「いわいの郷」で本物の石人・石馬に対面した後に、元々それらが設置されていた岩戸山古墳の「別区」へ。
岩戸山古墳後円部側から見た別区。43m×43mの正方形の広場です。
いわいの郷は左の木々の奥。
その北東辺に一列に並んでいる、”石の埴輪”のレプリカたち。
実は半世紀ほど前の、小学生の時に来たことがあるのですが、記憶は微かです。
地面のサイン。
石馬あたりから見た岩戸山古墳。
陶製説明板あります。
岩戸山古墳「別区(べっく)」
ここは「別区」といって約43mの正方形になった台地です。
磐井の乱(572年)後、約200年を経た奈良時代につくられた筑後国風土記に、この別区のことが次のように記されています。
(中略)
すなわち盗人が猪四頭を盗んでその罪を裁かれる状況と解釈されるような石製品配置がなされたところがここの「別区」であり、また「別区」には祭儀の場所であったとも考えられています。
全国の古墳でこのような「別区」を有し明確に現代まで残っているのはここ岩戸山古墳だけです。
平成元年10月 八女市教育委員会
岩戸山古墳の後円部裾。右の別区との間は溝になっています。
周溝から見上げた後円部。
後円部を南へ回り込んでいくと神社(吉田大神宮)があります。
南側には土俵(?)も。左の玉垣が吉田大神宮。
つづく(刻みます…)
2024年11月下旬訪問