覆い代わりにひっ被せていたそうな。 仲間内では「江見部屋」の呼び名さえあった、そういう自家製土俵をむろん、江見水蔭はただ腐らせはしなかった。濫用といっていいほどに、常習的に使用した。相手は主に村上浪六、大町桂月、長谷川天渓、田村松魚、神谷鶴伴、他にも他にも――総じて謂わば明治文壇のお歴々。錚々たる面々と、力較べをやってやってやりまくったものだった。 知られざる名取組があったのである。 同業者が相手な…

  • 野心の炎に焼け爛れ

    人は米寿を超えてなお、――老いさらばえて皮膚は枯れ、頭に霜を戴くどころか不毛の曠野を晒す破目になってなお、野心に狂えるものなのか? むろん、是である。 是であることが証明された。姓は中本、名は栄作。数えで九十一歳になる、大じじいの手によって――。 (フリーゲーム『妖刀伝』より) いやむしろ、「脚によって」と書く方がより実相に近いのか。 北海道は函館市、大町に棲む栄作が、直線距離にて800㎞にも及ばんとする東京・大島警察署に収容保護されたのは、昭和九年も晩秋近く、木枯らしの吹く十一月十日前後のことだった。 名目は単純、「三原山投身自殺志願の廉(かど)にて」。なんと驚くべきことに、栄作じいさん、北…

  • 死んでも売らぬ

    商用で、あるいは研修で。 理由は個々でまちまちだ。が、とまれかくまれ、第一次世界大戦勃発の秋(とき)、国外に身を置いていた日本人は数多い。 早稲田大学に至っては、危うくその学長を異郷に失うところであった。 高田早苗を言っている。大正三年四月から、「欧米諸国の教育制度を調査する」との名目で、この人物は遠い旅路に就いていた。 (Wikipediaより、高田早苗) 遠いであろう。ほとんど地球の反対側だ。列強諸国が宣戦布告をカマし合った八月初旬、高田の姿はスイス、ジュネーヴの地に在った。 (さしあたり、流れ弾の危険はないが) さりとて身動きもまた取れぬ。 鉄道、自動車、隔てなく、国外への道筋は、開戦早…

  • 派手に狂った方が勝つ

    密告社会の基本はつまり「闇から闇へ」だ。良き釣り人ほど気配を殺すのが上手く、必要以上に水面を揺らさず、鼓動さえも慎んで、獲物(サカナ)を欺き、正体を悟らしめぬ如く。 大衆という、ニトロ以上に爆発しやすい液体に波紋を生じさせぬまま、「問題」だけを取り除く。そういう手際を理想とし、実現のため、当局は智慧を絞るのだ。 1914年10月8日、大英帝国アスキス内閣内務大臣、レジナルド・マッケナの名の下に公布された訓令は、そのあたりの消息によく通じたるものだった。 「内務省は何人たりとも若し間諜嫌疑者を発見せる場合は直ちに附近の軍隊並に警察に密報すべく、決して公開演説又は新聞投書に依って徒に世人を騒がし間…

  • 夢路紀行抄 ―冷蔵庫と氷壁と―

    夢を見た。 とっちらかった夢である。 思い起こせる限りに於いて、始まりはそう、冷蔵庫を診察しているところから。私は耳に聴診器を装備して、あの先端の丸くなってる例の部分を冷蔵庫の扉へと、細心の注意を払いながら押し当てて、微かな異音も聞き逃すまいと神経を尖らせきっていた。 (Wikipediaより、汎用聴診器) 患者役たる冷蔵庫氏は、別に業務用でない、どこの家庭にもありそうな3ドア式の直方体のヤツだった。 スリムなボディに、冷え冷えとしたメタリックな色彩である。 ところがだ。次の瞬間、冷蔵庫は氷壁と化し。私の両手は聴診器にあらずして、アイスアックス保持のため固く握り締められていた。 この時点でオイ…

  • In The Myth,God Is Force.

    セオドア・ルーズヴェルトは快男児である。 グレート・ホワイト・フリートに、ひいては棍棒外交に象徴されるが如きまま、その政治上の遣り口は徹頭徹尾「力の信徒」そのものだ。本人もそれを自覚して、理解(わか)った上で金輪際隠さない。むしろ全身で誇示しにかかる。世の正しさに沿うのではなく、己の歩んだ道こそが正しさになってゆくのだと確信している者特有の傲慢さをそこに見る。 (グレート・ホワイト・フリート) 価値創造者気取りとでも言うべきか。 圧迫された側からすれば面憎い限りであるのだが、それでもあそこまで好き勝手絶頂にやられると、一周まわって胸を涼風が突き抜ける爽やかさがあるような、変に痛快な感覚が沛然と…

  • 潮のまにまに

    活動弁士は日本のオリジナルである。 (Wikipediaより、長谷川利行『二人の活弁の男』) トーキーが世に出るより以前、映画といえば声無しに定(き)まっていた黎明期。銀幕に映る情景がいったい何を意味するか、舞台袖に陣取って、一生懸命解説するを事とする、あの職業の人々は、内地に居てこそ極ありきたりであるものの、しかしひとたび外遊の途に就くや否、たちまち姿を隠してしまう、まったく独自の存在と。 日本で生まれ、日本に於いてしかウケぬ、特異な発明であるのだと。 哀愁を滲ませ書いたのは、海軍軍人、水野廣徳なる男。 大正十一年、世に著した、『波のうねり』なる書物の中の一節だ。 「日本の活動写真には、弁士…

  • そして亡国へ

    目を疑うとはこのことか。 どうしてこんな光景が成立するのか理解できない。 いわゆる人民戦線がフランスの牛耳をとっちまって(・・・・・・)いた時分。我が世の春を謳歌しまくるアカどもはパリの街路を勝手に占拠、検問を据え、通りすがりの市民から「カンパ」と称して金を抜く、言語道断の真似をした。 (Wikipediaより、関所) 「国家試験が朝七時から始まるので、遠方に住む受験生は二三人誘ひ合はせタクシーを飛ばす者が多い。赤化して居るある区の大通りで罷業者の一群が軍資金調達の為に不法にも停車を強制し、一人五フランづつ寄附して呉れねば通さぬといふ。十五六の子供がそんな余分な金を持合せるとは限らず、又よしや…

  • 善悪の彼岸

    第一次世界大戦終結後、ヨーロッパには梅雨時の菌糸類みたくアカい思想が蔓延った。 イタリアで、ハンガリーで、ポルトガルで、方々で。もう明日にでも赤色革命が成るのではと危惧されるほど猖獗を極め、うち幾つかは実際問題、そう(・・)なった。 (赤の広場) 唯物論の荼毒によって宗教はアヘンと嘲られ、欧州人の精神を永く抑制し続けた、ある種基盤をごっそり喪失した結果。道徳の頽廃、人心の堕落はもはや止め処もなくなって、日を追うごとに末期的形相を強めゆく1920年代社会を見せつけられまくり。――フランスの批評家、ポール・ブールジェは以下の如くに書いている、 「傲慢で皮相的な科学の影響の下に、信仰は一笑に伏され、…

  • 修学旅行へ、進路北

    修学旅行の行き先に、北海道が選ばれた。 七月五日から十五日まで、十泊十一日の日程だ。 大正七年、東京女子高等師範学校本科四年生二十九名たちのため、組まれたプログラムであった。 (Wikipediaより、東京女子高等師範学校) 旅費は一人あたま二十円。現代の貨幣価値に換算して、ざっと八万円である。十泊もするには随分安いが、そこには勿論タネがある。 ざっくばらんに言うならば、ホテルに泊まらないからだ。 寝床はもっぱら、行く先々の女学校の寄宿舎に求めるという寸法である。 五日の午後六時半、上野駅から出発した彼女らは、 丸一日を延々移動に費やして、 七日、漸く試される大地へ上陸すると、その夜は小樽高等…

  • 埋もれし過去

    皇居の地面を掘り返したら、意想外のモノが出た。 大判小判がザックザク――だったらどれほど良かっただろう。だが現実には、それよりずっと生っぽい、命の最後の残骸的な、有り体に言えば人骨が、もうゴロゴロと出現(あらわ)れたから堪らない。 至尊のまします浄域にあってはならない穢れだが、よくよく思えば無理もない。あそこは元来、武士の、幕府の、徳川の、総本山なのだから。侍という、殺したり殺されたりすることが専売特許な連中が、何百年もの永きに亙り所有してきた物件である。 そりゃあ埋まっているだろう、死体の十や二十ぽっちは、必然に。 こういう事件は何度もあった。 最初は大正十四年、大震災にて崩れたところの二重…

  • バター・マーガリン戦争小史

    マーガリンをバターと偽り売り捌く。 馬鹿みたいな話だが、しかしこいつは実際に、明治・大正の日本で、しかも極めて大々的に行われた偽装であった。 マーガリンの価格は当時、バターの半分程度が相場。良心の疼きに目をつむりさえしたならば、双方の類似性を利用しておもしろいほど簡単に利ざやを稼げる仕組みであった。非常に多くの商人が、その遣り口で現に儲けた。 「なあに、どうせ馬鹿舌さげた客どもだ」「連中に味の区別などつくものか。言われなきゃ一生気付くまい。ならば知らぬが花ってもんよ」 庶民という生き物を、彼らは完全に舐めていた。 この一件を見てみても、滾る金銭欲に比し、所詮お仕着せの公徳心だの善意だのというも…

  • 虚子と雪舟

    およそ日本人にして雪舟の名を知らぬ者などまず居まい。 義務教育に織り込まれていたはずだ、室町時代の画家なりと。昔ばなしで情操教育を了えたクチなら、アアあの柱に縛られたまま足の指を動かして、涙でネズミを描いてのけた小僧かと、そちらの方でも合点がゆくに違いない。 (Wikipediaより、雪舟作『天橋立図』) 雪舟といえば水墨画、水墨画といえば雪舟。両者が有するイメージは、分かち難く結合している。そんな感すらあるだろう。 ――さて、そんな雪舟が、潮路を越えて唐土に渡り、絵筆の業に磨きをかけていた時分。 こともあろうに当代の覇者、大明帝国皇帝陛下直々のお呼び出しを受け、その御前にて腕前を披露した日が…

  • 逝ける友垣 ―直木と菊池―

    直木三十五が死んだ。 東京帝大附属病院呉内科にて、昭和九年二月二十四日午後十一時四分である。 枕頭をとりまく顔触れは家族以外に菊池寛、廣津和郎、三上於菟吉、佐々木茂索等々と、『文芸春秋』関係の数多文士で占められて。――そういう面子で、直木の最期を看取ったという。 (Wikipediaより、直木三十五) 享年、ものの四十三歳。 告別式やら葬儀やら、ひととおり儀式が完了すると、菊池寛はさっそくのこと筆を執り、直木を語る稿を起こした。書くことで故人を偲ぼうとした。その一節が、とりわけ筆者(わたし)の興味を惹いた。 曰く、 「…『近藤勇と科学』などいふ題をつけたり、科学小説を書くといってゐながら、自分…

  • より安く、より多く、より楽に

    「横着」こそ発展の鍵、「簡便化」こそ文明第一の効能だ。 多年に亙る訓練に堪え忍んだ玄人と、苦労知らずの素人の差を科学技術で補填する。煩雑な手間をなるたけ省き、ほんの僅かな労力で、従前同様、否、それ以上の良果を獲られるようにする。 ただ湯を沸かして注ぐだけで、「本場の味にも劣らない」ラーメン、コーヒー、味噌汁だのが作れるようになったが如く。 ドイツ人らの築き上げた文明は、その民族的嗜好に従い粉末ビール製造へと赴いた。水を加えて撹拌すれば、もうそれだけで豊かに泡立つ、インスタントなアルコール飲料の開発へ。 それも昨日今日の話ではない。 淵源は、想像以上に深かった。百年とんで二十年前、十九世紀末ごろ…

  • 敗亡ライン

    仏のボルドーに張り合えるのは、独のリューデスハイムを措いて他にない。 欧州世界の一角で、斯く謳われたものだった。 ワインの出来の話をしている。ひるがえってはその素材たる、ブドウの出来の話を、だ。 (Wikipediaより、リューデスハイム) 埃を払って遠い伝説を紐解けば、リューデスハイムをワインの聖地と為したのは、カール大帝であるという。 つまり八世紀から九世紀ごろに淵源を持つわけである。蒼古たる由縁といっていい。カール大帝、そのころこの地を訪れて、山腹に積もった白雪と、春の陽射しに打たれ溶けゆく素早さとを看取して、ここが葡萄の成育に格好の土地と見抜いたらしい。 それで試した。 最初の一株を植…

  • あの日、彼らは

    人の悪い趣味やもしれぬ。 昭和二十年八月十五日、敗戦の日の追憶を掻き集めるのがこのごろ癖になっている。 (Wikipediaより、玉音放送を聞く人々) 大日本帝国の壊滅を当時の日本人たちがどんな表情で受け止めたのか、そもそも受け容れられたのか、感情の動き、反応を、知りたくて知りたくてたまらないのだ。 自分で文字にしていて思う――やはり下賤な興味であろう。 だが仕方ない、「趣味」なのだ。 生まれもった性質(サガ)に基く嗜好の前では倫理良識人の道なぞ濡れ紙同然、なんの抑止にもならぬ。 無理に塞ぐと鬱屈して毒になる。開き直って前向きに愉しむのが吉である。 (viprpg『フレイミング リターンズ』よ…

  • 岩崎商店家憲六条

    六首の歌が岩崎商店の家憲であった。 「祖父が我々子孫のために、智慧を絞って記して置いてくれまして――」 と、三代目当主・清七は言う。 三菱創業の一族とまったく同じ姓ではあるが、血の繋がりは、べつに無い。 下野国の一隅で、代々醤油製造と米穀肥料を商ってきた。それが清七の方の(・・・・・)岩崎家の素姓であった。 (醤油樽。江戸東京たてもの園にて撮影) 「ええ、もちろん六首通して、悉皆そらんじ(・・・・)られますよ。子供の頃は意味も分からず、ただ父親の口真似で唱えていたものですが。今では意味も追いついて、ちゃんと、しっかり、座右の銘です」 そうして岩崎清七は、ひときわ呼吸を深くした。 実業は徳義を重…

  • 福澤精神、ここにあり

    「商売といふものは国旗の光彩に依って発展するものである。又商売の進度に依って国旗の光彩が随伴する」。――青淵翁・渋沢栄一の言葉であった。 国威と国富の関係性の表現として、なかなか見事なものである。 一生懸命寝る間も惜しんで努力して、良品を製造(つく)り出すことを心掛けさえしたならば、おのずと世界商戦に勝ちを占められるであろう。――こんなのは所詮、幼稚園児の考えだ。 いやしくも戦(・)と名のつく以上、真面目なだけでは生き残れない。謀略あり悪意あり、生き馬の目を抜く技倆と胆気、なりふり構わぬ修羅の形相を呈すのが、必須条件となってくる。 福澤諭吉は、弁えていた。 「貿易商売を助る一大器械あり。即ち軍…

  • 人間世界に風多し

    およそ人の手が織り成す中で、難癖ほど製造容易な品はない。 理屈など、捏ねようと思えばいくらでも捏ねくり回せてしまうのだ。 ――御一新から間もなき時分、度重なる出仕要請をあくまで拒否し、「野の人」たるに拘った、町人主義とも称すべき福澤諭吉の姿勢に対し、明治政府部内では次第に意趣を募らせる、とある一派が存在していた。 (福澤諭吉、文久二年撮影) この連中の心境をざっくり打ち割って述べるなら、 ――あの野郎、お高くとまって澄ましやがって。 どこどこまでも低劣な僻み根性の枠を出ない。 政府の権威をかさ(・・)に着て浮世の栄華を堪能している俗吏輩の認知では、政府に媚びを売らないという、単にそれだけの事象…

  • 乱読讃歌

    「最近の若い娘ときたら、えらくひ弱くなっちゃって」 明治生まれのアラフィフが、口をとがらせ言っていた。 「苦労知らずな所為だろう。薪割りに斧をふるったり、くらくら眩暈がするくらい火吹き竹を使ったり。つるべで井戸から水を汲む、あのしんどさも知らずに大きくなるんだからね。『文明』がそういう、日常(ひごろ)の自然な鍛錬を根こそぎ奪い取っちゃった」 ――だからお産で泣くような、情けない娘(こ)がどんどん増える。 と、彼女の話はいよいよ以って危険な相を帯びてくる。 (昭和館にて撮影) 現代令和社会にて、こんなセリフをのたまえ(・・・・)ば、もうたちどころにフェミニストどもの激怒を買って「名誉男性」扱いさ…

  • 新聞哀歌

    『毎日新聞』の前身に『東京日日新聞』がある。 明治五年に旗揚げしたる、なかなかの老舗ブランドである。 紆余曲折を経ながらも号を重ねて半世紀。創刊五十周年記念と題し、同社が掲げた辞(ことば)というのが面白い。 「新聞の勢力は、増すとも減ることはない。議会の両院に対して、これを第三院と称するも決して過言ではない。各国然り、わが国またその通りである。わが東京日日新聞が、言論の権威を高からしむるため、過去五十年、努力をおこたらなかったことは、われ等のいさゝかほこりとするところである」 (『東日』営業局) 「新聞の勢力は、増すとも減ることはない」、――なるほどなるほど。彼らは新聞を「王国」と呼んだ。ここ…

  • 烈火の大地

    熱帯夜の所為だろう。ここ数日来、眠りが浅い。疲れがとれない質が甚だ悪いのだ。 (フリーゲーム『××』より) 昭和七年も暑かったらしい。 午前十時の段階で31.5℃を観測しただとか。 池水が煮えたようになり、養殖中の鯉や鰻がほとんど全滅、損害莫大なりだとか。 その種の悲鳴は珍しくない。まったく異常な暑さだと、汗を拭うのも忘れ去り、途方に暮れる古人の姿が多くの記録に見て取れる。 ところが今やどうだろう。たかが31℃やそこら、十時はおろか七時八時の段階で、容易く突破するではないか。 これでは毎日焙烙上で炒られているも同然だ。古人をここに在らしめたなら、すわ灼熱地獄の接近かと狼狽超えて恐慌へと至るのが…

  • 言葉の廃墟に寝そべって

    うまい言い回しを思いつく。 あるいは頓知の一種だろうか。戦前昭和、円が惨落した際に、人々はかかる現象を「円侮(・)曲」と呼び称し、半分以上ヤケクソ的に囃し立て、政府の無能をののしり倒す合言葉としたものだ。 なかなか以ってキレのある、良いセンスであったろう。 (『Far Cry 5』より) 大正時代、大庭柯公と親しくしていた西洋人旅行者が、あるとき顔を見せるなり、 「今日はキャラメル親王のお墓にお詣りしてきたよ」 と、さも嬉しそうに言い出して、大場を唖然とさせている。 (なんのことだ。――いったい誰のなんだって(・・・・・)?) 詳しく話を聞くにつれ、それがどうやら鎌倉市、二階堂の丘にたたずむ護…

  • 土地は王様

    土地に関する騒ぎというのは常に絶えないものらしい。 明治三十年の市区改正で、浅草区並木町通りは西に向かって五間ほど取り拡げられる運びとなった。 簡潔に云えば道路拡張、ためにまず、工事予定地買収が前提として不可欠である。 並木町通りに地所を持つ江戸っ子どもが府庁に召喚されたのは、同年六月二十五日のことだった。 (浅草寺にて撮影) 用件は分かりきっている。 はてさて「お上」の気前の良さは如何ほどか、値札にいくら書く気かと、欲のそろばんを弾きつつ出掛けていった地主らは、 ――人を虚仮にしくさるか。 と、突きつけられた条件に一同こぞって色をなし、今にも唾を吐かんばかりの険悪ムードで帰還した。 「角地は…

  • 戦の後の女たち

    二十世紀、女性の地位の向上は、得てして戦(いくさ)の後に来た。 これは戦争形態が部分(・・)ではなく総力(・・)へ――国家の持てるあらん限りの力を以って戦争目的遂行の一点に傾注するという、狂気の仕組みが齎した当然の作用であるらしい。 (第二次世界大戦、フランス軍高射砲陣地) 一次大戦はもとよりのこと、その前哨とも称すべき、日露戦争決着後の本邦内地にあってもやはり、社会の表面(おもて)に浮上する女性の姿が一気に増えたものだった。 たとえば明治三十九年五月下旬に開催(ひら)かれた、関八州競馬大会はどうだろう。 東京上野不忍池を会場に良馬の健脚(あし)を競うのは、明治二十五年秋場所以来、実に十四年ぶ…

  • 我が代表堂々退場す ―1894年、北京ver.―

    日清戦争を契機とし、小村寿太郎の勇名は一躍朝野に轟いた。 彼の人生のハイライトとは、ポーツマスの講和会議にあらずして、むしろこっちの方にこそ見出せるのではあるまいか、と。そんな思いを抱かせるほど、英雄的な風貌を備えていたものだった。 (Wikipediaより、小村寿太郎) 明治二十七年七月、この男は北京に在った。 在ったどころの騒ぎではなく、公使館の職員として、清国政府に国交断絶を突きつけるという大任を、どうも果たしたようだった。 昨日までの任地は既に、本日敵地と化し去った。 可及的速やかに離れねばならない。それはいい。異論の出ようのないことだ。 「だが、どうやって?」 思案すべきはその部分、…

  • もっと輸血を

    どうも昭和六年らしい。 わがくに売血事業の嚆矢は、そのとしの十月、――神無月の下旬にこそ見出せる。 飯島博と平石貞市、両医学博士の主唱によって創立された「日本輸血普及会」が、どうも発端であるようだ。採血量はグラム単位を基準とし、百グラムにつき十円の価値で取引された。 西暦にして1931年。諸列強と比較して、これははっきり「後発組」に所属する。 (『Bloodborne』) そもそも日本の医学者は輸血技術の研究にだいぶ遅れをとっていた。理由は単純、「医」の本宗と仰いだドイツがこの方面を大して重視せなんだからだ。 早くから輸血に着目したのは、むしろ米仏の学会だった。世界大戦が勃発するや、彼らはそれ…

  • 目には目を、偏見には偏見を ―留学生の自衛法―

    岡田三郎助の留学当時、パリの街は未だ城壁に囲われていた。 若き洋画家の繊細なる魂に、花の都は文字通り、城郭都市の重厚さで以って臨んだ。 (Wikipediaより、ティエールの城壁) きっとヨーロッパ随一の「芸術の街」で修行中、この異邦人を見舞った刺戟は、むろんのこと望ましい、良性なものばかりではない。 神経を鉋で削られて、その上に塩を撒かれるような、不快な思いも随分とした。 わけてもいちばん辛かったのが「声かけ」である。 たまたま街を歩いていると、これまで会ったこともない、顔も名前もぜんぜん知らぬただの通りすがりから、すれ違いざま 「支那人!」 と、侮蔑を籠めて吐き捨てられる。 これが効くのだ…

  • 抜錨まで ―黒船来航前夜譚―

    それは到底、見込みのない挑戦だと思われた。 マシュー・ペリーを司令に置いた艦隊編成の目的が「日本遠航」にあるのだとひとたび公にされるや否や、各新聞社は「すわ特ダネぞ」とこぞってこれを書き立てた。 主に悲観的なニュアンスで、だ。 (フリーゲーム『ミッドナイトシンドローム』より) ボルチモアの地方紙は「日本を開国せしめ得ると信ずるは、徒に内外の笑ひを買ふに過ぎず」と口を極めて警告し、ロンドン・タイムズに至っては、「これ巧妙なる軽業師をして、風船に乗じて、遊星に旅行せしむる如し」と、実に英国人らしい、短いながらも切れ味抜群、寸鉄人を刺すような、苛烈な皮肉を以ってした。 当時の西洋社会に於いて、「日本…

  • すべてがギャンブル ―賭博瑣話―

    何にだって賭けられる。天気だろうと、死期であろうと。 ダイスやカードなくしては賭博が出来ないなどというのはあまりに浅い考えだ。窮極、人と人とが居るならば、ギャンブルは成立させられる。 帝政ドイツの盛時には、モルトケの口数に於いてすら、彼の部下どものベット対象に具せられた。 (Wikipediaより、モルトケ) 毎年々々、皇帝の誕生日がやってくるとモルトケは、将軍たちや参謀部附の将校どもを差し招き、このハレの日を共に祝うならわし(・・・・)だった。数次を経るうち、客のひとりが、ふと言った。 ――パーティの開始を告げる元帥の辞、皇帝陛下のご健康を祝するためのスピーチは、きっと、必ず、十語以内に収ま…

  • 田圃に泳ぐ水禽よ

    合鴨を使うという発想は、未だない。 昭和六年、香川県農会が稲田に放った水禽は、これ悉くアヒルであった。 (Wikipediaより、アヒル) 大野村、多肥村、鷺田村、田佐村、十河村、田中村、等――香川・木田の両郡に亙り、およそ二千七百羽の購入斡旋を行っている。 この当時、香川名物はうどんにあらず、むしろ良米の産地としてこそ名を馳せていたものだった。 「讃岐米は、阪神地方のすし(・・)米に使はれ、味が良くて粘気が多い。粥に炊きなほしても粘気がなくならない。乾燥がよくて釜殖が多い、普通一升が茶碗で二十五杯なら、讃岐米は三十杯にもなる」云々と、大阪毎日新聞の『経済風土記』に明らかである。 本書をいくら…

  • 敗れたときこそ胸を張れ

    なかなか役者だ、床次サンは、床次竹次郎という人は――。 「時局重大な時だ、鈴木、床次と争ってゐる場合ではない、鈴木が総裁になり、又大命が降下した場合、僕は入閣せんでも党務に骨身を入れてやる決心だ、これからが本当に政治をやるのだよ」 総裁選に敗れた直後、大袈裟にいえば日本のトップに立ち損なったばかりであるにも拘らず、こんなセリフが吐けるのだから。 (Wikipediaより、床次竹次郎) 帝都を、否々、日本じゅうを震撼せしめた一大不祥事、五・一五事件。石山賢吉の筆法を借りれば「軍服を着た狂人」どもに暗殺された犬養毅は、むろんただの男ではない。 当時の与党・政友会総裁にして、現職の総理大臣である。 …

  • おれの葬儀は ―山脇玄は遺言す―

    冠婚葬祭の簡略化が口喧しく取り沙汰された時期がある。 大正から昭和にかけて、ちょうどエログロナンセンスの流行と被るぐらいの頃合いだ。 (増上寺霊屋) 自動車が街路を縦横し、 船のボイラーが石炭式から重油式へと移行して、 飛行機の航続可能限界が更新されつつある今日び、万事につけてスピード化のご時勢に、ひとり儀礼のみばかり何時々々までも昔のままの大仰な作法を保存してはいられない。切り詰める点は切り詰めて、世相に対応させなくば。大正六年、増上寺の公布した、件の仏前結婚式の謳い文句を見てみても、 ――「二十五分で式を済し」 云々と、その辺の気風の反映たること、明らかである。 (立川飛行場) 世間一般の…

  • 雅楽洋楽アレンジャー

    ざっくばらんに述べるなら、古代ギリシャ音楽の和風アレンジバージョンである。 遙かに遠く、紀元前。地中海にて誕生した旋律を、ほとんど地球の反対側の大和島根の楽器と感性(センス)で新生させる。 刺戟的な試みが、東京、ドイツ大使館の夜会に於いて実現された。 大正十四年、十二月十七日のことである。 (『アサシンクリード オデッセイ』より、オリンピア) 作曲者の名は吉田晴風。 演奏もまた、吉田晴風とその婦人。晴風が尺八を、婦人が琴を、それぞれ担当したそうな。 当時の大使、ヴィルヘルム・ゾルフは演奏に耳を澄ますうち、次第に夜魔に魅入られた如く恍惚とした心境へと導かれ、 ――素晴らしい、まさに世界的の企てだ…

  • 欲の焦点、色と金

    慰謝料をふんだくるのを目的とした離婚訴訟が俄然増加の傾向を示すに至った発端は、大正四年にあるらしい。 皆川美彦が説いている。このとし一月二十六日、大審院にて画期的な判決が出た。 (Wikipediaより、大審院) 実質的な夫婦生活を送っているが、しかし正式な入籍手続きは経ていない、いわゆる内縁の妻だろうとも、これを離縁する場合には慰謝料の支払い義務が生ずる。すなわち「婚姻予約有効判決」。結婚をエサに女心をたぶらかし、さんざん都合よく使い、いいように弄んだ挙句、飽きたら棄てて顧みぬ、人間失格野郎に対しそうは問屋が卸さぬと胸倉とって迫れるようになったというワケだった。 慶賀すべき展開だろう。 「大…

  • 湿気、鬱屈、アルコール

    どうも不調に陥った。 何も書くことが浮かばない。 連日の雨と湿気によって頭の中身が水っぽく、ふやけてしまったかのようだ。 (viprpg『さわやかになるひととき』より) 文章の組み立て方というものを見失っている状態である。こういう場合は下手に抵抗したりせず、むしろ思考能力を更に台無しにすべきであろう。どん底までゆくべきだ。経験から帰納して、そちらの方が再起が早いと知っている。そんな次第で駄目になってる脳みそにアルコールを浴びせかけてやることにした。 ワインは好きだ。 よく買って呑む。 禁酒法時代、デモに密輸に密造に、日を追うごとにヒステリックに傾斜する合衆国の大衆を冷ややかに横目で見やりつつ、…

  • 魚肉の恩 ―『どぜう文庫』と『鮭卵』―

    どじょう料理の老舗たる、東京浅草駒形屋。そこの御亭主、渡辺助七、あるとき奇特なことをした。 学芸振興の名目で、一万円をぽんと投げだしたのである。 投げ込み先は東京商大、やがて一橋へと至る、旧制官立大学である。時あたかも大正十四年が晩秋、霜月の頭ごろだった。 (Wikipediaより、東京商科大学) 筆者(わたし)の記憶が確かなら、日清戦争開幕時、福澤諭吉先生が軍資義捐金として財布から引っ張り出したのも、やはり一万円のはず。 俺がこれだけ出したんだから、てめえらもケチケチすんじゃねえとの、世の富豪らへの「呼び水」的なカネだった。 三十年弱を経て、円の価値もだいぶ変動しているが、それでもかなりの大…

  • 理屈生産、机上の遊戯

    まだ日露戦争が起こる前、すなわち明治の中葉期。東京の名所・旧跡は、多く富者の私有であった。 御殿山の桜林は山尾子爵の、 品川海晏寺は岩倉家の、 関口芭蕉庵は田中子爵の、 まだまだ他にも、向島小松島遊園なぞも――とかくそれぞれ有力者らの掌中に帰した状態だった。 (芝公園の梅) 既に私有地である以上、一般人の立ち入りを禁止するのは勿論である。 『報知新聞』はその状況を憂いている。憂いて、人心の統御上、経世上よろしからぬと切言し、行政の出動を請うている。東京市の財と力で、よろしくこれら私有地を買い上げ、大衆向けに広く公開すべきである、と。 「東京市たるものもし名所旧跡に志あらば、よろしく此等の土地を…

  • 光栄ですぞや勅使様

    明治三十年である。 大蔵省の役人が、関西へと赴いた。 現地に於ける銀行業の実態調査。それが出張の名目だった。 (Wikipediaより、初代大蔵省庁舎) なんとも肩の凝りそうな、生硬い話に聞こえよう。ここまでならば確かにそうだ。が、一行中に「勅使河原(てしがわら)」某という奴がいたこと。彼の存在、彼の名字が事態をだいぶ面白いものにしてくれる。 騒動は、奈良に於いて生起した。 その日、一行が宿泊したのは「三景楼」なる高級旅館。奈良三大家の一つにも選ばれるほど殷賑を極めた店舗だが、ふとしたものの弾みから、ここの番頭が宿帳記載の「勅使河原」を「勅使(ちょくし)・河原(かわら)」と誤読したのがつまりは…

  • 嵐の前の名士たち

    音頭役が菊池寛である所為か。 昭和六年開幕早々、文芸春秋社に於いて催された新春記念座談会の雰囲気は、明らかに暴走気味だった。 (Wikipediaより、株式会社文芸春秋) 出席者らのテンションはヒートアップの一途をたどり、鎮静の気(ケ)がまるで見えない。政治問題、宗教問題、挙句の果てには陰謀論と、あからさまにヤバいゾーンへ話頭が飛んで行こうとも、誰も引き戻さないのだ。 「日本社会の行き詰まりは戦争か社会革命による以外に展開の途がもはや無い」 右にも左にも刺されそうな沙汰事を一息に叫びあげたのは、なんと山本条太郎。 ちょっと前まで満鉄社長をやっていた、ことし六十四歳になる彼である。 これを聞くな…

  • 幼心と罪の味

    新学期が開始(はじ)まった。 まずは何にも先だって、級長を決定(き)めなければならぬ。 従来ならば指名制でカタがつく。担任教師が「これは」と思う生徒を選び、諾と言わせるだけであったが――。昭和八年、秋田県平鹿郡十文字町尋常高等小学校にては、少々事情を異にする。 「選挙制を導入しましょう」 そういう断が職員会議で下された。 (Wikipediaより、十文字駅) 広く世間を眺めれば、普通選挙も三度を重ね、社会に定着しつつある。 この際だ、公民教育の一環として、児童たちにも早いうちから慣らしておこう。誰を級長に選出するか、児童自身に、投票により決めさせるのだ。「一票の重み」という言葉、身を以って知っ…

  • アカの犬

    地獄の、悪夢の、絶望の、シベリア捕虜収容所でも朗らかさを失わぬ独軍兵士は以前に書いた。「我神と共にあり」と刻み込まれたバックルを身に着けお守り代わりとし、軍歌を高唱、整々として組織的統制をよく保ち、アカの邪悪な分断策にも決して毒されなかったと。 (ドイツ軍楽隊) 顧みるたび、げに清々しき眺めよと、感心せずにはいられない。 人間には、男には、たとえ生命(いのち)を奪われようと曲げない筋があるべきだ。 ドイツ人はそいつを持っていたらしい。 だからこそ獄中、転向し、ロシア人どもに媚びを売り、本来的な同胞兵士を叩き売る、腸(はらわた)の腐った人非人、裏切り者の下衆野郎に対する指弾は凄まじいまでのものだ…

  • マイト夜話 ―ニトロとアルコールの出逢い―

    酒の肴に工夫らは、ダイナマイトを嗜んだ。 その頃の鉄道省の調査記録を紐解けば、明らかになる事実であった。 「その頃」とは大正後期、日本に於いても津々浦々でトンネル工事が盛んになってきた時分。 掘削作業の能率を飛躍的に高めた発破、それを為すためのダイナマイトを、しかし現場の労働者らがしきりとちょろまかすのだった。 (Wikipediaより、ダイナマイト) それで何をするかと言えば、刺身にして食すのである。 このあたりで筆者(わたし)は一度、我が眼を疑い顔を上げ、眉間を強く揉みほぐし、二、三度深呼吸をした。 それで視線を紙幅に戻せど、むろん文面は変化せず。ダイナマイトを肴にして呑む酒は、酔いのまわ…

  • 堂々めぐり、暑い日に

    清澤洌は円安ドル高を憂いている。 あるいはもっと嫋々と、嘆きと表現するべきか。 昭和十三年度の外遊、十ヶ月前後の範囲に於いて、何が辛かったかといっても手持ちの円をドルに両替した日ほど消沈した例(ためし)はないと。 「…僕等にとっては千円といふ金は大変な額だぜ。その血の出るやうな千円が、ドルにすると二百八十何弗しか手に這入らないのだ。単位を下げてみても同じだが、百円が二十八弗なにがし、十円が二弗八十何セント。この為替をかへた時ほど淋しい気持になることはないよ。大きなゴム毬だと思って抱いてゐたのが、いつの間にか空気がぬけて、しぼんでしまったといふのがその感じだ」 前回同様、『現代世界通信』からの抜…

  • トリコロールは不安定

    フランスは難治の国なのか? 短命政権の連続に、しばしば暴徒と化す市民。 彼の地の政情不安については明治期既に名が高く、陸羯南の『日本』新聞社説にも、 ――仏人は最も人心の急激なる所、近二十一年間に内閣の交迭せる、前後二十八回の多きに及ぶ。 このような一節が確認できる。 (『世界国尽』より、パリ) 要所要所で政治的に死に体となり、一歩まかり間違えば、欧州すべての禍乱の震源地にもなる。これはもう、フランスという国民国家につきまとう、ある種の宿痾といっていい。 一九三〇年代に至ってはその傾向がますます酷く、当時欧州各国を巡歴していた清澤洌に、 ――世界の悲劇はフランスである。 と慨嘆せしめたほどだっ…

  • 志士の慷慨 ―不逞外人、跳梁す―

    外国人に無用に気兼ねし、何かと腰が低いのは、日本政府の伝統である。 明治政府もそうだった。 昨今取り沙汰されると同様、日本人が相手なら些細なルール違反でもビシバシ取り締まるくせに、外国人の違法行為に対しては、遠慮というか妙な寛大さを発揮して、いわゆる不起訴で済ませてしまう。それをいいことに当の外国人どもはますます増長の一途をたどる。 (『Ghost of Tsushima』より) 『エコノミスト』初代の主筆、佐藤密蔵という人は、学生時代たまたま遊んだ横浜で、立派な身なりの英国人が何か気に喰わぬことでもあったか邦人車夫をステッキで滅多打ちにしている現場に遭遇し、 ――これが「紳士」のやることか。…

  • 南洋に夢を託して

    小学校のカリキュラムにも地方色は反映される。 九州鹿児島枕崎といえば即ちカツオ漁。江戸時代に端を発する伝統を、維新、開国、文明開化と時代の刺戟を受けながら、倦まず弛まず発展させて、させ続け。昭和の御代を迎える頃にはフィリピン諸島や遠く南洋パラオまで、遥々船を進めては一本釣りの長竿をせっせと投げ込みまくったという、意気の盛んな港町。 (Wikipediaより、枕崎駅) かかる熱気はひとり港湾のみならず、小学校の授業風景にまで伝わり、浸潤し。通常の教科書以外にも、手製の海図を壁に張ったり、配ったり。カツオを乗せてやってくる暖流の長大を指し示し、 ――我らの活路は南方にあり。 と煽った教師もいたよう…

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